おはようござまいます。今朝の大阪は晴天です。今日から少しずつ気候が良くなり春に向かって一直線という感じです。昨日は京都に行っておりまして、賀茂川から少し入った路地沿いの桜が少し開花しておりました。なんとも風流な景色を堪能してまいりました。被災地の桜も当然のごとく被災しているとは思いますが、残った桜の開花によって被災者の気持ちが安らげばと思います。少しずつ暖かくなることは間違いなく、どのような状況であっても桜が咲くことには変わりありません。どうか日本人のDNAである桜を見て、元気になっていただければと思います。被災地の方々には心よりお見舞い申し上げ、亡くなった遺族の方々には心よりお悔み申し上げます。一日も早い復興をお祈りします。

さて、話は変わりますが、今世の中でおきていることはたくさんあります。そのたびにニュースで取り上げられ、様々な批判や批評が飛び交っています。私はこのような状況を見て少し憂いています。
昨日、東電が放射線濃度の訂正をしていました。1000万倍を10万倍へと訂正したようですが、○万倍となると基準値そのものの値が本当に適当なのかを考えてしまいます。その基準値が適当でそれを超えると何らかの被害が出るのであれば、○万倍ともなるととんでもない被害になるのではとつい言いたくなります。少々話がそれたのでもとに戻しますが、東電が訂正したことについて再び批判が出ているようです。私はこの状況下でそのような失敗が起こるのは仕方がないと思っています。というのも、人は焦ると必ず失敗するからです。私の星の数ほど経験があります。そしてそのまま失敗を失敗と認めず、ついには正しいと押し切ったこともあります(笑)。

今、批判や批評をしている人は自分がそのような事態の当事者となったことがないのでしょうか。私はそんな人も少ないのではないかなと思います。自分はそのような事態で失敗を起こさないとでも思っているのでしょうか。人なのですから、失敗するのはある意味当たり前なのです。

私は批判や批評をしてはいけないと言っているのではありません。自分でもやるだろうなと自覚しながら、それでもあえて批判や批評をするのは結構だと思います。しかし、自覚しないままに批判や批評をしてしまうと際限がなくなります。まるで全知全能の神のように動かなければ彼らの満足を得ることが出来なくなるのです。

これからも長い期間をかけて、共に復興していく日本国民という仲間なのです。少しのことには目をつぶりましょう。それが団結というものではありませんか。