今日は、私が本来の自分を取り戻すために、初期の頃始めた『娘のコントロールを手放す』ことについて書かせていただきます。
私は、娘をずーーっとコントロールしていました。
例えば…
明日、体育着持っていきな〜とか
テスト近いけど、勉強は進んでるの?とか
化粧水少くなってきたから今度買いに行こうね〜とか
スマホをやり過ぎると目に悪いよ〜とか
明日は旅行だから早く寝ようね〜とか
これって一見、子どもを想いやる優しい母親っぽいですよね。
でも所詮「っぽい」だけなのです。
これ、全部コントロールなのです。
全て、自分の思い通りに娘を動かそうとしている言葉なのです。
体育着、忘れたら忘れたで良し。お友達に借りるだろう。そして次からは気をつけるだろう。
テスト勉強をしなくて点数が悪かったら自業自得。次からはやるだろう。
化粧水、欲しかったら自分から「買いに行きたい」と言うだろう。
スマホ、やりたいだけやれば良い。私だって沼のようにスマホにハマるときが在る。
翌日旅行のときは早く寝るって、私の勝手な思い込み。行けりゃあ良いじゃん。
私は、娘をコントロールしまくっていました。
お恥ずかしい話、時間割通り教科書をカバンに入れていたり、テスト勉強においては問題を出して答えさせる、なんてこともやっていたし、スマホの時間はきっちり管理していたし…
もうね、数え始めたら無限…。
極めつけは、物事の捉え方、考え方までコントロールしていた。
私は娘のため、と想って、優しさだと想ってやっていたのだけれど、これって真逆。
これじゃあ、娘は私に依存するだけで、娘の自己決定心は全然育まれない。
これは、ただ、自分が安心したいだけ、というエゴ。
娘のため、とか言っているけれど、突き詰めていくと「私の望むような娘」に仕立て上げたかった…だけ。
これに気が付いたとき、私は娘に対してとんでもないことをしていたんだ…って愕然とした。
でも今気が付けて良かった…って。
だから私は意識的に娘への対応を変えていきました。
言いたいのを我慢しまくりました。
でもね…
言わなかったら娘が恥をかくのではないか…
言わなかったら娘が損をするのではないか…
言わなかったら娘が困るのではないか…
って、グルグル感じて怖かった。
でもね、これって…
娘をが恥をかいたら「私」が恥ずかしい
娘が損をしたら「私」が損した気分になる
娘が困ったら「私」が面倒
って、ぜーんぶ自分のためにやっていたこと。
『娘の人生』なのに、「私」が、私のしたいようにコントロールしていたんだ。
娘の人生を「親だから」という権力を振りかざして、コントロールしていたんだ。
娘にとったら、母親は絶対的な権力者。
食事や生活など、自分の世話をしてくれる人だから。
私に従わなければ、生命に関わるもんね。
私はね「親」であることにあぐらをかいていたんだ。
だから、私は本当に必要な「親」の役割だけをしよう!って覚悟した。
娘へのコントロールを、今、手放そう!って覚悟した。
怖かったけれど、ここで私が私の枠を越えていけば、絶対に何かが起こるって確信が在った。
だから、それを信じて、怖いけれどやり続けた。
結果、娘は忘れ物が多くなったし、テストの範囲を把握しきれなかったりしましたね。
娘も、私が突然、自分に指示を出さなくなったことに気づきましたよ。
そりゃあそうだ。
私の場合、娘のあらゆることに気を配っていたから、あらゆることをコントロールしていたんだもん。
でもね、自分が忘れ物をしたり、物事の把握が出来ていないことに関して、娘は「お母さんが言ってくれなかったからだ…。」なんて、これっぽっちも感じていなかったんだ。
その逆でね、自分で自分のことをやることがすごく良い感じだ、って言っていました。
気が楽だ、って言ってました。
そして、娘は自分のことを自分で責任を持ってやるっていうことを、自由にやり始めたんだ。
娘に、やっと自分で自分の人生を選択する環境が用意されたんだ。
「娘のために」と始めたことなのだが、私にも非常に大きな変化が表れた。
私は、娘へ気を配ることが激減したから、自分と向き合う時間が格段に増えた。
だから、自分のために学ぶことや、行動することが軽やかにできるようになった。
ここから、私はたくさんのことを学び、行動する習慣を手に入れた。
お子様に対するコントロールを手放すこと。
これはとっても価値のある行動です。
お子様の心も、ご自身の心も解放されます。
私もより一層、娘へのコントロールを手放すことを続けています。