【 マイナス人生だった男が家を買ったよ 】

【 マイナス人生だった男が家を買ったよ 】

食えないフリーターからデザイナーへ進化!
そして今は車と戸建ての家を持つ一般人階層へ登ってきました。
ぶらり夢の途中下車の旅(何
持たざる者フリーターから家を持つデザイナーに到った半生などを綴ったブログ。

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 前回

の続きです。

 



僕は人生というのは、
詰まるところ何のために生きているのかというのは、


広義で、魂の洗練だ、と考えるに至っていました。






でもコレ、






合ってるけど合ってませんでした(え








経験と知識を少しずつ積んでいく内、






詰まるところ、






自分が楽しみたいのか、そうでないのか、を、
選ぶか選ばないか、だけなんじゃないかと。









えっとね、









この世界と自分と高次の存在をゲームに例えると、






・高次の存在(プレイヤー)

・自分(プレイヤーキャラクター)

・世界(ゲームの舞台)

・家族や友達など関わる人たち(ゲーム設定および演出効果)






って感じでね。






この世界は仮想であると。
非常に良く作りこまれた、ゲームワールドで。

VRゲームみたいにね。



僕たちは没入するあまり、現実との境が分からなくなって、
本来の高次な自分(つまり完璧な存在がゲームプレイ中)という事を忘れ、眠り続けているのだと。



ゲームの世界に入り込みすぎて、


リアルに悲しんでみたり、
嫉妬してみたり、
悩んでみたり、

してるだけなんだと。




前回のマリオのAIの話で言うと、
監視してるのも自分なら、
操作してるのも画面に映し出してるのも、


すべて自分なのだという事。


他の誰か、でなくね。






だから人生を、






魂の修練だ!と厳しいものに感じたい人にはそういう風に。


遊園地だ!と楽しいものに感じたい人にはそういう風に。


暗いものだ、と悲しみに浸りたい人にはそういう風に。



自分自身で、世界を映し出してるし構築もしてしまっている。


自分の考えが固いほど、その世界も強固なリアリティを持って現れると。






と、いう事は、ですよ。






と、いう事は。







何もかんも、つまるところ、超シンプルで。






自分が決めていいし、
自分がつくっていいし、
自分が楽しんでいいって、

事だよね。








それ、やりたい。








それ、僕もそれやりたい。
それがいい。






って思った。






変えられるもんなら好きなように変えてみたいですよねv





この世界は、

高次の自分(魂の母・本来の自分)が見ている夢(もしくはプレイしているゲーム)なので、





明晰夢(めいせきむ)を見てみないかい?という事。





明晰夢っていうのは、寝てる時に見る夢ってありますよね。
その夢を見てる時に、夢の中で


「あ、これ夢だ」


って気がつく事。
で、夢の中で自我を取り戻すので、自分の好きなように好きな事を起こせるようになるんです。


あそこの場所に行きたいと思ったら行けるし、
これが欲しい、と思ったら目の前に出てくる。


実は無量さん、以前思いっきりはっきりと明晰夢を見たことがあって。
夢の中で、歩いてる地面の金属の質感とかを観察(確認)したこととかありましてね。



で、



調子にのってアニメのキャラと話せるかなと、



「出てこ~い!」



って挑戦してみたら、
集中しすぎたのか覚醒してしまい(目が覚めてしまって)、
がっかりしたという経緯があります。





なのできっと、この世界も夢だとするならば。





これ夢じゃん!って気がつく事が出来れば、
夢のシナリオや登場人物に左右されることなく、
本来の自分が覚醒し、好きなようにできるようになるんじゃないかと。






それマジで出来るんだったら、めっちゃ楽しそうでしょ?





やりたいですよねv






睡眠で言う所の、レム睡眠という事じゃないでしょうか。

宇宙も生き物で、寝てるとするならば。





で、大切なのは、



①やりたい事をやる(映画観たいな→観る or 美味しいもの食べたい→食べる などどんな小さい事も)
②自分の心がワクワクする事、をやる(子供の時みたいに遊びでもいい)
③嫌いな人(と聞いて頭に浮かぶ人)を許す
④一切のネガティブな感情を手放す
⑤過去と未来に囚われない(何であんな事しちゃったのか等の後悔の念 or いつかこうなれれば等の妄想)


etc...



完璧に信じ切って実行していくのも中々難しいですが、
やはり大切なのはどれくらい疑いもなく、受け入れられるのかですよね。


でもこの、僕たちが信じ切っているこの世界の事ですら、
実は良く知らない事の方が多いし、
愛など(目に見えない事なのに)大切っていうのは、
誰に教えてもらわなくても感じてる事だったりしますしね。



あーだこーだ言いましたが、
結局僕の伝えたかった事は、



どうぞ雑多な声の中で見失わず、
あなたご自身の望む形での幸せの中で過ごしてゆかれる事を願っています。



ということ。



読んで下さったあなたも、どうぞご健康にお過ごしくださいね。
長文読んでいただき、いつもありがとうございます。