レフェリーも大変なんです… | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

レフェリーも大変なんです…

全日本4・13後楽園の第2試合。船木選手のコメントを聞くためにバックステージへ。船木選手とは顔が合わなかったが、トイレから出てきた大森選手が「お久しぶりです!」「えっ、私のこと、わかります?」「宍倉さん」。よく知っているなあ。うれしいです。「次、出番でしょ」「ハイ、またあとでゆっくり」。


その大森選手とは全試合終了後、会うことができて、少し話をした。船木選手については「ボクもいろんなリングに上がってきましたけど、いままでにやったことのないタイプでした。近いタイプもいなかったですね。でも、それがまた、面白いといったら語弊がありますが、やりがいはありました」。


大森さんが新弟子のとき、我々は「あの人、武藤に似ているよね」と話していたんですよ。そしたら、GAORAの解説で武藤さんも「オレ、若いころ、大森に似ているって、よく言われたんだよ」と話していましたよ…そんなことを教えると「あっ、それ、よく言われました。武藤さんとはWJがなくなって、全日本に上がったとき、接点が生まれたんです」とのこと。


話は変わって、ずっと気になっていたことがあって、昨年から「ダイチー」コールの村山レフェリーの姿が消えて、風の便りではヒザの手術をしたと。それから、いつ全日本の映像を見ても、姿がないので、あれっ、それにしても長いなあ。もしかしたら、やめちゃったのかなあ、と心配。


すると、3・6後楽園の開幕戦で復帰。いまは村山さんと話すマスコミもいないだろうし、自分が声をかけて、励ましてあげたいなって。それで、やっと話すことができました。「そうです、3・6で復帰しました。1年近くかかりましたね。ホント、悩みました。いまも、ヒザはがっちりテーピングをしています」。


私は何度もリングに上がったことがあるが、ただ歩いただけで、足を取られ、これはヒザを痛めるなって、わかる。レスラーだけではなく、そこで動き回るレフェリーも大変なのだ。ましてや、村山さんの「熱血」は有名。


「あらためて、(和田)京平さんは鉄人です」と村山さん。私は全女からの付き合いであり、前に週プロモバイルのブログでも書いたように、彼が運転するバスに乗せてもらったこともある。「わーっ、宍倉さんに会えて、うれしいです。感激です。今度、メシでも行きましょう」。人に喜んでもらえるというのは金では買えん。うーん、金では買えん(「北の国から 98時代」での黒板五郎のセリフ)。しかし、村山さんは相変わらず黒い。そこはうらやましい。


週プロのグラビアに載っている村山さんの写真をここに載せようと思って、いろいろ見たが、ほとんどその姿がない。さすがだ。