「もうダメだ!」は新たな物語の始まり | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

意識というのは不思議なものです。

できるは魔法の言霊、言葉の力

できる!と思ったらできる物語に、だめだ!と思ったらだめな物語になる。

 

昨日までなんとかやってこれたのに、今日「もうだめだー」となることがある。

 

その境界って何だろう?

今日まさに心のバランスが崩れたということだろうか。

 

心のバランスってなんだろう?

 

自分は安全地帯にいるという感覚だろうか。

順調にやっているという感覚だろうか。

かろうじてであっても、なんとかやれているという感覚だろうか。

 

バランスが崩れるとは、思い描いてきた頭の中の世界が崩壊することだろうか。

こうでなければならないと思いつめた頭の中の世界から脱落したということだろうか。

「できる」と「無理」のシーソーが「無理」に傾いた時だろうか。

 

「できる」と「もうだめだ」の違いは「気」の違いだろうか?

「なんとしてもやりたい」と「もう嫌だ」の違いだろうか。

希望と諦めの違いだろうか。

生存本能を握りしめるか、生存本能を放棄するかの違いだろうか。

物語を続行中か、続行不能かの違いだろうか。

 

できると思うことは、心の奥に「できている自分」を強くイメージできるということなのだろうか。

 

それではなぜ、心の中だけなのにイメージすらできなくなるのだろう?

 

恐怖でブロックされている。

 

おそらく本来ならば、恐怖があっても現実的な対策を立てて挑戦できる。

それが健全な元気

それができないと言うことは、おそらく身動きもとれないほど恐怖に縛られているのだろう。

 

その恐怖はどうやって作られたのだろう?

いや、どうやって作り続けてきたのだろう?

何もしないでいることに安心して、安心し続けるために恐怖を作り続けてきたのだろうか。

そうして、安心を選び続けてきたはずなのに、いつの間にか追い詰められてしまった。

 

「もうだめだ!」

 

 

が、それだけだろうか?

 

「ダメ」になったものって、いったい何だろう?

 

もしかすると本当にやりたいことではなかったのかもしれない。

本当にやりたかったことに気づいていなかったのかもしれない

やりたくないことを止める必要があったのかもしれない。

いったん「もうだめだ!」でストップさせて、一度死んだ気になって別の物語を一から作る必要があったのかもしれない。

 

やりたくないのにそのまま続けたくはない。

でも引き返すこともできない。

走り出した船を止めることができない。

毒を喰らわば皿まで、たとえ破滅に向かおうとも!

 

それを止める必要があった!

 

 

「もうダメだ!」は新たな物語の始まりなのかもしれない。