ぬぅうぅおおお。。。

い、、痛い。。。。



最近、お風呂上がりにゴルフボールを床に置いてそれを裸足で踏んでゴリゴリしているのですが、これがすげー痛いのです。。。


慣れてくると、ゴルフボールの上に乗れるくらいになるらしいのですが、僕は今世では無理そうです。。。



雄叫びをあげたくなるほど痛いんだけど、しばらくゴリゴリした後って
「地面に足がちゃんとくっついている感」を感じれてとても気持ちがよくなります。


そして、次の日の朝とかすげー楽になるのでしばらく続けているのです。







そう、人生で、




苦痛を選択する必要はないけど、


苦痛が付いてくるものもあります。





この「ゴルフボールゴリゴリ」も、痛くて苦痛だけど、
身体を楽にするのは必要なとだと思っているから嫌ではないのです






子育てとかもそうで、


オチビッタ1人の時に比べて、おちびのすけもいると時間と労力は格段に取られてしまいます。

でも、嫌かというとそんなことはない。



それ以上のものをヨユーで受け取っているからです。






プロ野球選手が筋トレが練習がキツイからやらないかというとそんなことはなくて、
自分が望むパフォーマンスが発揮できるんだったら苦痛だけどやるでしょう。




そんな感じだと思う。








そういうのはいいんだけど、


僕たちは「選ぶ必要のない苦痛」まで選択してしまうこともよくあります。






その理由はたくさんあるんだけど、代表的なものを今日は2つお伝えしておきましょう。






一つ目は


「自分を被害者の立場に置きたい時。」です。




これはよくあるパターンで、こちらに書いているので、
詳しくはこちらを読んでくだされ↓


 

 

 

 

2つ目は「自分を見失っているとき」ではなかろうかと思うのです






僕たちの心の中ってシンプルにできていて、




向いていることは楽しめて


向いていないことは楽しめない。




のです。








だから、




楽しいものはやったらいいし、


楽しめないものは辞めればいい。







それを



楽しいのに苦しいかように振舞ったり。


苦しいのに楽しいように振舞ったりすると、



自分が見えなくなってしまいます。








旅行でも、

勉強でも

不倫でも、

ビジネスでも、

音楽でも

サーフィンでも、

正月実家帰るとかでも、





楽しめる人は楽しんだらいいし


楽しめないんだったら、
自分には合わないのでしなければいい話で、






楽しめることだったら、少々の苦しいことがあっても楽しめるし、


楽しめないことは、単純に嫌だと感じるだけだと思います。








それを、他人の価値観や世間の価値観に合わせようとすると
自分が何を感じているのか分からなくって、自分を見失ってしまう



自分の資質的なものって人によって違うからね。
これを「みんな」に合わせようとすると苦しくなっちゃうに決まっている。





僕は詳しくないし、よく知らないけど
占星術的なことみたいな自分の資質が自覚できるようなことがヒントになるかもしれないね。







自分の「楽しめる」「楽しめない」ではなく世間の価値観に合わせ







「楽しいことを苦しい」「苦しいことを楽しい」と表現しないといけない気がしてくる







「選ぶ必要のない苦痛」を選択して生きてしまう






と、いう感じの人はまあまあ多いと思うよ。








僕たちはシンプルに



向いていることは楽しめて


向いていないことは楽しめない。








この「自分の感覚」に忠実にね。





「選ぶ必要のない苦痛」は出来るだけ排除して生きましょう^^






 

 

 

椎原 崇

 

 

 

 

幸せのプログラミング



 

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