<謙虚じゃないのに謙虚にすること>
謙虚じゃない自分をダメだから隠したいと思っている。
謙虚になろうと思っても謙虚じゃない自分をダメだと思う必要はない。
自分に無理をして謙虚じゃないのをダメだと決めたのは私。
<嫌な思いをさせられたのに我慢すること>
進んで自分を相手より下に置いている。
たまった怒りの分だけ自分を卑下。
頭の中で自分を相手より下に置いたのは私。
たとえ相手が上司でも自分の思いを伝えることぐらいできるかもしれない。
しないことで相手はたかをくくり、つけ上がってしまった。
最初にしないと決めたのは私。
<うらやむこと>
自分もそうなりたいのになれない。
そうする勇気がないのなら自分をダメだと思うのと同じ。
恥ずべきことだからしないのならうらやむことはない。
いずれにせよ自分が判断したこと。
自分の判断に誇りが持てないのなら、誰かから押し付けられた判断なのかもしれない。
<恨むこと>
一方的にやられてしまった私。
やりかえせないダメな私。
自分は傷つけられて、仕返ししたくても相手が強いので泣き寝入りしかない。
自分を守るために我慢する。
争いを大きくしたくないからしない。
それは賢明な判断。
でも相手に負けると思っている恐怖感を受け止めることが大切。
<***しなければならない>
自分を崖っぷちに追い詰める。
1回でもできないと意思が弱いと自分を責めることになる。
ハードルの高さを決めたのは私。
他の誰かに押し付けられたにせよそれを採用したのは私。
<***でいなければならない>
本当の私は違うけど認めたくない。
今の私を否定している。
今の私を恥ずかしいと思っている。
<あの人が嫌い>
自分の奥に潜んだコンプレックスを刺激する。
嫌えば嫌うほどコンプレックスを強める。
自分のコンプレックスを心の奥に追いやっていることが問題。
<至れり尽くせりな環境>
楽だからやってもらい続ける。
自分は一人では何もできないというコンプレックスが蓄積される。
<へりくだっているのに相手に素っ気なくされる>
へりくだって損したー、わー!悔しいー!
人に見下される人間だという劣等感にグサグサ刺さる。
もしも人間が一人だけだったら、劣等感という感情を創造することはできない。
人と比べて自分がダメだとジャッジしたのは私。
人にできないことを自分ができているかもしれないのに。
できない部分だけ取り上げて劣等感にしたのは私。
<自分を偽る>
本当の自分ではダメだと思っている。
なりたい自分になるために努力することと今の自分を肯定することは、その差が激しいほど両立は難しい。
胸を張って人に、今の自分は***でこれから***なりたいと言えれば両立できると思う。
<自分の欠点を隠そうとする>
欠点は隠さなければいけないと思い込んだのは私。
欠点だとジャッジしたのも私。
欠点を恥ずかしいことだとジャッジしたのも私。
<悩みを人に相談できない>
そもそも相談することが自分を傷つける。
かと言って「相談もできないほど」という事実も自分を傷つける。
恥ずかしいから人に言えない。
また、人に言えなければ克服できないなどと生真面目に考えてしまう面もある。
考え方が極端なのだと思う。
人に言えなかったら自分で受け止める。
人に言わなくても、自分が自分の気持ちをしっかりと受け止めることが大切。
人には言わない方が良いのかもしれない。
たぶん言葉にすると波動が言霊となって現実に影響するので、言う時の気持ちにより、良い方に行くか悪い方に行くかが決まるのだと思う。
<支配しようとする人>
これはカウンセリングなどには無縁の強気な人にたくさんいると思う。
人を支配できなければ自分に価値がないという思い込みを強めていく。
そういう人は悩みとは捉えないから、自分の問題に気づかず、自分と周りの人を苦しめ続ける。
そういう人は、より支配欲の強い人に出会って挫折や敗北を経験してそれを受け止めることが苦しみから脱出できるチャンスとなる。
ということは、支配しようとする人もまた、支配される人にとって自分の問題を解決するために、重要な役割を担っている。
<自己否定する自分を否定すること>
自己評価が低くてもそんな自分を受け入れることができれば安定した自分でいられる。
でも潜在意識で思っているので消そうと思っても消せない。
消そうとしたら、かわいそうな「自分」は抵抗していじけて不成仏霊みたいになって残る。
パラドックスのようですが、「自分を否定する自分」を否定することもまた自己否定。
自分をダメだと思う気持ちに罪はない。
問題は、無意識のうちに潜在意識に「自分はダメだ」と蓄積されること。
自分の素直な気持ちをダメだとは思わずに認める。
自動的な感情に任せるのではなく、その感情を第三者的に観察する。
そして「こんな自分は受け入れられない」という気持ちを素直に認めてみる。