ルルドでマリアさまは聖ベルナデッタに

 

「あなたをこの世ではなく、後の世で幸せにしましょう」

 

と言われました

 

 

 

 

実際

 

ベルナデッタはご出現の恵みを受けた当事者であり

 

ルルドの泉を掘り出した人物であったにも関わらず

 

その奇跡の癒しの水を飲んでも

 

持病である喘息が癒されることはなかったし

 

後に入会した修道院でも

 

病気のためにほとんど仕事もできず

 

「役立たず」だと面と向かって言われ

 

ある1人の長上からは

 

今で言うならパワハラまがいの酷いイジメを死ぬまで受け

 

生涯ずっと苦しみ続けました

 

 

 

 

 

 

 

人がこの世で幸福になることはほとんどありません

 

たとえ幸せを感じる瞬間があったとしても

 

その幸せが死ぬまでずっと続くということはありません

 

幸せな時はあっという間に過ぎ去り

 

また悩みと苦しみの時が訪れます

 

 

 

 

 

だから

 

この世で幸せになろう、などとは考えないことです

 

 

 

 

 

マリアさまはベルナデッタを通してすべての人に

 

「この世ではなく、後の世で幸せにしましょう」

 

と言われます

 

 

 

 

 

イエスさまやマリアさまでさえ

 

この世では幸福になれませんでした

 

 

 

 

 

 

イエスさまは

 

「わたしは道です」

 

と言われます

 

 

 

 

そのイエスさまが

 

ベトレヘムからナザレを経てカルワリオへと

 

貧しさの中に生まれ、生活し、苦しみの道を歩まれ

 

最終的には

 

酷い迫害と苦しみの極限のうちに死なれたように

 

復活(天国)の栄光に至るためには

 

わたしたちも

 

そのイエスさまの歩まれた道を

 

「自分の十字架を背負って」

 

歩んでいかなければなりません

 

 

 

 

 

 

結局

 

「この世で幸せになりたい」

 

という気持ちが心のどこかにあるから

 

何かちょっとした不幸や悲しみがあるたびに

 

「どうしてこんなことが起きるのか」

 

「なぜ神さまはこんなことを許されるのか」

 

と恨めしく思う気持ちが湧き上がってくるのです

 

 

 

 

 

 

なので最初から

 

「この世では幸せにはなれない」

 

「この世では苦しいのが当然」

 

「辛いことがあって当たり前」

 

と割り切っていれば

 

ちょっとした不幸が起こっても

 

「この世は苦しいところなのだから、これくらいどうってことない」

 

と考えることができるでしょう

 

 

 

 

 

 

アルスの聖ヴィアンネーは

 

「私たちの最大の十字架は、十字架を恐れる気持ちにあります」

 

と言われました

 

十字架を恐れず、当然だと思って受け入れるとき

 

十字架に対する恐れは消え去るのではないでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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