和訳 30 minutes with Yuzuru Hanyu | さらさら~と徒然 Splendid Moments

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ひたすら結弦君の美しくすんばらしいスケートを愛でるブログ。
羽生結弦君熱烈応援!

 

今朝はゆず茶でほっこり!

今日は・・・サラの言葉はこれだけ

昨日公開されたジャパンタイムズさんの

結弦君記事の和訳です

Enjoy Yuzu Tea on Sunday!

Sorry, today, only Japanese translation of

the article by the Japan Times.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  30 minutes with Yuzuru Hanyu 羽生結弦との30分

「氷上のプリンス」は競技を退いても 常に高みを目指す

 

仙台-
「30分きっかりでお願いします」
日本の「氷上にプリンス」との接見の部屋に通される直前に厳しく念を押された。


時計が時を刻み始め、東京から北東に約350キロ離れた彼の故郷、仙台にある会議室をスタジオに仕立てた部屋での写真撮影に最初の6分は費やされる。
 

彼の表情は一瞬で真剣になり、ポーズをとり始める。彼に指示は不要だ。カメラとフラッシュの光は彼の生活の一部だ。


黒のパーカー、黒いパンツ、黒いスニーカー、全身黒のスポーツウエアを纏っている。
彼が煌びやかな衣装をまとっていない時、細身の彼の体系が強調され、氷上での動きをより強化させるための特別なデザイン。

 

 

フォトグラファーから解放されると、優美な動きでソファーに腰を下ろすと、気さくにうなずきインタビューの準備ができたことを知らせてくれた。彼は穏やかで、親しみやすく、近所の少年といった雰囲気を漂わせている

 

日本が輩出した最高のアスリートの1人である羽生結弦が競技を退いて2年以上になるが、彼が消え去ったわけでもなく、忘れ去られているわけでもない。

 

 

オリンピック後の人生
羽生はスケート靴と縁を切ったりしない。実際、彼の人生はオリンピック(選手)時代から全く衰えを知らない。競技を去ってからのプロスケーターとしての生活でも、彼は週に30時間もの練習を重ねる--氷上で15時間、リンク外で15時間—更に常ね(寝ている間さえも)フィギュアスケートのことを考えている。


「フィギュアスケートのことが頭から離れることはないです」羽生は淡々と語る。


「おかしな話ですが、まだ競技選手でいる夢を見るんですよ。遅刻したり、衣装を忘れたり、スケート靴を履かずに氷上にいたり。そんな悪い夢を見ることもあるんですが、でも、競技から退いたことには微塵も後悔はないですし、今の生活が気に入っています。人生の新しい目的を見つけたんです」
 

先月30歳を迎えた羽生は、先の人生での充実に劣らぬ第2の人生を創り上げている。彼は競技の枠を超えた創造的な可能性を探求するチャンスを満喫している。


2つのオリンピック金メダル、2度の世界チャンピオン、GPF4連覇、更にフィギュアスケーターとしてシニア、ジュニアの全ての栄誉を獲得し、羽生は2022年7月に競技を離れると発表、Fanyuとも呼ばれる世界中のファンに衝撃を与えた。
 

 

172cm、57Kgのスケータ羽生は、単独アイスショーの演出、演技を行う—3か所での公演のアイス・ストーリー・ツアーは1か所を残すのみとなっているが—その最新作では、ショーの体験を最大にするために、SFのようなストーリーブック「Echoes of Life」を発行している。

 

彼は作家だ。GUCCIのブランドアンバサダーでもある。同時に慈善家であり、更に多くの活動をしている。

 

多くの引退したアスリートとは異なり、羽生は競技キャリアを終えても彼の存在そのものに危機など経験することはなかった。

 

「おそらく、他のアスリートのように放送ブースに引っ込むようなことはしなかったからだと思います」彼は語る。「まだまだわくわくが続ているんです。」

 

アスリートという肩書は、自分の人生のほとんどを誇りをもってまとっていたようなものだが、彼はまた自分がオリンピック・フィギュアスケーターであるだけでなく、自分が提供できるものがたくさんあると気づいていた、だから彼は競技からの移行を比較的容易だったと語る。

 

「競技を離れプロに転向した時、(狂言師)野村萬斎さんが、これからは私の名前が私の職種だとおっしゃって、なるほどと思いました。私はアーティストになりたのですが、スポーツが私のアートを豊かにしてくれるので、常にアスリートであり続けます。肩書に縛られたくないんです。『羽生結弦』でい続けたいんです。

 

 

羽生は、過去の栄光の日々にノスタルジックになってはいない、少なくとも今は。彼をオリンピックの栄光への駆り立てた競争心は、今も衰えず、新たな方向を向いているに過ぎない。彼は、かつてないほどのプレッシャーにさらされていると語る。

 

彼はフィギュアスケート界のあれこれを気にしておらず、2026年のミラノ冬季オリンピックに出向く予定もない。
「フィギュアスケートの枠を超えて考える」ということにフォーカスしているので、競技を見ることが彼のキャリアに役立つとは考えていないようだ。

 

アイデアはいかして生まれるか

真のアーティスト羽生は、常に美学を追求し、人が見逃してしまうようなことも逃さない秘密のアンテナを持っているようだ。

 

ロイヤルバレエ団のダンサーのように、芸術代表作品や世界トップクラスの舞台芸術やスポーツから創造的なインスピレーションを得ている。時に彼自身が自分の気づきや、その気付きがもたらす刺激に驚かされることもある。

 

「誰かというより何かが重要かなって。何が私の琴線に響くか。」
「アンテナはいつも張り巡らされていて、好きな動きとかを見つけた時は、心に刻んでいます。」

 

 

ごく最近ではNBAの選手の動きに目を奪われ、興味をそそられた。
「まさかの展開ですよね?」やんちゃにそんなことも言う。

 

羽生は自身の芸術的な感覚を磨くため、多くを吸収し、体験しそしてどのように美しさがあるのかを学ぶ必要があると考えている。

 

例えば、彼が幼少のときにはピカソの絵はまったく興味なかったが、背景を成す深い意味を理解することによって、作品に接し鑑賞するできるようになったと羽生は言う。

 

芸術の境界を再構築したピカソのように、羽生は彼のスケートを再構築するために、新たなスタイルとテクニックに挑んでいる。

 

「フィギュアスケートのジャンルで私が優れた芸術を創りだしていると評価されるかもしれないが、私は他の芸術分野、音楽とかオペラ、ダンスやドラマに精通した人たちを感動させたいんです。そのためには、芸術を理解し鑑賞して自分の美的感覚を向上させなければならない。」

 

「勿論、ベテランのスケーターやスケートに精通したファンは、始めて私のショーを見る人とは違った見方ができるでしょう。ただ、私の目標は、空中で何回転しているか、技の名前もわからない観客にも『凄い』っていってもらうことなんです」

 

 

氷の外で

羽生は現在、専用のコーチやトレーナーはいない。食事、睡眠ルーティンや練習メニューは自分で計画を立てる。

 

大きな公演の数週間前には、スナック類や炭酸飲料を断つ。食事は身体に必要なものを摂り、必要に応じサプリを服用する。

 

まれではあるが、ゲームをしたりのんびりすることもあるが、翌日の練習の質を上げるための動的回復だと羽生は言う。

 

動的回復とはなんだか矛盾しているようだというと、彼はのけぞって腹の底から大笑いした。
「だってスケートオタクですから」

 

「10代前半の頃から1つの目標を持っていたんです、それがオリンピック金メダリストになるということ。そのたった1つの動機を中心に日々の生活が形成され、他の生き方なんて考えられなかったんです。スケートに関係ない生活が怖いんです。」

彼は週一で休みを取るというが、リンクの外でいったい何をしたらいいのか戸惑っている。

 

彼はプライベートをさらさないことで有名で、特に家族に関しては。2023年11月、SNSでメディアによる執拗な詮索、世間や安全上の懸念からの離婚を発表した。

自分のプライバシーを侵害されることを許したりしないが、同時に羽生は有名人としての代償の一部でもあると自分に言い聞かせる。

 

「普通の生活をあきらめているわけではないです。ただスポットライトを浴びるプレッシャーがあるから、ストーリーを創りだしたり、プログラムを演じることができるともいえます。ですから、この現実を受け入れているんです」
時には孤独を求めてるいることもありますが、そんな時は自分の時間を持つようにしています

 

あたりまえの生活が、このスケートファンを魅了しキャリアを積んできた彼には許されないのか?

バッティングセンターに行きたいなぁ。野球好きで、子供の頃は年に何度か行ってめっちゃ楽しんでんです。そんな何気ない楽しみをまた味わいたいですけど、誰かに見られてSNSで「羽生 バッティング下手」なんて言われたくないし」クシャクシャの笑顔を見せた。

 

メンタルヘルスが真剣に取りざたされている昨今、アスリートがSNSを利用するメリット、デメリットを認識しつつも、日々携帯に費やす時間については制限を設けていない。

 

「メンタルも回復力があると思います。心に影響を与えるものがあっても、なんといっても私にはスケートがあります。氷に戻って観客の歓声を聴くことで私は救われるんです」

 

大きな問い

羽生は最近、存在について考えている—自分の人生の方向性やどのように生きたいか。哲学に興味を持っており—日本の有名大学の1つ早稲田大学で生命倫理も学んでいる。

 

彼の人生に巨大な影響を与えたのが、2011年3月、彼が16歳の時に故郷を襲った東日本大震災とそれに続く津波。羽生は10年以上にわたり仙台市や周辺の地域への募金・寄付を続けており、現在も彼の支援は続いている。

「スケートで震災復興を支援するというのが16歳の時からの私のライフワークです。」

 

 

 

 

1万5千人以上の方が東北で命を落としたこの震災は、とてつもない数字で人が感覚を鈍化させられてしまう典型的な例で、そうした数字の背後には生身の生活のストーリーがあったということを覚えておくことが大切だと羽生は言う。彼のアイスショーは、人間の命の価値がテーマの中心となっている。

 

「世界は今とても不安定な状態で、そんな中で命の大きな問い;私は何故存在している?ということを自問自答すべきだと思います。」

 

「とは言え、私はまだ人生をはっきり描き切っていません。死にたいと思った日々もありましたし、ただただ生きて皆さんの前でスケートをしたいと思った日々も。時には私の人生の目的は、スケートで人々を幸せにすることで意味を持つと思うこともあります。私の人生への考えやアプローチは絶えず変化します。でも、だからこそ私は柔軟で自由でいられるんだと思います」

 

最近生きていてよかったと思ったのはという問いかけに、羽生は12月7日、9日と11日の満員のさいたまスーパーアリーナの3回のショーだと答えた。

「会場は暗くて1人1人のお顔は見えなかったんですが、でも歓声や泣いている人、スタオベする人、そうした光景を見ていて、これまでの全ての努力が報われたと感じました。」

 

羽生のツアーは来月の千葉で楽日を迎える。
彼の推測では観客の30%は外国籍、そのため彼は英語版のストーリーブックの出版、生の演技にスクリーンのナレーションが組み合わされたショーの英語の音声ガイドの提供に熱を入れた。

 

 

 

 

「あれは私からの提案です。メッセージを誰もが理解できるようにしたいんです。更に言葉に頼らず体の動きで語り掛けられるように、もっと自分の表現力も向上させたいですね。両方やるべきだろ?って思ったので」

 

残りのショー以外には、羽生のスケジュールには何も予定が入っておらず、これは競技を離れた後の人生設計が確定していなかったことを物語っている。
もうオリンピックはない。ジャッジもいない。「キス&クライ」もない。金メダルのスケートへのスタンドからのプーさんの嵐もない。

 

2022年北京オリンピックの経験で、これが最後だと分かってるプレッシャーの中でも成功をもたらせると学んだという。最後のオリンピックになることを承知の上で、それまで成功したことのないクワド・アクセル、重力無視の4回転半のジャンプを着氷できるかどうかに関係なく挑んだ。
 

彼はクワド・アクセルで転倒し表彰台を逃したが、勝者の撤退となった。羽生の行動の全ては、今を生きるという教えの上にある。

 

「来年、その先にこうしたことをやっているかどうかは、誰もわからないことなんです。でもだからこそすべてのことに誠心誠意臨むことができるんです。」
「日々最後の日という思いで生きています。コロナ禍ではフィギュアスケートは不要なものと言われましたし。またいつ次のパンデミックが襲ってくるかもしれません。だからこそ、心を燃やし続け、見に来てくれるファンに最高のショーを提供したいんです。」
「もう4年サイクルのオリンピックに向けて努力することもないです。私は自分の目の前のことに集中するだけです」

 

制限時間終了の声が響く。羽生は申し訳なさそうに笑う。
24分のインタビューは終了。
「ありがとうございました。楽しくお話しさせてもらいました」そういうと彼は次のメディアのアポのために立ち上がった。2つ終え、まだ3つ残っている。
競技を去っても、スポットライトはどこまでも彼を追い続ける。それが羽生結弦の生涯。

 

 


所感は・・・落ち着いたら・・・・

 

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