こんにちは😊

今日は、なぜ私が医師でありながら統合ワーカーになろうと思ったのかを、書いてみたいと思います。

一番最初の自己紹介のところでも書きましたが、私は小さい頃(幼稚園くらい)から、自分って「普通」じゃないのかな?🥲と、生きづらさを感じはじめました。

小さい頃、タイツやセーターが、気持ち悪くて仕方がない、とか。

ピアノを練習していると、目が眩しく感じて、なぜかじっとしていられなくなったり。。

 

まわりからは「???」という顔をされました。

学校の合唱のとき、じっと指揮者をみているのがつらく、どうしても顔を触ったりよそ見をしたりと動いてしまって、

先生にみんなの前で叱られたり。(合唱の時は動かず指揮者をみるのがよいとされている学校だった。)
普段から真面目だった私が、わざとダメなことするわけないのに、、

動きたいわけじゃないのに動いてしまうのに、、

先生からは理解されないどころか、みんなの前で名指しで叱られて、

当時ものすごくその先生に怒りと、悔しい気持ちを抱きながらも、

自分でもなぜじっとしていられないのか原因がわからない怖さと、

どうすることもできず、とても苦しくて悲しい気持ちになったのを今でも覚えています。

合唱は、朝と夕にあり、毎日毎日その合唱の時間が苦痛で仕方がなかった。

全校生徒の前でクラスで合唱を発表する日なんかは、自分がじっとしていられるのか、不安で仕方がなかった。

幸い、ピアノが弾けたので、可能な限りピアノ伴奏に立候補することで、その不安と苦痛を回避していました。

あの頃は、発達グレー、HSP、原始反射残存という概念がまだまだ認知されていなかったから、その先生も、知らなかったのでしょう。(それか、知っていたかもしれないけど、怒って無理やり直させようとするしか方法を知らなかったのかもしれない、、。)

今振り返ると、反射の残存(固める反射+モロー+首の反射など)で説明ができそうな事柄ですが、
小さい頃の私は、これらのことが、どうして周りのみんなが平気そうにできているのか、不思議でたまりませんでしたし、勇気を出して打ち明けて相談してみても、わかってもらえず、絶望的な気持ちになっていました。
そんな「私って普通じゃないのかも、、🥲」という小さな心に湧いた不安な気持ちや怖さを誰にも言えず、ずっと抱え込んでいました。

こんなふうに、反射が残存していると、普通の学校生活が、反射が統合している人にはなんてことない場面が、

ものすごく不快だったり苦しく感じる場面と化します。

ありがたいことに私は勉強も運動も得意な方だったし、友人にも恵まれていたし、困りごとはありつつも、時に耐えたり、時にうまく知恵を使ってだましだましカバーしながら、人並みの集団生活はできたので、なんとか学校には通学できていました。

生きづらさをかかえながらも頑張った甲斐もあって、医師にもなれました。

 

また、上で書いた例以外にも、私ってみんなと違うな…と感じるような困りごとを抱えていることは、ひっそりと隠して生きてきたので、周りからは、恵まれた人として見えてきたかもしれません。(鋭い人は気づいていたかもしれないけど。)

でも、日々の日常でも、困りごとを回避するエネルギーが人より余分に必要だから疲れるし、心の中はどこかずっと苦しかった。

何より、なぜ自分だけみんなと違うのか、なぜこんなに生きづらいのか、その原因がわからない、解決方法もわからない、ということを絶望的に感じていました。



長くなるので、次記事につづきます😊



 

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