今日は文法の勉強でした。
生字
講大話 ・・・・嘘をつく
討厭 ・・・・好ましくない、嫌う、嫌がる
驚奇 ・・・・恐ろしくしかも奇妙である
受害 ・・・・被害を受ける
以毒政毒・・・毒を持って毒を制す
對~有印象 ・・・・・・・・~に印象が残る
希望通過~有所改善・・・・~を通してある程度改善されるのを期待する
我 嚟 日本 十九年 喇 時量が目的語の後にくる
S V O 時量
我 學咗 好多年 廣東話 時量が動詞の後にくる
S V 時量 O
時量が目的語の後ろにくる場合は動作が行われてからどのぐらい経っているのかを表し
時量が動詞の後ろにくる場合はその動作・状態がどのぐらい継続されているか表す
回数なども同じである。
先生は 嚟を瞬間動詞と表現し、學を継続可能動詞と表現していました。
私の理解としては、中国語では文の中心は動詞で、文の中に時間の流れがある。
これが基本の考え方で、文中の動詞がある場所で実際に動作が行われ、
動詞の前に置かれている語句は動作前のことを表し、動詞の後に置かれている
語句は動作の後のことを表すと考えます。ちなみに動作を起こす場合通常その前に
意志や考えが働きます。ですから、動詞の前は動作に対する意志の領域で、
動詞の後はそれがないと考えています。
落雨などは、雨に落ちるという意志がないので動詞の後ろと理解しているわけです。
もう一つ言うと、好快咁講と講得好快の違いは好快咁講のほうは意志が入るので、
意識して速くしゃべると考え、講得好快のほうは意志のことは考えずに、
結果速かったと考えています。
そのうえで、基本的に時間の流れ順に語句が並ぶと理解しています。
そうすると上の文は嚟日本と動詞に目的語が付き、
動作が日本に来たと完全に終わった後に時量が来るので、
この動作が終わった後どのぐらい経ったかと表し、
學咗の後に時量が来る場合は目的語がまだ動詞に付く前に時量が入るので、
その動作が継続されていると考えるわけです。
正しいかどうかはわかりませんがそういうふうに考えるとスムーズに頭に入ります。
けっこう自分勝手にいろんなことを理解しています。
昔から普通に習う文法は苦手でつい自分勝手な解釈になります。
本当はダメなんだろうな。
