どこを見て歩いたらいいかわからない その2 解決方法 | 虚飾を捨てて心に翼を

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ショックなのだw(ll`Ω´;)wガーン

以前「どこを見て歩いていいかわからない」で検索しても出てこなかったから、前人未到の独創的な悩みなんだって思ってたら、先日の検索ではゾロゾロ出てきた。ありふれた悩みでした!

この何十年は何だったのよ、このブログの目玉にしようと思ってたのに~

というわけでこのテーマはとっとと完結するのだ。

 

数年前一度結論に達しました。

 

それは

 

どこを見て歩いてもいいんだ!

 

でした

 

当初、なんて素晴らしい、なんて潔い、晴れがましい気分になったものですが・・・

意気揚々としている時はいいが、落ち込んだ時はそうも行かなかったので、また振り出しに戻ってしまいまった。

 

先日解決方法についに結論が出ました。

 

それは、「どうするか自分で決める」です。

そもそもこの悩みがなんで出てきたのか、考えてみると、プロフィールに書いた小学時代にクラスメートに罵倒されて、言い返せなくなったのが原点だと思います。

それまでは、言われたら言い返していたのに、それをやめてしまったのです。

でも自分は気が弱いから言い返せないのではないと、心で強く思っていたのだと思います(気が弱いのは明白なのですが)。

そんな日々の中である日、前から歩いてくる人の視線にびびったんだと思います。

自分では、臆病な自分なんて許せない。だから怖いという感情を隠すために、こんな悩みを作り出したのです。

何十年も経つと潜在意識に深く入り込み、バカみたいですが、本当に自分でも気づきません。考えればわかりそうですが、考えることも拒ませられるのです、「怖いけどそれを認めたくない」という潜在意識に。その代わり別の理屈を作り出します。そうして何がなんだかわからなくなってしまうのです。

 

潜在意識が意地を張って頑張っているのです。でも潜在意識をやっつけようなんてもってのほかです。自分なのです。ないがしろにしてもいけません。自分がいらない人間だと排除されそうになった時のことを考えてみてください。排除されないように必死に抵抗します。

 

だから顕在意識で潜在意識を癒します。

「潜在意識さん、もうそのくらいでいいんじゃないか、充分頑張ったよ、これからは一緒に壁を乗り越えて行こうよ、案外大した事ない壁かもしれないよ、その方がきっと楽だよ」

 

そしてどこを見て歩くのか自分で決めた答えは、

 

基本正面を向き、

目線は少し上、

正面から人が来たら、少し視線を左右にずらす。

一点を見続けない、目線をゆっくり動かす。

人が来たら、チラッと見る。

その際は、優しい顔をするように意識する(基本自分を脅かすかもしれない者への敵意が顔の強張りを生んでいるのではと思ったため。もちろん無用な誤解による争いを避けることにもなります)。

視線は合わせない。合ってしまったら諦める。その時動揺しても諦める。動揺や怯えを認める。

つまずかぬように足元も時々見る。

怖い人だと、決して目を合わせない。虚勢を張らない。遠回りする。

時には下を向いて歩くこともあるだろうが、ナメられるのでたまには、顔を上げる。

怯えからくるキョロキョロがおそらく挙動不審だと思うので、

上記を基本に場数を踏んで怯えを減少させていく。

 

といったところです。

 

以前はずっと下を向くか、逆に意地でも顔を上げようとしました(しばしば足元つまづきました)。顔がこわばって来るのを止めようとしても、止められない。

基本視線が合うのが怖いので、視線が合うと反射的にそらし(癖になっている)、動揺していました。

「今のは怖いから目をそらしたんじゃない」とそのあと、自分に弁解し、相手に対する逆恨みのような敵意が生まれ、ぐっと視線を上げたりしました。不自然だし、表情にも強張るだけでなく敵意が現れていたと思います。

そのため余計に悪化したのです。

 

 

 

さあ成果はどう出るでしょうか?

決めて1週間ほどなので、また時折経過を綴っていきたいと思います。