「そのものか、そのもの以外か」
これはシーランドの言葉でございます。
これに気がついたのは一昨日のことで(笑)
僕は何かを選ぶ時に、
「そのもの」よりも「そのもの以外」を重視しているのだと気がついたのです。
例えば僕は住む家を選ぶ時に、
部屋の間取りや、立地なども気にしますが、
それらと同じくらい「そこに住んでいる人たち」を気にします。
なので、めっっっさいい物件であっても、
自転車置き場が乱雑だったり、ゴミ捨てのルールが守られていなさそうな張り紙が多かったりするとそこは契約しないし、
逆に、共用部が綺麗に使われていたり、住んでいる人の雰囲気が好みだったりすると決め手になったりします。
飲食店とかでも、
お店のクオリティとは別に、そこに来ているお客さんを無意識にかなりチェックしていて、「お店そのもの」よりも「そのお店に引き寄せられている人たち」の方を重視していたり、
先日、「最近ジムに行き始めた」と書きましたが、
それも実は自分の中で決め手となっていたのが「ジムにいたおじいちゃんたちが優雅で幸せそうだったから」ということでした。
このように、僕は
「そのもの」よりも「そのもの以外」「そのものに引き寄せられている人」をかなり無意識に見ていて、そこが僕の意思決定に大きく影響を与えているのだということに気がつきました。
逆に、サッキーは「そのもの」だけしか見ていないので人によってタイプが違うんだろうな〜と。
(良い悪いではない)
僕は自分の感覚は信じていますが、自分の感覚を全く過信はしていないので、
僕が察知できないことは鬼ほどあると思っています。
「そのもの」の人やお店や物件が発している周波数に反応して集まってくると思っているので、
そのもの以外を見れば、僕が察知できない周波数を察知できると考えているのだと思います。
例えば、一般的に「スゴイ人」がいたとして、
その人が「救う!」と思っていると、救われないといけない人が集まってくるし
その人が「守る!」と思っていると、守られないといけない人が集まってくるわけですよね
(そこで共依存の関係にハマっていくわけですが)
僕はその人を見て「スゴイ!」としか感じなかったとしても、
「そのもの以外」を観察することで、僕が感じれていないものを教えてもらえると思っていて、
それを総合的に意思決定の判断材料にするみたいな感じなんだろうと。
「結果が意図」なので、
結果(そのもの以外)を見れば意図がわかりますから、
それが自分に合わないと思ったら近づかないようにしているのだと思うのです。
これは、僕のようなタイプ、もしくは僕の超個人的な感覚になるのでそうじゃない人もたくさんいると思いますが、
同じように、無意識に「そのもの以外」を重視して意思決定をしている人もいるんじゃないかと思って共有してみました。
これはなかなか面白いテーマ感じがする。
キメ顔
椎原 崇
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