(「マリー・ラテイストの作品」より)
(第3巻「祝福された聖母マリア、私たちの主イエス・キリストの母」第8章)
あるご降誕祭の夜、真夜中のごミサが始まる前に、私はベツレヘムの馬小屋でのイエスの誕生を思い浮かべながら黙想していました
私はご聖櫃のある祭壇のところにはいませんでした
私はご聖櫃のある祭壇ではなく、ある引力のようなものに引き寄せられ、マリアの祭壇のところに行っていました
私はイエスではなくマリアに頼っていたのです
私は救い主のことを忘れ、その御母のことばかり考えていたのです
しかしこの忘却は決して不注意からのものではなく、私はマリアのことを考える時にはイエスのことも考えていたのです
私が言いたいのは、あの夜に私が最初に見たのはマリアであり、マリアを通してイエスのところに行きたいと思っていたということです
マリアの祭壇には照明は灯されていませんでしたが、それは私にはどうでもいいことでした
私はマリアを見ていました
肉体の目ではありませんでしたが、少なくとも私の魂の目で見ていました
私はマリアとヨセフがいっしょに馬小屋におられ、マリアとヨセフといっしょにおられる幼子イエスを見ました
やがてマリアの姿はさらに鮮明になり、それは光のない祭壇で光となり、マリアは優しく私を呼んでくださいました
マリアの腕の中には産着に包まれた幼いイエスが居られました
私はその幼子を自分の腕に抱き、胸に押し当て、愛撫したいと思いましたが、あえてマリアにそう頼むことはできませんでした
しかしマリアはそれをわかってくださり、私に問いかけることもなく、神の御子を私の腕の中に置き、そして私とイエスをそのご保護の下に置かれるかのように、私をご自分の傍に引き寄せてくださいました
幼子イエスも共におられましたが、何もおっしゃいませんでした
私はイエスを見つめ、マリアを見つめ、それからイエスを抱きしめてマリアに感謝しました
私はイエスに質問したかったのですが、マリアに尋ねることしかできませんでした
私はおずおずとマリアに言いました
「聖なる御母よ、どうか救い主イエスの誕生について何か教えてください」
するとマリアはこう答えられました
「あなたの望みをかなえてあげましょう
私の子イエスはまだ赤ん坊なので、あなたに話すことはできません
ですから私がイエスの代わりにあなたに話しましょう
娘よ、
私はこの時、この記念の夜にイエスを産みました
この誕生は天と地における三重の意志の神秘であり、御子をお与えになるほど人間を愛された父なる神の意志、父なる神の意志を大切にして父なる神の定められた時にそれを成し遂げようとされた神のみことばの意志であり、この驚くべき誕生をもたらすために知恵と力を表してすべてを整えられた聖霊の意志でした
それがご降誕に現れた天の三重の意志です
この意志は三重であってもひとつであり、ただ私の御子の誕生というただひとつの目的を持っていました
私の御子イエスの誕生には、天で創られ地上で行なわれる父なる神、人となられた神の御子なる神、聖霊なる神の意志という三重の意志がこの地上に存在するという神秘が今もなお秘められているのです
この3つの意志は1つの意志であり、彼ら(三位一体の神)は私のうちに居られ、私の御子の誕生をもたらされたのです
三位の聖なる御方はイエスの誕生を望まれ、イエスはお生まれになりました
イエスは誕生されることを望まれ、イエスはお生まれになりました
そして私もイエスの誕生を望み、イエスはお生まれになったのです
この誕生は、三位一体の神とイエスの母である私との素晴らしい関係の中で行なわれました
三位の神は私の御子を世に与えられました
三位一体の神は私をイエスの母とみなされ、私は自分を三位一体の謙虚なはしためとみなしました
そしてその瞬間から、私は自分自身がより強力になり、私の中に神の力そのものを感じるようになりました
イエスは私のうちに居た時だけではなく、私の外に居た時も私の子であり、天と地に命令されるお方が、この私に服従されたのです
私がイエスに命じ、イエスは私の意志を父のご意志として実行されました
このように三位一体のご意志が私の意志を支配し動かされ、そのとき私の意志は私の御子の神的意志にも支配され動かされていたのです
私の娘よ
イエスの誕生があなたたちに示している模範をよく理解してください
それは従順の模範であり、意志によって実行され従われたという模範であり、従属の模範であり、そしてこの模範は天からー神からくる模範なのです
神はみご意志を行なわれ、私はその神と同じ意志を持っていました
父なる神はご意志を行なわれ、子である神は父なる神のご意志に服従されました
父なる神と御子なる神がご意志を行なわれ、聖霊なる神が共にご意志を行なわれ、そのご意志の実現と成就を行なわれたのです
私の意志は常に神のご意志に沿うものでした
この日、神は私の中に居られた御子を誕生させることを意志され、そして私はすべてにおいて神のご意志に自分の意志を一致させていたのです
忘れてはならないのは、人間の罪とは神のご意志に逆らうことであるということです
そしてこの罪を償うためには、神のご意志に従うことが必要です
ここに服従の始まりがあります
私の御子における服従です
さらによく見ていくなら、あなたは彼の死にもこの服従を見つけることができるでしょう
ベツレヘムからカルワリオに至るまで、イエスの中にあるすべて、そしてイエスと結ばれている私の中のすべてが神のご意志に服従しているのです
私の御子の誕生、彼の服従、そして私の服従を思い出し、あなたにとってたとえどんなに困難なことであっても、服従があなたの義を増し加え、あなたをイエスとその母にさらに結び付けるのだということを考えてください