被害妄想について〜大勢に迫害されるというイメージ | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

私には被害妄想めいたものがあって、それを

「みんな敵、誰も信用できない」

だと何となく思っていましたが、どうも違うことに気づきました。

 

「みんな敵」は、”それぞれが”みんな敵(一人一人とは1対1の関係)で心は戦闘モード。

私の場合、大勢に迫害されるのではないかという恐怖モード。

大勢に迫害されるイメージが潜在意識にある。

(これも、自分が物事をどう定義づけしているか、どういう思い込みを持っているかということではありますが・・・)

 

具体的にいうと、

 

私の思考:

食物連鎖云々から争いは自然の摂理という悲観的な見方

自分たちに都合の良いように善悪の概念を作ったと人類を批判するような思考[私も人類なのに(笑)]

大勢の人にとって不快であると私は(勝手に思い込んで)推測している

何かのきっかけで大勢対私となるにちがいない

(私は変な人、周りの人は変じゃない人、周りの人どうしはみんな仲が良いという変な思い込みがあるから)

大勢に勝てるわけない

やられてしまうに決まっている[負け犬(犬さんごめんなさい)の心境]

(人間は豚を食べて豚から恩恵を受けているのに、悪口をいう時豚を引き合いに出す)

 

こういうメカニズムで私の中には世の中に対して潜在的な恐怖があると思います。

言ったり書いたりしたら現実になるような気がして心の奥にしまってきました。

 

まずは認めましょう!

恐れも無力感も

心の声に耳を傾けて

「何となく感じていること」を言葉や文章で表して

その上で、そんな現実になんかするものか!