昨日の記事 とも関連するのですが、
人は慣れ親しんだことを変えるのに抵抗があります。
「私は変わるんだ!」と決めて、マスターコースやセッションや他のブログや本でいろいろ学んで、
思考の修正したり、
要らないものを手放したり、
ポジティブに物事をとらえたり
それでちょっといいことあったぁ!って喜んでいたのもの束の間
「あれ、なんでこんな嫌なことが起るの」
「何だか前と同じような負のスパイラルに陥る予感」
という現実が起ったりしませんか?
特にいろいろわかり始めて気づきやすくなると、待ってましたとばかりに期待を裏切る出来事が
あったりしました。(私の場合)
もういや!!っと我慢できなくなって、相手がいる場合は怒鳴ってしまったり、不機嫌になってしまったり、「もう潜在意識とかわかんない。うそばっかり」とイライラしたり、
何?何?また私が悪いの?どこが悪いの?と自分を責めたり・・・
前と同じように、原因を外側に探してみたりして、いつの間にか「どうせ変われないんだ」に
舞い戻ってしまったりします。
ほんとは少しづつ、らせん階段を上ってきたのに、こうなるとエレベーターで地下まで下りてしまう
のでまた、マイナスから積み上げなくてはなりません。
変わりたくない潜在意識の思う壺です。
慣れている人間関係や住み慣れた場所が居心地いいように、
実は潜在意識も慣れ親しんだ「人のせい、愚痴、傲慢、ジャッジ、怠惰」のほうが楽ちんで心地よいのです。
思考の揺り戻しなんていう方もいます。
私はこれは潜在意識からの「確認テスト」だと思っています。
ほんとに変わりたいの?本気?
やっぱり変わらないほうがいいんじゃないの?
と聞かれていると思うようにしています。
まんまと何十回も赤点とりました
今は「あっ、来たね、抜き打ちテスト」です。
目の前の人や現象はただその役割を演じてくれているだけです。
それ以上でもそれ以下でもないので、ここでも深読みしないほうがいいです。
相手の心を読もうとしてもドツボにはまるだけです。
抵抗があるのは最初だけ。
嫌だな、不快だな、という気持ちを受け止めて、要らなければ手放す。
手放しても手放してもそう簡単にはなくならないし、これで終わりもありません。
そんな世界にいるから、楽しいこと、うれしいことも感じ取れます。
カッーっとなっているときに言葉や態度に現すと一気に高速エレベーターで地下深く下降してしまいますので、ぐぐっと飲み込んで一呼吸置く(トイレに行く、ノートに書き出す)。
逆に一人で怒ったり、悲しんだりしていても、潜在意識と対話できていれば大丈夫!
なんでこんなこと起るの?
どうすればいいの?
と自分に問いかけると答えが返ってくるかもしれません。
たぶん、最後は「もうこの現実は味わいたくないなぁ、この思考いらないなぁ」に落ち着くと思います。
それを繰り返すことで「本気で変わりたい」と潜在意識に刻まれていくのだと思います。
ローマは一日にして成らず。
でも途中の景色も今しか見られないなかなか良いものです。
トンネルを抜けるようにある日突然道が開けるかもしれないです。
みんな行く先は違っていて、見たことのないような素敵な景色がきっと待っています