「人間風車」ビル・ロビンソンさん死去。別にたいしたことは書いていません
ロビンソン(敬称略)の訃報を知ったのはヤフーのトップニュース。13時35分、東スポWebでの配信だった。3月3日(現地時間)の朝に亡くなったとのこと。75歳。
東スポも本紙は間に合わなくて、代わって、「夕刊フジ」が1面に見出し入りで、報じていた。さすがに買ってしまったよー。
2日にテレビ東京(東京12チャンネル)が50周年記念番組を放送していた。テレ東といえば、私が真っ先に連想するのは国際プロレス。その翌日にロビンソン訃報が入ってきたのは不思議なカンジだ。
ロビンソンが初めて国際に来日したときはTBSテレビだが、当然、12チャンにも出ているし、12チャン→国際→ロビンソンと、結びつけずにはいられない。
ただ、いま、ロビンソンがらみで、いちばん興味があるのは、たった1度限りの新日本への参戦。昭和50年12月だが、TVマッチは3回。12月5日=大阪府立(12・4の録画)=vsストロング小林、12日=蔵前(12・11の録画)=vs猪木、19日=愛知・刈谷(12・7の録画)=vs坂口&小林組。パートナーはグレッグ・バレンタイン。
ロビンソンは「闘魂シリーズ第2弾」の「終盤戦」に特別参加。8大会だけで、テレビ撮りの3つのほかは12・5山口・岩国=vs星野、12・6岐阜・美濃太田=vs山本、12・8群馬・前橋=vs永源、12・9横浜文体=vs星野、12・10岐阜・大垣=vs山本。
山本小鉄さんが2回、星野さんが2回。おふたりとも「ロビンソンがどれぐらい強いのか、ぜひ闘わせてくれ」と志願したんだろうなあ。こんな話を小鉄さんに聞きたかったなあ。
蔵前のvs猪木の2日前に、テレビ収録もなく、さらっと横浜文体がおこなわれているのが当時のプロレス人気のすごいところ。文体は、いまやビッグマッチの会場だけどね。
さらにわざわざ岐阜に行って、蔵前と続く、きついスケジュールだ。きっと、岐阜はプロモーターが、かの有名な富野さんだから、はずせなかったのだろう。
猪木さんは1回だけ。前哨戦もなく、いきなり本番。これがいいところ。坂口さんもタッグながら1回だけ対戦。こういうのを「プレミアム」という。
ロビンソンの地方興行の映像があったら、たまらなく見たいが、残念ながら、ありません。今日はテーマ曲「ブルー・アイド・ソウル」を聴きながら、追悼します。
エルボーといったら、三沢さんをはじめとする、エルボーバットや、落下させるエルボードロップがポピュラーであるが、ヨーロッパの選手が使うのはエルボースマッシュ。これを、「ワイルド」大森隆男選手が使っているのがうれしいよね。 これからも大事に使って。

