私は”常識”を憎んでいます(笑)。
(以前会社で、私の意見が一般論からずれていたので、却下されたことがあるのだ〜(泣))(←結構根に持つタイプ、)
という冗談はさておき、常識は一般論だと思います。
一般論でも目の前の問題を解決できる可能性はありますが、目の前の問題を解決した実績はまだありません(目の前の問題はまだ解決前だから)。
一般論はあくまで参考にとどめるべきであって、目の前の問題は目の前の問題に特化して考える必要があると思います。
現行の問題は何か?→情報を集める。
改善案にはもちろんメリットだけでなくデメリットもある。→情報を集める。
しかしデメリットは工夫次第でかなりカバーできるかもしれない。→情報を集める。
一般論にはそう結論づけされた背景があります。
時代、条件、統計などなど・・・
そのケースではうまくいった。
他のケースにも応用できれば、それは素晴らしいことです。
しかし、常識となった途端、人は、無条件に受け入れ、疑わなくなる傾向があります。
脳が省エネして楽しようとするせいかもしれません。
常識から外れたものには、見向きもしないどころか嫌悪感すら抱いてしまう。
常識が、それ自体権威になってしまう。
何のための常識なのかと思うことがしばしばあります。
みんながそう思っているということは、あるいはそう自分が信じることは、強力な安心にもなれば強力な手かせ足かせにもなると思います。
何のために情報を集めるのか?
なぜそこで情報を集めるのをやめるのか?
求めるものは希望のはずなのに、なぜ希望が得られるまで情報を集め続けないのか?
常識よりも大切なのはたくさんの情報。
もちろん鵜呑みにはせず、最終判断するのはあくまで自分。
だって、自分の人生なのだから