幸せを言葉にできる専門家 伊藤直幸です。
今日も、「世界一の幸せもの」を増やしていきますよ(^o^)
【僕の生きる道】と題して、
・自分を大切にして、
・自分本来の、ありのまま姿を取り戻して、
・素直な気持ちで「世界一の幸せもの」で生きるまでに、
悩んだり、迷ったり、喜んだり、笑ってきた【僕の人生の真実】を、赤裸々に語っています。
前回のお話はこちら
前回は、タクシーの運転手で働き始めた頃のお話でした。
自分でも、「大丈夫なんだろうか?」「稼げるのだろうか?」という大きな不安を抱えながら初めての乗務が始まった。
本当に、ドキドキと緊張していた。
不安な気持ちも、1日、1日を重ねていき、1ヶ月、3ヶ月、半年と経ってくると、僕の中にまた違った気持ちが湧いてくるようになりました。
そのときの僕は気づかなかったけれど、苦しんでいたのです。
#68●もがき苦しんでいた僕
タクシー運転手は、朝が早い。
朝の7時には、営業所を出るから。
5時45分に起きて身支度を整えて、家から営業所まで自転車をこいで20分。
営業所に着くと、制服に着替えて、アルコール検査を受けて、車の点検。
7時前に出庫前の朝礼があり、伝達に注意事項、「事故を起こさないように!」と言われる。
これが終わって、ようやく営業所を出れる。
営業所を出ると、それぞれが営業活動している地域に向かって走る。
得意にしている地域(お客さんを乗せやすいエリア)があったり、予約業務があったりとそれぞれの思惑がある。
入って間もない僕は、無線で営業(お客さんを迎えに行くこと)がないので、1日、ひたすら街中を走り回ることになる。
記憶がないけど、朝の7時から夕方の6時ぐらいまでで、約160kmほど走った。
トイレ休憩か、コンビニに寄るか、お昼ご飯を食べるときに休憩するぐらい。
車で走ることは苦ではなかった。
タクシー運転手の悩みは、トイレ。
トイレがないからと言って、どこでも立ちションをするわけにはいかないし、コンビニがあればいいけどなければ探さないといけない。
今だから言えるけど、トイレがないときの緊急用に、空のアルミ製のボトル缶(コーヒーが大容量入っているタイプ)を携帯していた。
「トイレがない!」「でも、オシッコが出そう!」というときに、この中にオシッコをした。
それも、タクシーの中で!!
笑えるんだけど、それほど必死だったワケ。
1日の売上ノルマがあって、1万7千円をクリアするために走り回っていた。
ノルマがクリアできないと、手当が加算されない。
ちなみに、タクシー運転手の給料は大まかに言うと、売上額の半分ぐらい。
月間50万円をあげれば、23万円が支給額で、社会保険、税金、何とか会費とかを引かれて20万円あったかどうか、、、
ただ、時間給に直してみると、実は、アルバイトとさほど変わらない。
なぜなら、走っている時間だけじゃなくて、営業所を出るまでが仕事だから。
営業所に帰ってきても、売上金を報告しないといけないし、車の清掃もしなくてはいけないので、どうしても1時間はかかる。
日によって、営業所に帰ってくる時間も違うけど、12時間は拘束されていることになる。
結構、大変なことをしていたと思う。
大阪市内は、タクシーの数が多い。
今は、規制があってから台数が少なくなったけど、その頃(10年前)は、空車のタクシーの後に、空車のタクシーが続くというのはザラだった。
だから、空車のタクシーの後ろを走らないとか、交差点では先頭になって停まるとかのテクニックも必要だった。
そんなことをしながら走っていても、ただ走っているだけではお金にならないので、「考えて走る」ということを次第に憶えていく。
人がたくさんいそうな場所、時間帯、行動などを読みながら流す。
「サラリーマンが多そう」とか。
まぁ、ある意味、営業所を出れば車1台で稼ぐ「小さな個人企業」のようなものだから、何となくでは稼げない。
ホント、よくやっていたな、というのが本音。
決して、運転するだけの楽な仕事ではないと、体験した僕は思う。
仕事を始めたときは、分からないことだらけで不安な気持ちも、1日、1日を重ねていき、1ヶ月、3ヶ月、半年と経ってくると、僕の中にまた違った気持ちが湧いてくるようになった。
朝、僕は大抵、確実にお客さんを乗せるために、「梅田・阪急三番街」のタクシー乗り場へ向かっていた。
通勤のラッシュアワー時間帯は、ひっきりなしにお客さんが乗るから。
ここに並んでいれば、間違いなく乗ってもらえる場所。
近距離が多いので、初乗りの660円のときもあれば、1500円のときもある。
ただ、間違いなく、今日の売上が稼げるので安心ではあった。(もちろん、ノルマ達成というのはあるけど)
あるとき、タクシー乗り場の列に並んでいるとき、ふと思ったことがある。
サラリーマンの人がわんさかと仕事場へ向かっていく姿を見て、「あ~、あのときは良かったなぁ」と思った。
あんなにも、つむら工芸にいるときは、「あんな姿(晴れ晴れとした顔=もう仕事をしなくてもいい、清々とした顔=本当はやりたい仕事ではなかった)」にはなりたくない、と思って転職をしたのに、
「本当はやりたくない」と無意識では感じていたんだと思うけれども、タクシー運転手として働いている自分が惨めに感じた。
「情けない!」だった。
タクシー運転手の仕事に対して、劣等感を憶えていた。
自分の中に、「この仕事だからいい」、「この仕事はダメ!」というのを作っていて、自分自身に対してレッテルを貼っていたんだと思う。
このときに僕がしたのが、「未来に向けての自分への手紙」だった。
それは、「今の自分から抜け出したい!」という、自分への励まし、希望でもあった。
このときの僕は、本当にもがき続けていて、苦しかったんだと思う。
そうすることで、何とか自分の心を保っていた。
そうでもしないと、苦しくて苦しくて仕方がなかったのだと思う。
次回
>> #69「痛みと苦しさに慣れた僕」
お会いできるのを楽しみしています!