早山さくらです。
これは、わたし自身のはなしです。
私の父は、根っからのモラハラ男です。
父は、わたしたち家族に、
「お父さんは、すごいだろ?えらいだろ?そう言え!そう態度であらわせ!」
「お前は、お父さんを好きだよな?好きって言え!そう態度であらわせ!」
「お前たちはお父さんのおかげで幸せだよな?そう言え!そう態度であらわせ!」
と、常に求めていました。その求めっぷりは、異常。私は、それを、幼い頃から、わかってました。
同時に、父は、褒めていれば機嫌がいい。
と、それも、わかっていました。
ですから、私は、自分の身を守るため、家庭の平和を守るために、とにかく父を好きだ、というアピールをしたものです。とても大袈裟に。かなり演技していました。
その成果だったのだと思います。父は、私には、暴力的ではありませんでした。
でも、いっぽうで、母はもちろんのこと、きょうだいは、相当な仕打ちを受けていました。
父に、辛く当たられる家族に対し、私は、「お父さんのこと、もっとうまく操縦すればいいのに・・・」と、思う気持ちが、ありました。
その後、両親は離婚。
離婚当時は荒れ狂った父も、その後20年は、穏やかでした。
母が去ったことで、反省し、父は改心したのだろう。私は、そう思っていました。
ですから、もうすぐ80歳になる父の今後を見据え、私の夫と娘と同居を、はじめることに、不安はありませんでした。
ところが、同居後、まもなく、父は、私に、モラハラを、はじめました。
威圧。俺は怒ってるんだオーラ。妄想による責め。
「お前はどうしてそんな生き方しかできないんだ?」「どうしてそんな料理しかできないんだ?」「お前の考え方は歪んでる!!」などの、暴言。人格否定。
私は、父のモラハラをかわす方法なら、熟知していました。
父のモラハラを、気づかないふりをすればいい。スルーすればいいだけなのです。
そして、愛と感謝と忠誠を、言葉と態度であらわせば、いいだけです。
けれども、したくなかったのです。
なぜなら、いくつになっても、俺を愛せ!褒めろ!認めろ!感謝しろ!と要求する父を、心底、軽蔑してしまったから。
軽蔑する父の要求を満たすために、私の大事なエネルギーを使うなど、まっぴらだ、と思いました。
だから、モラハラ対策をすることを、選ばなかった。
その結果、とうとう父は、2歳の娘のまえで、わたしに手をあげました。当然の流れです。
おそらく、私は、その時を待っていました、無意識に。
父との同居を、解消するきっかけを、自ら、つくったのです。
そんなわけで、私に手をあげたことを理由にして、父に、家から、出て行ってもらうことに、迷いがありませんでした。
とはいえ、どこまでも、どこまでも、典型的なモラハラ男である父です。
家を出ていくぎりぎりのぎりぎりまで、「こんな老人をいじめるのか」「おれは、かわいそうだ」と、泣き落とし大作戦を、試みていました。
でも、もはや、わたしに、その手が通用するはずもありませんでした。
父は、わたしたち家族に、
「お父さんは、すごいだろ?えらいだろ?そう言え!そう態度であらわせ!」
「お前は、お父さんを好きだよな?好きって言え!そう態度であらわせ!」
「お前たちはお父さんのおかげで幸せだよな?そう言え!そう態度であらわせ!」
と、常に求めていました。その求めっぷりは、異常。私は、それを、幼い頃から、わかってました。
同時に、父は、褒めていれば機嫌がいい。
と、それも、わかっていました。
ですから、私は、自分の身を守るため、家庭の平和を守るために、とにかく父を好きだ、というアピールをしたものです。とても大袈裟に。かなり演技していました。
その成果だったのだと思います。父は、私には、暴力的ではありませんでした。
でも、いっぽうで、母はもちろんのこと、きょうだいは、相当な仕打ちを受けていました。
父に、辛く当たられる家族に対し、私は、「お父さんのこと、もっとうまく操縦すればいいのに・・・」と、思う気持ちが、ありました。
その後、両親は離婚。
離婚当時は荒れ狂った父も、その後20年は、穏やかでした。
母が去ったことで、反省し、父は改心したのだろう。私は、そう思っていました。
ですから、もうすぐ80歳になる父の今後を見据え、私の夫と娘と同居を、はじめることに、不安はありませんでした。
ところが、同居後、まもなく、父は、私に、モラハラを、はじめました。
威圧。俺は怒ってるんだオーラ。妄想による責め。
「お前はどうしてそんな生き方しかできないんだ?」「どうしてそんな料理しかできないんだ?」「お前の考え方は歪んでる!!」などの、暴言。人格否定。
私は、父のモラハラをかわす方法なら、熟知していました。
父のモラハラを、気づかないふりをすればいい。スルーすればいいだけなのです。
そして、愛と感謝と忠誠を、言葉と態度であらわせば、いいだけです。
けれども、したくなかったのです。
なぜなら、いくつになっても、俺を愛せ!褒めろ!認めろ!感謝しろ!と要求する父を、心底、軽蔑してしまったから。
軽蔑する父の要求を満たすために、私の大事なエネルギーを使うなど、まっぴらだ、と思いました。
だから、モラハラ対策をすることを、選ばなかった。
その結果、とうとう父は、2歳の娘のまえで、わたしに手をあげました。当然の流れです。
おそらく、私は、その時を待っていました、無意識に。
父との同居を、解消するきっかけを、自ら、つくったのです。
そんなわけで、私に手をあげたことを理由にして、父に、家から、出て行ってもらうことに、迷いがありませんでした。
とはいえ、どこまでも、どこまでも、典型的なモラハラ男である父です。
家を出ていくぎりぎりのぎりぎりまで、「こんな老人をいじめるのか」「おれは、かわいそうだ」と、泣き落とし大作戦を、試みていました。
でも、もはや、わたしに、その手が通用するはずもありませんでした。
父を見てきたから、わかります。
モラハラする人の根本的な性質、俺を愛せ!俺を王様として敬え!大切にしろ!は、どれほど、時が経っても、治らない。
父だって不幸なのです。空虚なのです。
でもそんな父を幸せにしてあげられるのは、他の誰でもない、父自身なのです。
父が、そのことを学べるチャンスは、いくらでもあったはずです。それでも、父は、自身の心を、深く掘りさげて考えることを、避けて生きてきたのでしょう。
結果、父は、不幸で空虚な心のま死を迎えるのだろう、と思っています。
でも!
モラハラと言っても、うちの父のような人ばかりではないですよ。
モラハラには
・一時的にモラハラになっている人
・根っからのモラハラな人
の2タイプがいます。
この2タイプとも、基本の対応策は、同じです。
一時的にモラハラになってる旦那さんなら、この対策で、モラハラをやめます。
また、うちの父のように、根っからのモラハラな人だとしても、ある程度、モラハラはおさえることは可能です。そして離婚しないで、なんとか共存することも、可能です。
ただし、対策には、根気が必要です。根気とは、覚悟。愛情です。
つまり、今も、旦那さんを愛しているなら、旦那さんのモラハラは、鎮まっていきますよ。
夫のモラハラ、暴言、不倫などへの対処法、離婚の決断、モラハラ原因となる毒親、共依存などのカウンセリングを行っています。
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