「パパの唐揚げちょうだい」

先日、夕食中にオチビッタがこのような言葉を言ってきました。




近所に美味しい「唐揚げ屋さん」があるのでよく夕食に買って帰るのですが、
この日は自分の分だけの「5個」買って帰っていました。



僕は鳥の唐揚げが好きで、
「大好物」というよりは、どちらかというと「酸素」に近いレベルに達しています。




なので、

「パパの唐揚げちょうだい」



「パパの酸素ちょうだい」


と、同じ意味の言葉になるのですが、





無条件の愛というやつでしょうか、
5個入りの唐揚げの2つをオチビッタにあげました。






そのまま夕食を食べていたのですが、オチビッタが、

「パパはエビフライは好き?」と聞いてきました。





「うん。好きだよ」と、答えると、




オチビッタが、


「じゃ、唐揚げはいらないってことだからこれ(5個)全部私が食べていいってことじゃない?」


と言い出しました。























え?












と、思ったのですが、




僕の


「エビフライが好き」



「自分がパパの分の唐揚げを食べていい」と解釈したのです(笑)

(独裁者の匂いがする。。。。)







これは子供の可愛いエピソードではありますが、
実は僕たち大人もこのレベルの思い込みってしているものです。









人は見たいように世界を見て

人は聴きたいように言葉を聴きます。









同じ出来事を見て、
希望を感じる人がいれば、絶望を感じる人もいて、



同じ言葉を聴いても、
褒められていると感じる人がいれば、注意されていると感じる人がいます










人は見たいように世界を見て、人は聴きたいように言葉を聴く。






だから、もし、あなたが情報発信をしているのであれば
あなたの意図とは全く違う解釈をされてビックリすることの1度や2度は起きるでしょう。







自分が伝えたいこととは真逆に捉えられて誤解されたり、

「よくそんなふうに解釈したな、、、、」というファンタジスタに出会うこともあります(笑)







で、ここで大事なことが、

自分の意図通りに全ての人に伝わらなくてもいいということです。






これは、しゃーないのです。






もちろん「わかりやすさ」は愛情なので、

できるだけ自分の言葉で相手に伝える努力はすべきですが、






同じ絵を見て全員が同じ感想を持つわけじゃないように

同じ音楽を聴いて全員が同じ感想を持つわけじゃないように

同じ学校生活を体験して全員が同じ人間になるわけじゃないように、






人によって受け取るメッセージは違うのです。






人は自分の「信じていること」を確認するように情報を取得することもあるので、

(その人にとってベストなメッセージに無理やりにでも変換して受けているという側面もあるが)







自分は被害者だと信じている人は
何を見ても自分だけ被害を受けているように見えるし聴こえる。


自分は幸せだと信じている人は
何を見ても自分は幸せものだと見えるし聴こえます。






世界は危険だと信じている人は
何を見ても警戒して


世界は優しいと信じている人は
何を見ても愛を見出すでしょう。







ここは受け手の方が自分自身でしかコントロールできないことなのです。







人は見たいように世界を見て、

人は聴きたいように言葉を聴きます。








何を見て、

何を聴いて

何を感じるかは




完全に自由です。







なのでこちらも

「自分の意図通りに解釈してほしい」というコントロールを手放しましょう。



「相手は必ず必要なものを受け取っている」と信頼してあげましょう。











人は見たいように世界を見て、

人は聴きたいように言葉を聴く。






同じ世界で一人一人全く違う世界を生きている。








自分の世界は自分でしか創れないですから、

自分らしい世界を体現して味わっていきたいですね。




 

 

 

 





椎原 崇

 

 

 

 

椎原崇の情報はメルマガを中心に発信しています。

 

メルマガは大変多くの方に購読いただいており

「毎日メールが来るのが楽しみ!」

「マンガを読むように読めてめっちゃ役に立つ!」とめちゃめちゃ好評です!!


僕のコンサルや講座、お楽しみイベントはメルマガのみでご案内することがほとんどなので、


ぜひメルマガ登録しておいてください(*^^*)

もちろん無料で、ウザくなったら速攻解除できます。

 

 

「椎原崇公式メルマガはこちらから」↓