心のバランスが崩れる時 | 虚飾を捨てて心に翼を

虚飾を捨てて心に翼を

生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

心のバランスはまるでシーソーのようだ

 

バランスが崩れるのは、誰の心の中にも元々ある恐怖が原因だと思う

自分の足元が崩れる恐怖

存在が危うくなる恐怖

 

人間はおそらく、恐怖という感情の使い方、恐怖の対象への対処の仕方がへたくそなのだ

 

恐怖に向かい合わない

恐怖を別のものでごまかす

それでもかろうじてバランスは保たれるが

そのうちだんだんとバランスの取り方が際どくなる

 

自分が抱える恐怖の本質を見ずに、

私は強いはずだ、大人として強くあるべきだ、という仮定を使う

 

恐怖は置いてけぼりのまま

言葉でバランスを取る

行為でバランスを取る

姿勢でバランスを取る

 

体調さえ利用する

これは恐怖じゃない、体の具合が悪いだけだ

ごまかすための理屈も作る

 

だんだん本当の自分とのギャップが大きくなる

 

 

とかく恐怖は人を迷わせる

 

仮定や理想からスタートしたら足元を見失う

理想はゴールに置いてスタートは恐怖を抱えた現実から

 

足元を作るのは、まわりの人と作る関係

 

心のバランスが崩れる時、心は恐怖で満たされ、パニックになる

今までごまかして蓋をしてきた恐怖が溢れ出す

現実という外界に押し潰され、自分の足元が崩れるイメージに恐怖する

 

バランスが取れている時、足元がしっかりしていて、外界に立ち向かうエネルギーで確かに「存在」できている

その時、イメージの中では、自分に必要なスペースの居場所が確保できている

居場所が確保できている時は、無意識に持っているイメージは周りと、力と和のバランスが取れている

 

恐怖を自分の中のどこに置いて、どういう意味付けをするのか

それは理にかなった恐怖なのか

偏った思考による理にかなっていない後付けのような恐怖なのか

 

 

理にかなった恐怖だけ、心の中の定位置に置いて、必要な時だけ使う

 

心のバランスを保つには、恐怖に限らず『心の中にあるいろんなものの置き場所』を整理することが必要なのだと思う