ウォーキング中の、学校からの着信。
もしかすると学校で娘が倒れたのかもしれない…と身体が一気に震えだした。
去年、娘が痙攣を起こしている映像が鮮明に現れた。
怖くて受話ボタンを押せない。
でも、すぐに娘を助けに行かなくちゃ!という焦る気持ち。
少しのためらいの後、震える指で応対をした。
担任の先生からの連絡は、私の勝手な想像とは違い、娘の学校生活のことであった。
ホッとした私は道端で腰を抜かしてしまった。
良かった…良かった…って。
でも、先生からのご連絡は、良かったとは違った。
娘は授業中、居眠りをしていることがほとんどであること、体育では走ることはおろか、歩くことさえままならないほど衰弱している、ということ。
近日中に行われる体育祭で行う大縄に関しては、一度も跳ぶことができず、自ら抜けたということ。
クラスリレーに関しても、走ることは不可能だと思います、とおっしゃっていた。
職員会議で娘の状態のことを話し合ってくださったそうだ。
つまり、もう誰が見ても娘の状態はおかしいと感じるということ。
学校には低体重であることは報告してあったのだが、摂食障害だとは伝えていなかった。
そうか…
やはり娘はかなり衰弱をしているんだ…
私はね、わかっていた。
だって誰が見たって痩せすぎているし、自宅でもウトウトしていることがほとんどだし、動きも遅いしね…。
でもさ「もう少し食べないと体力がなくて辛くなっちゃうよ。」とか言えないじゃん。
だって、それ言っちゃったら私の目指す克服・完治の道筋と違うじゃん!ってさ、自分の本当の気持ちに蓋をしていたんだよね。
だから、私は娘のやりたいように任せていたのにさ。
でも、これって間違っていたの?
じゃあ、どうすれば良いんだよ‼
って、また絶望感にさいなまれたんだ。
あぁ、もう、入院させるしか道はないのかもしれない…
そう感じ始めたんだ。
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今、苦しいお気持ちを感じておられるをお母様へ。
摂食障害のお子様に「もっと食べろ。」「食べ過ぎ。」というお声掛けは、状況を悪化させてしまう可能性があります。
お子様のことを想っての言葉であることは、私には痛いほどわかります。
でも、もしかすると、その言葉は『自分が安心したい』気持ちから出たのかもしれません。
私の場合、正直在りました。
もちろん、お子様のことを想ってから出る感情も含まれていることは確実です。
そりゃあ、言いたいですよね。
「食べて!」って。
でも、摂食障害は心が辛くなっている状態。
その苦しみを食べることに投影しているのです。
だから、摂食障害のお子様を本来のお子様に戻すためには、食べることではなくて、心を安心させてあげることが第一なのだと私は感じています。
お子様の本当の気持ちに寄り添うこと。
お子様の全てを認めること。
何をしても、何をしなくても、あなたを愛しているということを伝えること。
それが本当に大切なことです。
ただ、生命に危険がある場合はこの限りではありません。
適切な処置をしていただく必要があります。
お子様のやることを信じて見守る。
お子様のやることを「いいね〜!素敵だね!やってごらんよ!」と全て認める。
これだけで、お子様の心はかなり喜び、安心を感じるのではないでしょうか。
ただ、全てを認めることはなかなかハードルが高いですよね。
私も「食べるも食べないも、あなたの好きにして良いよ。」と娘に伝えることが本当に怖かったですもん。
でも、やって良かった。
私の場合は、そう感じます。
ですから、やってみる価値はあると想います。
やってみれば何かが変わる…かも。
だから、やってみる選択をすることは、奇跡を起こすかもしれません。
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