競歩のキャリア | 堀田孝治公式ブログ★クリエイトJ=自分➡人財➡日本を創造する

競歩のキャリア

今日の夜から名古屋に入り、明日から2日×2回=4日連続で、


「7つの行動原則」名古屋場所です。


そしてやはりここでも、問題になるのが、私の「食事」。


アトピー完治の為に始めた


「動物性食品(卵・牛乳・カツオやイリコなどのダシまで含む)」


「砂糖(白砂糖はもちろん、ハチミツ(動物ですから)、できれば甜菜糖なども)」


を一切摂らないという食事がはたしてこの4日間も完遂できるのか・・・・・


これまでも大阪での研修や東北の旅行をクリアしてきた今、こうなるとななんだかとても楽しいゲームのようで、事前にああでもない、こうでもない、と作戦を考えるのを楽しみにしています。


無事乗り切れたかどうかは、また次のブログででもご報告させていただきます。


で、今日は何を書くかというと・・・


正直、あまりネタがないんです(笑)。


理由は簡単です。「研修」の日々が続いており、他にこれといった「経験」をしていないから。


強いて探せば・・・・そうですね、「世界陸上」ですかね。


今日は、女子マラソンをフルでテレビ観戦しました。


レースよりも私がハラハラし、堪能したのは、増田明美さんと高橋のQちゃんとの、


「解説合戦」


でした。


例によって増田さんが、きめ細かい取材の成果の小ネタを織り交ぜるのですが、今年のQちゃんはそれに負けじ?とさらにそこから小ネタを入れて・・・・・なかなかのデットヒートでした(笑)。


さて、そんな世界陸上を、またいつもの悪い癖で、どこかで「仕事」と絡めながら見ていました。


「自分に合った、仕事をしたいけど、どうしたらいいか・・・・」


「自分に合った、結婚がしたいけど、どうしたら・・・・」


よく、仲間と気楽に話しながら、そんな展開になることがあります。


〝一つ目の問い”が岐路になるな、と最近よく感じます。


その第一問というのは


「仕事をするのか? しないのか?」


「結婚するのか? しないのか?」


です。


私らの時代、特に「男子」の「仕事」において、この第1問は「なかった」です。


仕事は、無条件で「する」ものですから。


「好きな仕事ができないくらいだったら、仕事をしない」


この第1問目で、「しない」という選択肢をとれることが(将来それで大丈夫かどうかは別にして少なくとも40歳くらいまでは)、かえって問題を難しくしているような気がします。



「堀田さんは、好きな仕事が実現できて、いいですね。」


「どうやったら、堀田さんみたいに、好きな仕事に出会えるのですか?」


お世辞も含めて、そんなことをおっしゃっていただくことが、ままあります。


まぁ、「生まれ変わってもこの仕事がしたい」という本を書いているくらいですから(笑)。


で、世界陸上を見ていて、ハッと気づきたんです。


私のキャリアは、


「競歩」の選手


のようなのだと。


ここからは、なんの取材もなく、私の妄想をもとに、「競歩」をひとつのメタファーとして語りますので、その点を踏まえてお読みください。


「俺には、競歩があっている!」


と最初からビビッときて、競歩をやっている選手って、ほとんどいないと思うのです(いたらごめんなさい)。


おそらく最初は、100m走をやって・・・小学生くらいまでは通用したけど中学くらいでもっと早い奴に出会って・・・・・そこから1500mとか3000mとかの中距離に転向して・・・あるいはハードルかなんかもやってみて・・・・・・


そんなある日、「競歩」に出会ったのだと思うのです。


ひょっとしたらその出会いは、


「競歩でもやってみないか」


とある日監督から言われる、といった、本人にとってはとても残酷なものだったのかもしれません。


そしてやってみみたら・・・・・・


もちろん、最初は、あの歩き方に、体も心も相当違和感を覚えるに違いありません。


でも、陸上をやり続けるには、自分にはこれをやるしかないのだ・・・と考えてやり続けます。


何キロも何百キロも何千キロも歩いているうちに、自分の体にその動きがフィットしていることがあとからわかったり、100m走では無理でも、その世界だったら輝けることがわかってきたりして・・・・


そして、気がついたら、北京のレースに出ていた・・・・・


そんな感じではないかと、妄想するのです。



私は営業でキャリアをスタートし、夢だったマーケティングの仕事について、つぶれました。


「人事部 教育担当」


への異動は、そこには私の意志はひとつもなく、私の行く末を案じた上司たちが決めてくれました。


そこで、


「社内講師でも、やってみないか?」


とチャンスをいただき、やってみたのです。


それが、不思議なことに、今の私の「天職」になったのでした。



「パイロットになりたい」


パイロットということを経験する前に、そう思い、その夢を実現した人も、たくさんいるのだと思います。


でも、大多数の人は、実際に


「やってみて」


それがはじめて自分にあっているのかどうか、わかったのだと思います。


イチローさんの小学生の時の作文は有名ですよね(ネットで見れば、すぐに出てくると思います)。


小学生のイチローさんは、とても具体的に、プロ野球選手になること、その試合にお世話になった人を呼ぶこと、そしてそこまでの自分の努力を明確に描いています。


でもそれも、小学生のイチローさんが、それまでに「すでに何年も野球をやっていたから」描けたのだと思うのです。



久しぶりに、自分が書いた、


「生まれ変わってもこの仕事がしたい」


を新幹線の中ででも読んでみたくなりました。


ちょうど、書き始めてから、10年くらいたっているんですよね。


この10年で、自分の考えがどう変わったか、あるいは変わっていないのか、ちょっとドキドキします。


「ネタがないなら、書かなきゃいいじゃないか」


というこのブログも、未来の私の、そんな楽しみのために書いているかもしれません。


この記事を、60歳になった私は、プッと笑いながら読んでいたりして。