保育所を増やすって本当に良いことなの?…その一 乳幼児が母親に愛着を示す訳
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今、待機児童を減らすことが社会的問題としてマスコミ的にも大々的に報道されています。ある自治体ではこの待機児童がゼロになった、とテレビのニュースで胸を張っていました。
確かに適切な数の保育所も必要だと思います。
しかしただ単に保育所を増やすことが大切なのでしょうか?
保育所が増えて乳幼児が長期間母親と離れることが、そんなに大切なことなのでしょうか?
発達心理学の示唆するところでは、人間を含むほとんどの哺乳類では、乳児期の様々な生来的反応は、生物学上の「母親」に向けられているそうです。
考えてみれば当然ですよね。哺乳類…なのだから母乳を与える生物学的母親に乳児期の生存は100%依存しますから。
もし逆にこの自然現象に逆らって、乳幼児が母親より父親に愛着を示した場合、どの様な社会になるのでしょうか・・・。
おそらく父親は「山へ芝刈り」に行けなくなるでしょう。なぜって、子供が「わ~んわ~ん」と泣いてごねるかもしれないからです。そうなると父親はなかなか家を空けられないですよね。
代わりに母親が「山へ芝刈り」に出かける、これだとOK!、、、否、これだと母乳をあげられなくなるので、困った事態になってしまいます。
原始的な時代では母親は家を空けることなく、子どもの近くで色々な仕事(家事)をしていました。これだと子供は安心です。父親も安心して家を留守に出来ます。
ですから生物学的に乳幼児が父親より母親に愛着行動を起こすことは自然に素直な生物学的-心理学的現象なのかもしれません。
(様々な心理学的実験では乳幼児が母親に愛着を示す傾向が強いことを示唆する結果が多いようです。)
しかし現代では「哺乳瓶-人工乳」という文明の利器(?)があります。従って母親が子供を残して家を空けることが可能になり、事実それは増え続けました。
確かにそれは女性の社会進出という現象を助長し、「女性の人生設計の多様化・新たな幸せの創出・女性独自のアイデアによる社会的利益」などの効用を創出しました。
女性の立場では大いなる女性の解放です。十数万年の人類史上、大きな快挙かもしれません。
しかし女性の立場ではなく、子供の立場ではどうでしょうか?
数十年前に生まれていたならば愛する母親と離れることなく生活できたのに、現代に生まれてきたばかりに愛する母親と離ればなれを強制される。それを阻止しようにもそれを正当に自己主張-達成できない微力な乳幼児。。。
この様な状況下で乳幼児は自己の生存を脅かされたことを本能的に察知し、この乳幼児はあらゆる手段(泣く、駄々をこねる、わがままをいう、無能力を誇示するetc)を使って母親と離れる事を阻止しようとするかもしれません。
それでも女性の社会進出の御旗のもとに「母親の不在」が強行された場合、その母親への「うらみつらみ」は生涯にわたって消えることなく、子どもの無意識の奥底を流れ続けるかもしれません。
・・・実は最近心理療法をしていてよく感じることがこの事なんですね。
深層心理に入って行けば行くほど、多くのクライアントさんから母親に対する乳幼児期からの「うらみつらみ」が表出してくる。。。
➡母子分離不安が原因しているとみられる心理療法例はこちら
以前はこの事を「意外」と感じていましたが、最近では「またか」という感想です。
カウンセラーの立場からすると、この様なケースは将来的に増加するのでは、と危惧しています。実際に最近の症例でも適応障害クライアントさん、学習障害クライアントさん、不安神経症クライアントさんなどの心理療法例で毎回の様に出てくるのが現状だからです。
最近「イクメン」という現象が流行っているそうです。確かに父親も子育てに参加する必要は強くあります。またこれを支持する心理学論文も多数あります、が、やはり子育ての主役は「母-子」ではないでしょうか。
その一番大切な「母-子」の関係を構築する機会を大幅に減らす「保育所」は果たして善なのか、悪なのか?
自分の一番大切な分身=我が子を長期間他者にまかせっきりで本当に良いのだろうか?
この様な観点で考えていく必要は無いのだろうか?
色々とご批判はあると思います。また問題も多いと思います。
しかし日本のいや世界の将来を担う子供たちにとって根本的に最も重要なポイントは、「母親が安心して責任をもって子育て出来る環境を設定する」ことではないでしょうか。そして子育て後「女性の社会進出の機会との調和をどのように図っていくか」、ではないでしょうか。
その様な政策がとられているのでしょうか?
国民的議論-合意はできているのでしょうか?
かなり難しい問題です。でも早急に考えていかなければならない問題だと思います。
皆さんはいかがお考えでしょうか。。。