みずいろの季節に

みずいろの花が咲く

 

みずいろの夢をみて

みずいろの涙が落ちる

 

会いたくて

ただ 会いたくて

 

 

10年前に私の姉が亡くなった。

 

姉は小児麻痺の後遺症で身体に障がいがあり、未婚のまま実家の離れで暮らしていた。

姉の障がいが重いのかそうでないのか、私にはよくわからなかったが、右半身に麻痺があり右手がほとんど使えず、右足も歩く時には引きずっていた。少し言語障がいもあったが、他人との会話にも別段困ることはなく、多少は不便ながらも普通の生活を送っていた。

 

花と犬と子供が好きで、私の子供たちのこともとても可愛がってくれた。明るくほがらかな性格で、友達も多かったし、私よりもむしろ色々なことにチャレンジしていて、影響されることも多かった。

 

その姉がある時不調を訴え、子宮癌と診断された。

そして、1年半の苦しい闘いの末に旅立ってしまった。

 

亡くなる1週間ほど前、大切な人がいたら会わせてあげて、と医師から言われて親族はもちろんだけど親友のHさんに連絡した。Hさんはそれまでにも何度も病院や家に来てくれていて、「青い花が見たい」という姉の希望を聞いて何回か水色や青い花を持って見舞ってくれていた。その中のひとつがこのデルフィニウムだった。

最後の面会は亡くなる三日前、もう一度デルフィニウムを持参してきてくれた。

 

亡くなってしばらくしてしてから姉の夢を見た。

夢の中の姉はたくさんのデルフィニウムに囲まれて嬉しそうにニコニコ笑っていた。

よかった、お姉ちゃん元気になったんだ!

嬉しくて私も笑いながら手を伸ばしたところで目が覚めた。

 

この詩(詩と言えるかな?ただの呟きかも)はその時に浮かんだもの。

 

 

歩き方のおかしい姉と並んで歩いていると、多くの人が姉のことを無遠慮にじろじろと凝視した。私はそれが許せなかった。特に子供の頃それが辛くて、かと言って「何見てるねん!」と怒鳴りたかったけどそれもできず、怒鳴る代わりにじろじろと見る人を私がずっと睨んでやった。私の視線に気づいた人は大抵ばつの悪そうな顔になった。幼い私の精一杯の抵抗だった。大人になってからも結構これはやったかな。思い切って「じろじろ見ないでください」と言ったこともあった。

 

私にとっては大切な姉だった。

お互いに長生きして、私がいつか一人暮らしになったら二人で小さな家を借りて一緒に暮らそう、犬も飼おう、花も沢山植えよう、とよくそんな話をしていた。

 

でも、もう叶わない。

 

 

 




親族の長い介護・看護生活が終わり、のんびりと暮らしていた私だけど、このダラダラ生活もこの秋からは続かなくなりそう。
なぜかと言うと、どうやら地域の民生委員になることが決まったらしい。

他人事のように言ってるのは、まだ全然実感がわかないから。

 

だって民生委員って……

皆さんはどんな印象を受けますか?
究極のボランティア?ヒマな人が熱心にやる社会奉仕活動?行政の手先?


受ける印象は人それぞれだろう。


嘗て私の父親が退職してすぐにこの役にあたり、病がわかるまで10年以上続けていた。父は教師だったので、周囲の人からの「先生がやってくれるなら安心」とか「さすが学校の先生をやっていらしただけあって、頼りになる」などという声をよく聞いた。それらを額面通り受け取った私は、我が親ながらも少しばかり誇らしく思っていた。

 私にとっても、父親はいつでもどこでも、一番頼りにできる唯一無二の存在だった。



民生委員とは、そういった周囲から頼りにされる人がなるものだとこれまでは思い込んでいた。

年齢こそもう十分かもしれないけど、一体私にこのような役目がつとまるのだろうか?どうもピンとこない。


私の中では私自身は、いつまでも、徒歩2・3分の幼稚園に通うのにスクールバスに乗り、しかもしょっちゅうそのバスの時間に遅刻をして、一人で幼稚園の裏手の川に渡してある丸太の橋を渡って登園していた ( 表門は遠回りになるので ) 、クラスで一番小さい、ちょっと変わった子供のままなのだ。


今も同じ。そそっかしくて何をやっても空回りすることが多い。

外で働いたのも若い頃の4年間だけで、習い事やサークルも色々手を出すけど、どれひとつ満足にできたことがない。お世話役もよくやったけど、失敗続きで、周りの人に助けてもらってばかりで凌いできた。


こんな私なのに


…できるのかな? 民生委員なんて… (ため息)

あぁ、荷が重い・憂鬱だ…



この写真は私が通っていた幼稚園のある、某学院(幼稚園・高校・短大が併設されているので敷地はとても広い)の西側の水路。当時はこんな立派な生け垣や柵もなく、ここに丸太が渡してあり、私はその上を渡って中に入っていった。よく転げ落ちなかったもんだなぁ…




7月中旬に夫の服薬治療が終わった。マップの「達成京」にシールを貼り、ついに完走だ。

だけど、夫いわく「副作用がなかったので、「達成感がない」と言う。

副作用がないなんて、こんなに有り難いことはないけど。


服薬を始めてしばらくして、「ウィルス検出せず」の結果をもらってから、夫はすこぶる元気だ。身体が軽いそうである。

のんきな私は知らなかったが、それまではずっと常に身体がだるかったらしい。インターフェロン治療のない時でも、いつも身体が重かったという。

でも、ふつうにいや人一倍力仕事もやってたし、ゴルフだって続けていたじゃないか、とも思うのだが、だるいなりに、こんなものかと思って過ごしていたらしい。

夫に言わせると、世の中の人は皆毎日こんなにスカッとした気分で毎日を過ごせているんやなぁ、えぇなぁ・知らんかったわ、となる。


可哀想に…

毎日スカッとしているはずの私はだらだらと過ごしてこんなに太ってしまい、夫は治療のたびにどんどん痩せてしまった。身長差20センチ近いのに、体重はそれほど変わらないというかなしさ😢


服薬が終わってしまった以上、後は運を天にまかせるのみ。

空っぽになった薬入れのタペストリーが所在なげにぶら下がっているが、まだ片づける気になれない。

ウィルスよ、どうかもう二度と戻って来ないでください‼‼‼


これからは少しは夫も太れるかな?

だといいんだけどな~