最近すごく思うことがあるのですが、

 

旧世界の常識で生きている人と

 

新世界の常識で生きている人は

 

まるで会話がかみ合いません。

 

 

 

たとえば、

 

旧世界の人が、

 

「仕事がしんどいので、辞めたいんです」と言うと

 

新世界の人はこう言うでしょう。

 

「え、辞めたら?」と(笑)

 

 

 

それに対し、旧世界の人はこう言います。

 

「そんな、辞めたらって簡単に言いますけど、わたしは…△×■※●●…」

 

 

 

はい、会話破たん。

 

 

 

なんでこうなるのか疑問だったんですが、

 

最近わかりました。

 

それは、

 

生きている常識

 

前提が違うからです。

 

 

 

旧世界の人は、

 

お金が何よりも大切で

 

自分のやりたいことやいのちよりも上で

 

自分はかわいそうで

 

なんにもないと思っています。

 

 

 

 

対して新世界の人は、

 

自分のワクワクが何よりも大切で

 

やりたいことをやることが大切で

 

自分は神さまの分け御霊で

 

なんでもできると思っています。

 

 

 

だから、

 

「仕事辞めたいんです…」というひとことの中に

 

「わたしはクズで価値がなくて、労働をしなければ食べていけない弱い存在と言うことを信じているんです。だから、自分の気持ちが乗らなくても、嫌でも、働かなければいけません。だってそうでしょう。わたしは小さい頃から、あんたはダメねと言われて育ちました。ええ、わたしには何にもありません。だから、会社で怒られたとき、やっぱりなって思うんです。やっぱり、わたしには何にもないんだ、才能も、価値もないんだって。かわいそうでしょう、わたし。こんなに弱いんですよ。こんなに弱い人間だから、仕事を辞めたいと思っても、できるはずがありませんよね。ねえそうですよね、そうですよね。」

 

が含まれているからです。

 

それに対して新世界の人が

 

「え、辞めたいならやめれば?笑」と軽く言おうもんなら…

 

旧世界の人は、こう受け取ります。

 

「やっぱり!あなたもそうやってわたしをバカにしてるのね!仕事を辞めて、食べていけるはずがないじゃない。だってわたしにはなんにもないし、価値がないろくでなしなんだから!あなたにはわからないでしょうね。わたしは小さい頃からあんたはダメねって言われて育ってきたわ。うちの母親だってそう。だから、世の中のために、立派な人になりなさいと、たくさん勉強させられた。本当は頭が悪くてついていけなかったけど、お母さんが喜ぶならと思って、必死に頑張ってきたのよ。この会社だってそうよ。世間から見たら、大企業じゃない!ここを簡単にやめられるわけないでしょ。だってわたしには何にもないんだから、大企業の看板がなくなったら、本当にクズってばれるじゃない!だからそんな簡単に辞められるはずがないのよ!!!」

 

と(笑)

 

新世界の人はどうかというと、

 

「え、なんで好きじゃないのにやってるの?あなたは光の存在だよ。何にだってなれる。どうしてそんなに深刻な顔をしているの?あ、お昼に食べたトムヤムクンが辛かったのかな。あれ酸っぱ辛いよね。まあとにかく、君には希望しかないじゃないか。さあ羽ばたけ友よ!」

 

という前提で

 

「辞めれば?(半笑いで)」となるわけです。

 

 

旧人類と新人類は、

 

信じているものが、ちがーう。

 

 

だからコトバ、つうじなーい。


インディアン、うそつかなーい。

 

旧世界の原始人の真似(笑)