私の謙遜と勇気と慈愛を模倣してください | カトリックの神秘

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(「マリー・ラテイストの作品」より)

 

 

(第3巻「祝福された聖母マリア、私たちの主イエス・キリストの母」第15章)

 

 

5月が終わり、信者たちは毎日の1日の終わりの夜にマリアの祭壇の周りに集まらなくなりました

それでも私にとってこの祭壇はとても魅力に満ちたものでしたので、私は(この祭壇にある)マリア像の前で祈らずに教会を去ることはありませんでした

私は仕事が許す限り、長い時間そこに居ました

急いでいる時は、アヴェ・マリアの祈りを3回唱えることで満足していました

マリアはいつも私のところに来てくださったわけではありませんが、いつも私の魂に、私が感じているような、言葉では表現することのできないある種の幸福、平和、静けさを与えてくださいました

 

ある日、マリアは私にこう言われました

「私の娘よ

私が『聖母』の称号に『神の母』という称号を加えていることから、私がどれほど偉大であるかがわかるでしょう

私は自分でこのような大きな恩恵を受けたわけではありません

すべては神の純粋な善意によっていだだいたものです

ですから、私は神が私に与えてくださった偉大さに圧倒されながらも、常に自分は無であるという記憶と思考を持ち続けることを止めませんでした

そしてその思いが、神から願われたすべてのことをやり遂げる力となり、その力は私の魂の中にある愛によって支えられていたのです

 

娘よ

もし私を喜ばせたいと思うなら、私の謙遜と勇気と慈愛を模倣してください

 

 

『私の謙遜を模倣してください』

 

神は私に非常に貴重な特権を与えてくださいました

それには神の母となることにおいて、恵みの奇跡によって処女を守ることができる、というものが含まれていました
 私はこの素晴らしい特権に目がくらむ思いがしましたが、それでも自惚れることはありませんでした

それどころか、私はすべてを神からいだだいているのだということを思い、神からいただくものが多ければ多いほど、感謝し服従しなければならないという思いに駆られました

 

私の娘よ

あなたにもこの特別な恵みがあるのです

けれどもそれによって傲慢になるのではなく、あなたは神の善意からすべてを得ていること、そしてすべてを神に返さなければならないこと、神はあなたの中に入れてくだったすべてのものを取り返すことができること、さらに自分には神に不平不満を言ったり非難したりする権利はないということを認識しなさい

神があなたに与えたものを、自分の力で得たものだと考えるのは不正だからです

 

 

『私の勇気を模倣してください』

 

私の娘よ

私に与えられた試練は、神が私に置いてくださったお恵みの大きさに匹敵するほどのものでした

神は私を神の母、御子の母としてくださいました

神は私に母の優しさを与えてくださいました

私の御子は私の偉大さであり、私の御子は私の富であり、私の御子は私のすべてでした

ところで、私はイエスが生まれた時から、いつか彼を失うことが十分にわかっていました

イエスが敵の手に引き渡され、犯罪人のように十字架に付けられ、最も恐ろしい苦痛の中で死んでいくこともわかっていました

私の心の中にはいつも御子の受難の思いがありました

御子の額を撫でる時には、いつかこの額に茨の冠がかぶせられるのだということを考えました

御子の手足を見る時には、いつか釘で貫かれることを思いました

御子の心臓の鼓動を感じる時には、ローマ兵の槍を思いました

私は御子が十字架の上で最も大きな苦痛を受け、酢と胆汁を口にし、人々から侮辱され、嘲られるのを見ました

そしてその状態で、私は御子の霊を父なる神の御手に委ねたのです

母の心は御子の苦しみを思う度に、常に痛みの剣で貫かれました

しかし私は決してくじけることなく頑張りました

それが神のみ心であり、私の御子のみ心でもあることを私は知っていたからです

私は自分の意志を御父と御子のご意志に委ね、この母性愛の殉教の日々の中で、確固たる勇気を持ち続けました

 

ですから、神があなたに求められる犠牲は、それがたとえあなたの身体と心、そして精神にとってどんなに苦痛であったとしても、勇気をもってそれを果たすようにしてください

 

 

『私の慈愛を模倣してください』
 

私はこの地上に居る間、神への愛を日々深め、より深めるために毎日新たな努力を重ねてきました


私は人間を愛するあまり、最も大切な御子イエスを犠牲にしました

 

神をさらに愛し、隣人を自分のように愛し、あなたの神とあなたの隣人を喜ばせるためにできることは何でもするようにしてください

 

 

それらを実行することができたなら、私の保護と愛を与えましょう」

 

 

 


 

 

 

 

 

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