みんな同じとよく言われる。
そう言われると自分だけではないことに安心する。
そう言われれば確かにそうだと思う。
それを聞いて救われることがある。
「本当にそうだ、自分は間違った思い込みをしていた」と心から思えるときだ。
確かに程度や出方の差はあれ、悩みの本質は同じなのだと思う。
しかし抵抗する思いもある。
そんなこと言ったってそう思えないよ。
ホントかなあ?
だって人には内緒だけど自分は**********
こんな人いるか?
と信じきれない。
それとは別に同じと言われて、なぜだか心外な自分がいる。
ガッカリしている自分がいる。
この自分は何だ?
みんなと違うと感じているところがどういうところなのか聞いてみよう。
明らかに思い込みであると感じられても、本人を説得させられなければ意味がない。
ガッカリする。
どう感じているかを聞いて、肯定した上(人と違っていても悪くないと肯定)で、みんな共通の悩みでもある(劣等感を持つ必要はない)と伝えようか?
そうかー
まず相手は特殊で克服が困難だと思っていることを訴えたいんだ、わかって欲しいんだ。
だからそれをわかってあげる。
確かに異質だなあと肯定する方が良いかもしれない。
でもそれは悪いことではないと納得してもらう。
異質を、特質、才能として生かすことを考えてはどうだろう?
なぜ自分の症状は特殊だと感じるのか?
みんなと一緒だと言われると抵抗するのか?
「異質ではない、みんな一緒だよ」は本当にそう思えない時には、異質=ダメ、自己否定につながる。
それは、異質さ(個性)を認めて欲しい、高評価して欲しいという願望が裏にあるのではないか?
異質さを大事なものだとハイヤーセルフが気付かせたいのではないか?
弱点から長所へと、自分の特性を生かす。
本人が潜在的に求めているのはきっと自分の特性を活かすことなのだ。