僕は8月某日から20年間、〈大運天中殺〉に入ります。長い間待ったその時が、目前に迫ってきました。

 

まず、ご存じない人のために〈大運天中殺〉を簡単に説明しておきましょう。

 

〈大運天中殺〉に入る前の10年間に運気が上昇していると、〈大運天中殺〉に突入後、運気は下降しはじめます。逆に、〈大運天中殺〉に入る前の10年間に運気が落ち込んでいれば、〈大運天中殺〉に突入後、運気は上昇しはじめます。

 

特に、突入する5年前に、金銭的に苦労し、家庭的にも不幸せで、身内に成功者がいなければ、〈大運天中殺〉は、微笑みながらやっています。しかも、突入後も、孤軍奮闘(孤独でチャレンジ精神旺盛)し、実現が不可能なくらい大きな夢がある人には、全力で味方してくれます。

 

僕の場合、結婚したのが今から27年前。子どもができて二人目が物心つきはじめたのが10年前です。なので10年前と言えば、本来なら仕事も家庭も落ち着いていなければならない時期です。その頃から、今後10年間は、算命学を知っていたがゆえに、苦労と不幸せを目指さなければなりませんでした。

 

一番の犠牲者は女房でしょう。そして、家族旅行やお金のかかる遊びを一度もしたことのない子どもたちでしょう。

 

しかも、晩年の大運天中殺の場合、突入したとたん身体に不調があらわれたり、最悪、命を落とすケースもあります。

 

僕の場合、その兆候はあって、血圧は高く、ほとんど毎日晩酌をしていてせいで肝臓も検診でE判定という有様でした。でも、1年半前に脳出血で倒れたおかげでアルコールは断って、肝臓の検査結果は正常値に回復し、血圧も標準ラインで安定しています。

 

僕のセミナーに、〈大運天中殺〉の真っ只中の人や、〈大運天中殺〉がすでに終わっている人が良く来られます。もちろん、セミナーに来られるわけですから、運気が動かずに低迷している人がほとんどです。では、どうして〈大運天中殺〉真っ只中や、〈大運天中殺〉だったにも関わらず、運気の上昇がないのでしょうか?

 

理由は、たった一つに他なりません。少なくとも僕は、そう信じています。それは、人生を「これだ!」という領域にまで振り切っていないからです。

 

僕は良く〈大運天中殺〉に突入する前に「しゃがめ」という表現を使います。「しゃがむ」行為の一つが金銭的に苦労することですが、でも、その「しゃがむ」行為にはある意思が伴っていなければなりません。それは、目の前にある一瞬に対して盲目的に取り組む心です。

 

たとえば、我が子の学費のために、朝早くからお弁当を作り、昼間は工場でパート、夜は朝方までスナックで働いて、いつ寝ているのだろうと心配してしまう母親がいます。これは、理屈を好まない穏やかな温かい神の心の持ち主です。

 

一方、子どもを車に乗せたまま炎天下の駐車場に置き去りにして、パチンコに興じる母親などは、私利私欲で屁理屈ばかりの冷たい獣の心の持ち主です。

 

あなたのことを常に見ている〈何者か〉は、人生を「これだ!」という領域にまで振り切って、それに取り組んでいる人に微笑むのです。

 

〈大運天中殺〉の真っ只中、もしくは過ぎ去った人が、運気が動かなかった理由は、まさに、人生を「これだ!」という領域にまで振り切っていないからです。

 

なので、脇目も振らず、それに取り組められる事柄を知ることです。もう知っていて、それに取り組んでいる人は、〈何者か〉の微笑みを感じることなのです。

 

人生を振り切った人には、見ために反して、どこか心の余裕があります。

 

「さぞかし大変ですね」
「いいえ、そんなことないです」

 

僕は、人生を「これだ!」という領域にまで振り切ったかどうか自信はありませんが、少なくとも、「さぞかし大変ですね」と訊ねられれば、「いいえ、そんなことないです」と胸をはれるでしょう。

 

「めざせ!ジブんワールド」講座 8月12日(日)開催

 

予備知識として、まず、〈性格〉と〈人格〉の違いを書いておきましょう。

 

〈性格〉は、彫刻のように深く彫り込まれたもので、〈人格〉は、仮面のようにかぶっているものでだと例えられます。一昔前のアニメで申し訳ありませんが、〈性格〉は、伊達直人で、〈人格〉は、タイガーマスクと言うことです。伊達直人が、タイガーマスクをかぶることで、人格が変わるのです。

 

<東映アニメーション・東映ビデオ>

 

この前提で話を進めていくと、算命学で〈性格〉は分析できますが、〈人格〉は特定できません。言いかえれば、算命学で〈人格〉を変えることは、可能と言うことになります。

 

人は、解離性同一性障害(多重人格)という症例でもわかるように、多岐にわたる〈人格〉、つまり仮面をかぶることができます。算命学でも、生年月日が同じにも関わらず、全員が同じ〈人格〉に見えないのは、単に違う仮面をかぶっているからですが、中身は同じなのです。

 

算命学で言う、「陰転」と「陽転」も、この仮面であると、僕は解釈しています。たとえば、算命学には、貫索という星がありますが、特徴は文字どおり「貫く」というイメージです。ただ、貫き方が人によって様々で、周囲に与える印象も違ってきます。頑固に思える場合(陰転)もあれば、辛抱強く見えたりする場合(陽転)もあるわけです。

 

なので、あなたが持っている算命学の星が何か?以上に、持っている星の「陰」と「陽」を熟知し、「陽」の仮面をかぶることが先決なのです。頑固に見える仮面から、辛抱強く見える仮面にすり替えなければならないのです。これは正直、容易なことではありません。仮面をすり替えて、それが馴染むまでに最低1ヶ月はかかります。

 

僕のクライアント、もしくはクライアントだった方に、YouTuber(ユーチューバー)が3名おられます。このお三方とも、仮面をすり替えられた顕著な例です。YouTubeは映像として残りますので、はじめた当初と1ヶ月後の違いが一目瞭然です。仮面が完全にすり替わったかどうかによって、その方の〈将来〉が僕にはわかります。

 

これは一つの目安ですが、YouTuberのデビュー時と、1ヶ月後の動画を見比べて、〈人格〉が変わった(替わった)ように見えるかどうかです。チャンネル登録者数が伸び悩んでいるYouTuberは、僕に言わせれば、〈人格〉がすり替わっていないケースがかなり多いように思えます。

 

YouTuberの例は、非常にわかりやすいので今回取り上げましたが、つまり、自分だけが算命学で〈人格〉を変えた・変わったと思うだけではダメで、他人(周囲)からも認知されなければならないのです。

 

仮面は、本来、自分には見えません。他人がいるからかぶるのです。かぶったからには、別人に見えて欲しいのです。算命学で人格を変えるとは、そう言うことなのです。

 

「めざせ!ジブんワールド」講座 8月12日(日)開催

 

悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、
楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす

 

 

これは、イギリスの政治家 ウィンストン・チャーチル(1874 – 1965)の言葉です。この言葉からもわかりますが、世の中には〈良いこと〉と〈悪いこと〉があるのではなく、そのどちらかに決めている、人間の意思があると言うことです。

 

人間には、さまざまな人格が備わっているにもかかわらず、一生を通して、ある一定のパターンしか使えないのはなぜか?「こんな人生はもうイヤだ」と感じているのに、どうして変えられないのか?そんな問いを投げかけて、前回のブログをしめくくりました。

 

人格形成には、遺伝的要因(身体能力や知能)だけではなく、後天的な要因(生育する環境)がからんできますので、いったん人格が形成されると、そう簡単には変えられません。

 

でも、人格のバリエーションが実に豊富だと言うことも、解離性同一性障害の症例から理解してもらえたと思います。

 

そこで、人格を変えることのできるひとつの糸口として、冒頭で紹介した〈楽観〉と〈悲観〉という思考を、今回は取り上げます。これは、エレーヌ・フォックスという神経学者が「脳科学は人格を変えられるか?」という著書で説いています。

 

フォックス博士の研究所によると、前向きな感情〈楽観〉を起こさせるセロトニンという物質は、ある特定の遺伝子によって脳内で生み出されることを発見しました。それは、〈楽観的〉か、〈悲観的〉かは、遺伝子によって決まっていると言うことに他なりませんでした。

 

ところが、研究を進めていくうちに、これらの遺伝子は、環境によってもその働きが変化するという結果が得られたのです。つまり、遺伝子によって、〈楽観的〉な人格なのか、〈悲観的〉な人格なのかが決まっているわけではないということであり、それらの人格は、環境によって変えられるということがわかったのです。

 

人格を楽観的に変えていく具体的な方法は、おいおいこのブログでも書きますが、まずは、〈悲観的〉な脳でも、〈楽観的〉な脳に変えられることを理解してください。それが結果的に、人格を変えられることになります。

 

もちろん、最近流行の「ポジティブ思考」を、ここであえて取り上げたのではありません。ネガティブな要素を排除し、ネガティブに動じない思考から、どんな人格が生まれてくるかを、あなたには考えて欲しいのです。

 

次回は、<算命学と人格>というテーマで書きたいと思っています。

 

「めざせ!ジブんワールド」講座 8月12日(日)開催

 

 

 

田坂広志さんが書かれた「誰もがみんな、多重人格者? 眠った才能を開花させる新しいアプローチ法」という本を読ませていただきました。

 

病理的な解離性同一性障害(多重人格)を、いわゆる自己啓発系の書籍で語った「限界」が垣間見られた思いです。正直、期待外れな内容でした(期待大なんて紹介しておいて申し訳ありませんでした)。

 

解離性とまでいかなくとも、〈本来の人格を人は隠している〉という発想が、この本の趣旨です。隠された(抑圧された)人格を表に出すこと、つまり、開花させることを提唱しているわけですが、どのように表に出していくかという具体的な方法については、詳しく書かれていません。僕は、この具体的な方法論を期待していたのです。

 

この本では、「普段と違った自分を、はじめは演じてみることからやってみよう」と言っています。現在の状況を変えるには、何らかの形であなた本人を変えなければなりません。

 

僕は、かねてから「人格を変えないと、人生そのものも変わらない」と考えています。

 

誰の中にも、明るい人格であったり、暗い人格は隠れています。もっと言えば、あらゆる人格が人間には備わっていて、それを表に出すか出さないかだけなのです。

 

たとえば、算命学で言えば、僕にはコミュニケーション能力の高い「石門星」がありますが、算命学を知るまでは、自分にそんな能力があるなんて思ってもいませんでした。

 

でも、それを知って使いはじめてから、自覚しはじめたのです。まさしく開花したと言って良いでしょう。

 

さらに、算命学ではすべての星の特性を身につけることで、人間力が育っていくと言っています。人間力は総合力だと。これは、過去のセミナーで幾度となく言ってきたことですが、これこそが、多重人格の極みで、田坂広志さんが著書で語りたかったことでしょう。

 

さて、人間には、さまざまな人格が備わっているにもかかわらず、一生を通して、ある一定のパターンしか使えないのはなぜでしょうか?「こんな人生はもうイヤだ」と感じているのに、どうして変えられないのでしょうか?

 

そのあたりを、次回書きます。

 

「めざせ!ジブんワールド」講座 8月12日(日)開催