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いつか夜空で

OFO's Weblog

 

何十年振りであろうか? ツェルトを新調した。

「ツェルト」は、「ビバークシェルター」とも呼ばれ、テントほど大袈裟ではないが、不意の荒天に遭遇した時、被って急場を凌ぐ為の「天蓋」である。 ・・・が、登山者の中には、これに寝泊まりする剛の者も居ると聞く。
当然、私にとっては通常使う装備でなく、万が一の為の「保険的意味合い」で山登り時に持って行く物なので、1個有れば生涯事足りると思われるが、昨今のツェルトは驚くほどコンパクト且つ軽くなった事から、思い切って買い替えた次第。
それと言うのも、今月「中央アルプス」と「宝篋山」へ行く予定があるからだ。

重さを測ってみたら、宣伝文句通り「150g」程であった。

中央アルプスならばともかく、標高僅か461mの宝篋山にツェルトを持参するの?と思われる方もいらっしゃろうが、何年か前に関東周辺の低山の山頂付近で、突然の激しい雷と土砂降りの雨に遭った経験から、どんなに低い山であっても持って歩ようになった。 「備えあれば憂いなし」だからね。

そこで、どうせ新調するならと、今迄の一人用から二人用にサイズアップした。
一人用も二人用も重量は然程変わらないけれど、内部空間は劇的に広く取れるので、大きなリュックを背負っていても楽勝である。
もっともこうした装備は、出番が無いに越した事はない。

 

山登りやキャンプを始めると、(特に男性に対して言える事かも?)早々に欲しくなる物のひとつに「ナイフ」の類がある。
ハリウッド映画の影響かも知れないが、大自然の中へ一歩足を踏み入れると、途端に腰に「ナイフ」を携えて「焚火」の傍らへ腰掛け「バーボン」を煽るのが「正調」と思えて来るのだ。

そこで、どんなナイフを買うべきか?が問題になる訳だが、ランボーみたいに矢鱈大きいのは邪魔だし、百均のキャンプ用品コーナーで売られている物ではチト寂しい。
最近のキャンパーの間では“Morakniv(モーラナイフ)”という名のシースナイフを愛用する人が多いと聞く。
刃が厚手で、薪を割る時の「鉈」の代用にもなるらしい。
が、山登り用途となると薪割り機能は不要だから、単に切れるナイフの方が使い勝手が良い。
いざ自分がクレバスに落ちた時は、ポケットから素早くナイフを取り出し、潔くザイルを切って岳友の道連れだけは回避しようと思う。 「来世で会おうぜ!」とか言いながら。 あははっ

山用・キャンプ用のナイフと言えば、昔は「十徳ナイフ」、所謂「アーミーナイフ」がその筆頭であった。
ナイフブレード以外にも、缶切りやスクリュードライバー、ワインのコルクオープナーまで付いていたりする。 使い様によっては、出来ない事は無い程の充実機能を備えているから、最初の一本として選ばれていたのだろう。
暫くすると、多くの人は自分が「ハサミ」しか使わない事に思い至り、「これならハサミだけ持ち歩けば良いんじゃないの?」という現実に気付くのだが、それを言っちゃーお終いよである。 ロマンはロマンなのだ。

"アーミーナイフ"の二大巨頭は、"Victorinox"と"Wenger"に間違いない。
だけれども私は、もう30年近くもゾーリンゲンの物を愛用している。
前者スイスの2大メーカーのナイフと比べ、こちらの方が優れていると思わせるポイントは・・・特に無い。
同様に造りは丁寧だし、ハサミの擦り合わせにガタつきも無い。 ステンレスだがら錆ないし、ブレードのロック機構もカチッと気持ち良く掛かる。
そうなると、選択の理由は唯ひとつ。 私のおヘソが少々曲がっている事くらいか?

 

通勤途上の話。
古くからの家が立ち並ぶ一帯には、「プライベートな霊園」とも言うべき先祖代々の墓所がつきものだが、その中に彼岸花の一群を見掛けた。
まるで、過ぎ行く季節を惜しむが如く咲く姿は、既に最盛期を過ぎている様子だが、開花し立てのそれよりもむしろそこはかとなしに趣がある。

彼岸花、またの名を「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」。
草の根(球根)には強い毒がある事から、土葬が一般的であった昔は、ネズミやモグラ対策の意味で墓所の周りに植えたのだろう。
お彼岸の頃に咲く特徴もまた、植える理由に適っている様に思う。
そう考えると、今年は開花の時期が遅れたのであろう。 もう10月だが、まだ見る事が出来た。
思わず自転車から降りて、数枚写真を撮る。
夕暮れ時の彼岸花も良いが、朝の斜光に照らされた彼岸花も負けず劣らず良いものだと感じた。

ここで話は急転直下、話題は「マダニ」に転ずる。
くだんの墓所は三辺を雑草に囲まれていた為、写真を撮るにはその中へ立ち入る必要がある。
脛の半ば程も伸びた雑草には、いかにもマダニが手ぐすねを引いて待ち構えて居そうで、一瞬躊躇させられた。
秋は、春同様にマダニの行動が活発化するシーズンである。
以前、散歩から連れ帰った犬の首辺りに歩き回る姿を見て、「ひぇぇぇ〜」となった事がある。
人間にもダニの様な輩は居るが、この相手は唯々吸血するばかりでなく、「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」等のウィルスを持つ場合もあるので、努々油断ならぬ。

 

またまた、懐かしいと思える無線関係の小物をひとつ購入しました。
「アマチュア無線局 局長の印」です。
記憶では、免許を取った1970年代のCQ誌にも広告が載って居り、実際に受け取ったQSLカードに押されているのを見た覚えもあります。
ゴム印に彫られた文字は、「アマチュア無線局 Amateur Radio Station JI1OFO 局長之印」。
これが「ポン」と押してあると、如何にも「貴局と交信した事実を証明す!」みたいな感じで、印章文化圏に生まれ育った身としては、なんとなく拍が付く様に感じるのです。
印鑑の直径も18mmあるので、はがきサイズ大の用紙の中で、見栄えがするのも好ましい感じです。

しかし、私は滅多にオンエアーする事が無いので(ダミーロードを繋いで試験電波を出す事はままあるけど)、活用する場は限られそう。
ましてや、JARL会員である事も止めちゃって、もしカード交換をするとしても"eQSL"だから、スタンプ台を使って押印するチャンスなんて皆無に等しく思えます。

折角だから印を画像化して、eQSLのデータに貼り付けますかねぇ。

 

電波利用料の支払いを行った。
毎年この時期になると振込用紙が送付されて来るので、決して率先的にではないが、特にごねたりもせずに払っている。
例年、都度一年分である300円を支払っていたが、他に用も無いコンビニへわざわざ立ち寄るのは面倒であり、郵便局で振り込むなどと言ったら更に手間暇を要するので、今回は局免許の有効期間である「5年分=1500円」耳を揃えて払った。

「年に300円なら安いもんだ!」という考え方もあろう。

だが、公の共有物である「電波」を使うのに対価を要求されると考えると、少々間尺に合わないとも思う。
この「電波利用料」という徴収金。 昔は求められなかった。
アマチュア無線局が行うアマチュア業務とは、あくまでも「営利・商用目的ではなく、あくまで個人的な興味のもとに行われる無線通信及び技術的研究」である。
金銭上の利益を求める「商業放送(当然NHKを含む)」じゃないんだから、電波の送受信に金銭を要求されるのも妙な話だ。
拡大的な解釈をすれば、「あなたは空気を吸ってますよね? では、空気消費料を振り込んで下さい。」と言われているのに等しくはないか?

あぁ、この文章を書きながら考えを巡らせていたら、次第に頭の中がモヤモヤして来た。
今は、こう叫びたい。 「責任者出て来〜い!」(人生幸朗・生恵幸子の“ぼやき漫才”風に)

 

もうかれこれ30年ほども前に購入した物ですが、今でも山歩きで使用しているザックがあります。
”mountain dax”の35リッターと45リッター。
シンプルにして堅牢、余計なデザインやオマケ装備など一切無し!
まさに、山用品の本質を貫く様な製品ですね。

”mountain dax”と聞いて「懐かしい!」と思われた方は、きっとそれなりの年齢層の方々でしょう。 国産ブランドだったと記憶していますが、もうその名を耳にしなくなってから結構な年月が経ちます。
海外ブランドの山用品が高嶺の花だった時代に、安価で、しかし決して質の悪くない製品を世に送り出していたメーカーで、私の様な貧乏ハイカーは大いに助けられたものです。
今は無き池袋の秀山荘で買った覚えがあり、北米大陸をバスで一周したのもこのザックでした。
特に45リッターは、手持ち荷物の嫌いな私にとって、未だ旅行の際にも大活躍してくれるので、もう購入額の何倍も元を取った気がします。
バスの荷室の扉に挟まれて開いた小さな穴や、経年による多少の汚れはありますが、一か所の糸の解れも無く現役を続けているのは特筆もので、個人的には「名品」と呼びたいくらいですね。

この世代の少し前まで、リュックサックと言えばまだまだ「キスリング」が残って居り、世に「カニ族」と呼ばれたそのスタイルを、山でも多く見掛けたものです。
子供の頃の我が家にも、キャンバス地で重い父親愛用の物がありました。
そう言えば、高校時代の山岳部の連中も、キスリングに砂袋を詰めて、ゼーゼー言いながら校舎の非常階段を上ったり下りたりしてたっけ・・・

時は流れ。 キャンバス地はナイロン地になり。 デザインは、岩場などで引っ掛かり難い縦長になり。 腰ベルトも付いて、リュックは格段に担ぎ易くなりました。
今でも、サイドポケットなどが付かないシンプルなザックを好むのは、この”mountain dax”以来の嗜好かも知れません。

 

滋賀県と岐阜県の県境に位置する、伊吹山へ行って来た。

標高は1,377 mなので、どちらかと言うと「低山」の範疇だが、滋賀県では最高峰である事、また琵琶湖を一望出来るロケーションから、「日本百名山」にもその名を連ねている。

また、山登りが苦手でも、その気になれば九合目まで車でアクセス出来るので(そん時ゃ~山頂まで100mほど登るだけ!)、訪れる観光客は少なくない。

山道も整備されているので、お薦めの山である。

 

伊吹山の一番の特徴は、山野草の種類の多さだろう。 4月初旬から10月下旬まで、時期により様々な花が楽しめる。

今回訪れた9月初旬も、多くの草花が出迎えてくれた。

写真は、その中から「サラシナショウマ」の群生。

石灰岩が主で樹木の少ないカルストの土地に、これほど多種の植物が繁茂するのにはワケがある。

日本海からも太平洋からも距離が短く、年間を通して湿度をタップリ含んだ風が吹きつけるので、カラカラにならないのだ。

今の季節は、太平洋から湿った風が吹き付け、山頂辺りは引っ切り無しにガスが這い登る。

彦根辺りでは晴れていても、ここでは雨が降る。

 

この日の琵琶湖も、僅かにガスが途切れた隙間から顔を覗かせた。

 

か~なり久しぶりに、道端に落ちている小銭を発見した。

前回がいつだったのかを思い出そうとしても判然としないくらいだから、結構前である事に間違いはない。

遭遇率は、程々低いと言えるだろう。

 

自転車は良い!

天気さえ悪くなければ、通勤の「足」は自転車と決めている。

車やオートバイの様に、常時八方に視線を配りながらキョロキョロする必要が無い。

それは、あのスピード故なのだと思うが、「人が制御出来るスピード」の乗り物が自転車なのだ。

車やオートバイは、それを超えている。

動力化された乗り物は、人間にとって半ば無理な速度域での運転操作を強いられるから、神経が疲れてしまうのは当然だろうし、また疲れない様では「注意力散漫」と言えるのかも知れない。 

 

なにはともあれ。

周囲から飛び出して来る人影よりも、むしろ道路に開いた穴や砂利に気を配る方が多いから、道端に落ちている小銭も視界に入るのだろう。

 

しかしながら。

その遭遇率が年々歳々下がっているのは、それだけキャッシュレス化が進んでいる証か?

コンビニのキャッシャーに並んでいて、現金で清算している若者を見掛ける事は少ない。

がま口を開いて小銭をジャリジャリやっているのは、自分のような爺さんか? はたまた、ばあちゃんと呼べる年代の女性くらいのもんだ。

 

どこへ行ってもアンテナやタワーが気になるのは、アマチュア無線を趣味とする者の「性(“せい”ではない)」だと思う。

 

伊豆の伊東へ行った際、大室山と小室山に登った。

「登った」と言っても、どちらもリフトに乗って上がったり下ったりしたので、正確には「上った」と表現すべきか?

とにかく。

そのどちらもが海を隔てて大島や初島、だいぶ霞んで三宅島を一望する事が出来、見晴らし抜群なのだが、特に小室山の山頂では立ち並ぶアンテナ群が目に付いた。

視界に入ると「何に使うアンテナなんだろ?」と気になって仕方ないのだ。

だからこの日も、どの景色よりも真っ先に「山頂のアンテナ群」を写真に撮った。

 

まったく興味の無い人からしたら、何を撮っているんだろう・・・と訝しくすら思えるかも知れない。

これが中国だったら、スパイ容疑でしょっ引かれるやも知れん。

されど、それを押さえられないのが、アマチュア無線家の「性(“せい”ではない)」なのだ。

 

伊豆の伊東へ行って来ました。

天気にも恵まれ美味い魚も味わえて、良い旅となりました。

 

「伊豆」とか「伊東」などと言えば、昔は鯵の干物くらいしか思い浮かばなかったものですが、ネット社会の今は、様々な食べ物の情報が手軽に得られる便利な時代です。

多くの書き込みが目に付く地元の漁師飯、「うずわめし」を私も頂きました。

 

「うずわ」とは、土地の言葉で「ソウダガツオ」の呼び名だそうで、背中にある渦の様な模様から、その名が付いたとの話です。

ソウダガツオは鰹節の原材料であり、まぁ「大衆魚」の仲間ですね。

それをミンチにし、炊き立てごはんの上に載せて頂くのが「うずわめし」です。 味は単純明快。 結構な美味さに驚かされました! 特に味変の「出汁茶漬け」がお薦めです。

 

ビジュアル的には写真のとおり、鰯のミンチと比べても色が赤黒く、魚が苦手な人からしたら「ウゲッ」と感じる外見ですが、実にイケるんですよね~これが。

決め手は、薬味の「青唐辛子」。

仙台の牛タンにも使われますが、うずわ相手でもまた良い仕事をしています。

もしもワサビで食べたなら、単なる「カツオのすり身」かも知れませんが、青唐辛子にした途端、数十倍も美味く感じる「うずわめし」になるから不思議ですね。

我が地でソウダガツオはなかなか手に入らないと思うので、近い内にカツオの切り身を用いて再現してみたいと思います。

 

さてさて。

この夜一緒に頂いた他の魚料理は、鯖の炙り焼きと鯵のなめろう。

どれを取っても、間違いのない大衆魚。

この大衆魚達が、海辺の町で美味い飯を楽しむ主役だと、改めて実感した旅でした。