「狂犬」マッドドッグ・バションが亡くなったのか…。シンプルなパイルドライバーの名手 | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

「狂犬」マッドドッグ・バションが亡くなったのか…。シンプルなパイルドライバーの名手

バションが亡くなったみたいですね。私がチェックする東スポとバトルメンには出ていないが。バトルメンには出ないだろうが。


喧嘩の武勇伝やプロフィルはネットに出ていると思うので。だけど、私は見ましたよ、昭和43年の来日第1戦を、12歳で。


忘れもしない、猪木&ミツ・ヒライvsバション&レッド・バスチェン。もう、生きているのは猪木さんだけだ。


普通、キラー・カール・コックスやバションのような大物は1シリーズに1人なんですよ。それが2人も来たので「さすが、ダイヤモンド・シリーズ、豪華だな」と、12歳の少年は思いました。


しかも、バションは初来日。いきなり、猪木と当たるのか! と楽しみで、楽しみで。


当時、パイルドライバーの使い手といったら、まずキラー・バディ・オースチン。次にバション。まだまだ使い手じたいが少なかった。


そのパイルというのはシンプルな、ドリル・ア・ホール。最近、この技がよみがえっていますよね。そう、曙選手の「ヨコヅナ・インパクト」。私は、これ、渕選手のアイディアだとみているのですが。


曙選手よりもずっと前から使い、勝るとも劣らないのが佐藤耕平選手。「失われた必殺技」の復活はうれしい限り。


で、来日第1戦ですが、蓋をあけてみれば、インパクトを残したのは、これも初来日だったバスチェン。これについては昨年8月17日のブログで2回、書きました。


私の記憶が正しければ(自信はないけど)、確か、地方興行で大熊選手にパイルを決めたのを東スポで知り、ワクワク、ドキドキ。


同じパイルの名手、オースチンが「狂犬」。同じになるのを避けたのか、バションについたのは、なんと「キ○ガイ犬」。キ○ガイの犬って…。でも、結局、バションも狂犬になりました。


大流血のマイティ井上に決めたコブラクラッチも印象深いが、やはり、バションといえば、パイル。


国際プロレスでIWA世界タッグ王者になったときは、私、国際プロレスファンクラブの真っ只中。ウォーリー山口とインタビューにも行きました。


ああ、昭和46年2月のAWAシリーズの四角い「超大型」のパンフレットが懐かしい。そうだ、これはあるんだ! 享年84歳。合掌。


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