コミュニティでの疎外感て経験ありますか? | ベアトリーチェ かづこ ヴィクトリアの目覚めのタロット

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コミュニティ=入っている箱です。
そこにいることが幸せなコミュニティなら何をしたってうまくいくし、幸せなのだと思います。
そんな箱を作って多くの人の役に立ちます!

素敵なコミュニティ作りとかタイトルに入っていますが、もともとそういうものに飢えていたのだと思います。

 

それは小学校の高学年の時にクラスの強い女子から仲間はずれにされたことがトラウマなのだと思っていました。

 

自分の好きなことを自由に言ったり、授業中手をあげて目立ってはいけないんだ、とその時は直感的に思いました。

 

大人しい子は好かれていたから。

 

ボスと追従する子、それ以外はグループには存在できないんだ、という思い込みが作られた瞬間です。

 

中高大学時代は、周りに合わせながらもマイペースでうまくやってきました。

 

ボス的な存在がいなかったことも幸いでした。

 

でも子育中、ママ友の中で何度も何度も疎外感を味わいました。

 

ボスママがいつもいて、グループがいつの間にかごちゃごちゃして・・

 

私自身も誘われても文句を言いながら参加したり、誘ってもらえないとひがんだりしていることが多かったです。

 

学生時代は似たようなタイプしか友達になる必要がなかったのですっかり感が鈍っていたというか、子供が絡むと恐ろしいと何度も思ったものです。

 

仲良くしたいのに、いつの間にかグループができていたり、子供が仲良くないと何となく疎遠になったり、陰で悪口いったり、あることないこと言われたり、あ~、こういうこと本当にあるんだ、と思いました。

 

子供が大きくなってからも、どこへ行ってもこの疎外感はありました。

 

別に意地悪されたりとかはないのですが、なんか入りにくい、私なんていな方がいいんじゃないかと思うときがあります。

 

私があまり自分のことを開示したくない、というのも大きいと思います。

 

何でも正直にいうとやっぱり今でもリアルは怖いです。

 

でもいつも輪の中心にいて楽しそうな方たちって、この疎外感を一度も味わったことがないのでは?と思うのです。

 

心に傷のある人って何となくわかります。

 

ずっと輪の中心にいる人ってそれしか自分の常識にないのだろうなと思うのです。

 

いわゆるボスママとも違うんです。

 

彼女たちはとっても愛されて育ったんだな~。

 

きっと家族もいい人で仲良しなんだろうなと思います。

 

私は物心ついたころから、多分両親が変わりものだったので、近所でも親戚でも何となく奇異の目で見られているように感じていました。

 

親戚の集まりでも私以外の従妹はいつも会っているようですでに仲良し。

 

近所でもうち以外のママたちは一緒にお買い物に行ったり家を行き来している。

 

そういう記憶から、自分はみんなとは違う、仲間に入れないという思い込みが深く潜在意識に刻まれたのだと最近気が付きました。

 

原点は小学生の時の仲間外れではなくもっと小さいころだったようです。

 

そこで、「うちの両親はすばらしい、大好き」と思えなかったのでどんどん嫌だな~という思いにエネルギーを注いでしまったんですね。

 

でも、無理して気の合わない人と付き合うこともなく、好きなように生きた両親は別に不幸でもなかったし、自分に嘘をついていない人とも言えます。

 

周りの顔色を伺わない両親は実は祖父母からとても愛されていました。

 

だからある意味「何をしてもOK!好きなことしてOK!」という思い込みがあったのかもしれません。

 

それは時として「わがまま」にもなるのでちょっと生きにくい性格だったと思います。

 

私はマイペースで生きたいけれど「顔色伺い」の思い込みとともに生きてきました。

 

(それでも周りにはマイペースと言われます。本性はバレてますね)


主人も私も、周りに合わせて嫌われないように、みんなと仲良くね~と言う子育てをしてきました。

 

先日主人が息子たちにやたらと「もっと周りに気を使え、付き合いを大事にしろ」と執拗に言っているのを聞いてちょっと不自然、違和感を感じました。

 

 

そういうのって強要されることなのだろうか?

 

 

何のために?

 

 

私は何が好きなんだろう?

 

 

私はどんな人でありたいんだろう?

 

 

それを考えたとき、

 

 

私は一人も好きだけど、誰かと何かをやるのも好き、みんなで何かをするのも好き。

 

 

私は人との調和の中で自分を思い切り表現する人でありたい。

 

一人ではできないことも誰かと一緒に楽しむために

 

相手の気持ちを考えたり、相手の気分がよくなることを選んでいます。

 

 

これが明確になれば、相手に合わせるとか気を遣うとか空気を読むとか言う表現はしなくなるし、

 

 

無意識にそういう行動がとれるような気がします。

 

 

母親は自分だけが幸せならいい世界に生きていました。

 

 

父は外ずらだけが良ければいい世界に生きていました。

 

 

私にとっては二人とも勝手でした。

 

 

私の中にも「自分勝手」ってたくさんあるのですが、

 

 

私は人との調和の中で自分を思い切り表現する人でありたい。

 

 

ということがコミットとして存在し始めたので、

 

今まで「自分勝手」と言われていたようなことが

誰かのためになったり、行動が早いね、と言われたり、自由でいいね、断れるって素敵、充分やってくれてるから休んでいいよ、と言われるようになりました。

 

人の気持ちを先回りして思い悩むということもなくなりました。

 

で、疎外感を感じることがあまりなくなりました。

 

誘われることも多くなったし、誘われたらできるだけ喜んで行きます!

 

なるべく行きます。

 

 

気乗りがしないことに誘われることってあまりないのですが、物理的に無理な時、計画に無理があるときはちゃんと断ります。

 

 

 

一人でいるのも好きなのだし、タイミングが合えば誰かとひと時を楽しめばいいし、仲間に入りたければ入りたいといえばいいし、何でも自由に選べばいいのです。

 

 

 

 

何かしらんけどうまくいく??

 

あれっ?どこかで聞いたような・・・ナンカウマ・・・音譜

 

 

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