私は昔からちょっとしたことをするにも注意不足によるミスが多く、持って生まれた特性のように思っていました。
8年前には、大人のADHDの可能性が高いという診断を受け、ある意味安心し、注意不足であることの免罪符にしていた節があります。
最近、それは自分に都合の良い思い違いだということに気づきました。
持って生まれたものと、それによるミスは確かにあります。
でも次にどう活かすかのほうがもっと重要な要素だと思います。
そうして学習することで、持って生まれたものを意識的に是正することが可能なはずだと思います。
最初ADHDが子供の頃だけと言われていたのは、そういうことだと思います。
意識して是正するから大人になると直っている。
それでは大人のADHDとはどういうことなのか?
私自身のことなので、身につまされるのですが、
自分に甘く、直そうとしなかった。
甘い環境だったので、直さなくてもなんとかやってこれた。
と、いうことだと思います。
そして、やがてそれを自分のアイデンティティのような位置づけにするようになった。
ドジで憎めないところがある、みたいな。
具体的に注意不足を維持してきたものは、日常の動作を些末なことのように思っておろそかにする、という無意識の思い。
そんなこと練習しなくてもできるはず、できないということは生まれつきなんだと無意識で思っていた。
できる気がしないという感覚があるため、意識すれば直せるという発想がなかった。
そういうわけで今、トライ中なのですが、気付いたことは、学生時代から今まで、人の話を聞く時気を抜いてぼーっとしていることが多いということです(汗汗)。
中学時代、授業に置いてけぼりにされ、忍耐してひたすら時間が経つのを待つ(笑)という経験をしたため、全然集中できないのが習慣化されているのかもしれません。
この辺りも注意不足に関係ありそうです。
59年の積み重ねなので、簡単ではないと思いますが、努力すれば是正できるはず、と考えています。