筋トレはしないでね、と伝えたのに、それをいとも簡単に破ってしまった娘。
私はショックだった。
悲しかった。
もしかすると憎しみを感じたかもしれない…。
主治医と精神科の医師により、娘に対して昨晩の行動についてのヒアリングが行われた。
私は同席する勇気がなかった。
娘が責められているのを(先生たちは責めていないけれど、当時の私には「責めている」としか捉えられなかった。)見たくなかったんだ。
先生たちが娘にどう伝えたのかはわからない。
でも、娘がショック状態に陥っているだろう、ということは容易に想像がついた。
私は病室に入るのをためらった。
先生たちのお話を聞いて、娘がどう感じたのか、どんな精神状態になっているのか…目の当たりにするのが怖かったんだ。
でも、私は彼女の一番の味方でありたい。
落ち込んでいるであろう娘に寄り添いたいという気持ちで、娘に逢いに行った。
娘は布団を頭から被っていた。
泣いていた。
しばらく黙って側にいたのだが、思い切って声をかけてみた。
娘は「話したくない。一人になりたい。」と言った。
だから私は黙って病室を出たんだ。
悲しかった。
虚しかった。
私は、娘の心の拠り所になれていないんだなって。
私はいらない存在なんだなって。
その日から、私は食事がほとんど採れなくなった。
私もガリガリに痩せて、娘の境地に達してみよう、そんなバカげたことを感じていた。
その後、数時間後のお昼の時間に、再び娘の病室へ行った。
娘は「1人で食べたい。食べることは絶対に続けるから心配しなくていい。」と無表情に告げた。
そして「とりあえず夕ご飯までは一人でいたい。」と言われた。
私は言われた通りにした。
私も主人も、娘のために毎日、面会時間の開始から終了時間までいるのに、娘は自分勝手だなって感じてしまった。
今思えば、こう感じること自体、私の勝手だよね。
だって、面会時間をフルで居るって、「一緒にいてあげたいから」とか「少しでも楽しい想いをしてくれたら良いな」という感情と同時に「娘を『監視していなければ』」という感情があったんだから。
つまり、私は娘のことを全く信じていなかったということ。
今ならわかる。
娘の過活動は、私の「あなたを信じていない」という思考が現実になったということ。
あのときの私は、娘を信じてあげていなかったなぁ…。
母親に信じてもらえないって、これほど辛いことってないよね。
私と主人は、夕ご飯までの長い長い時間を、ただただ座って過していた。
私は、その間、ずっとずーっと自分を責めていたんだ。