《「天国の書」第11巻》
1915年7月28日
「神のご意志」を行なう者は、イエスと深くひとつに結ばれ、その心はイエスのみ心と一体となります。
それゆえ、魂を救う功徳を共にわかち合うのです。
私はイエスに嘆きの言葉をくり返していました。
「どうして私をお見捨てになったのですか?
毎日少なくとも一度は来てくださると約束してくださったのに、今日はもう朝が過ぎ、夕方も終わろうとしているのに、まだいらっしゃらないのですか⁉
イエスよ、あなたがおられないことの苦しみはなんと激しいものでしょう――それは絶え間ない死のようなものです!
それでも私は、あなたのご意志にすべてを委ねています。
それどころか、あなたがおられないこの苦しみを、あなたに捧げます――あなたが教えてくださった通りに――私があなたから引き離されているその一瞬一瞬の間に、多くの魂が救われるようにと。
あなたがおられない時に私が味わう苦しみを、あなたのみ心の周りに冠のように捧げます。
それは、被造物による侮辱があなたのみ心に入り込むのを防ぎ、あなたがどの魂をも地獄に断罪されることがないようにするためです。
しかし、そうは言っても、ああ私のイエスよ、私はやはり自分の本性が激しく揺さぶられるのを感じ、絶えずあなたを呼び、あなたを求め、あなたを慕い求めているのです。」
まさにその瞬間、愛すべきイエスは私の首に腕を回わされ、私を抱きしめながらこう言われました。
「娘よ、言ってみなさい。
あなたは何を望んでいるのですか?
何をしたいのですか?
何を愛しているのですか?」
私は答えました。
「私はあなたを望んでいます。
そして、すべての魂が救われることを望んでいます。
あなたのご意志を行ないたいのです。
そうして、あなただけを愛しています。」
すると主は言われました。
「つまり、あなたはわたしが望むものを望んでいるということです
それによって、あなたは本当にわたしを自分のものとし、わたしもあなたを自分のものとしているのです。
あなたはわたしから離れることはできませんし、わたしもあなたから離れることはできません。
それなのに、どうしてわたしがあなたを見捨てたなどと言えるのですか?」
そして主は優しい口調でこう付け加えられました。
「娘よ、わたしの意志を行なう者はわたしと深く結ばれているので、その人の心とわたしの心は、ひとつの心となっているのです。
救われるすべての魂はこの「心臓」を通して救われ、その鼓動によって形作られた彼らはこの「心臓」の口から救いへと向かっていくのですから――わたしはその魂に、これらの救われた魂たちの功徳を与えましょう。
なぜなら彼女はわたしと共に彼らの救いを望み、わたしが彼女をわたし自身の「心臓」のまさに「いのち」として用いたからです。」
1915年8月12日
意志、愛、そして魂の望みがイエスのそれらとつひとつになって流れるとき、それらは両者を守り、魂を救うための「網」を形成するでしょう。
いつものように過ごしていたとき、常に愛すべきイエスが少しのあいだ来られて、私にこう言われました。
「娘よ、人々はなんと頑ななことでしょう!
戦争という災いも、悲惨な状況も、彼らを屈服させるには不十分なのです。
彼らは自らの肉体において痛みを味わわなければなりません。
そうでなければ、彼らに生き方を改めさせることはできないからです。
実際、戦場で何が起こっているかを見てみなさい。
戦場において、いかに聖なる宗教が彼らの心の中で力を増すことでしょう。
なぜなら、彼らは自らの肉体において痛みを味わっているからです。
だからこそ、何らかの形でその網にかからない国があってはならないのです。
すべての国が、自らの肉体において痛みを味わう事態に直面しなければなりません。わたしはこんなことをしたくはありませんが、彼らの頑なさが、わたしにそうさせるのです。」
そう言われながら、イエスは泣いておられました。
私も共に泣き、人々の命を奪うことも流血の惨事もなく彼らが屈服し、すべての人が救われるよう祈りました。
するとイエスは言われました。
「娘よ、すべてはわたしたちの意志の結合の中に包み込まれることになるでしょう。
あなたの意志はわたしの意志と共に流れ、魂の救いのために十分な恵みを願い求めます。
あなたの愛はわたしの愛へと流れ込み、あなたの望みと鼓動はわたしのそれらとひとつになって、永遠の鼓動をもって魂を求めるようになります。
これらすべてが、あなたとわたしの周囲に網を形成し、わたしたちはその中に織り込まれたかのように留まることになります。
それは防御の砦となり、その中で、あなたはわたしを守りながら、あらゆる危険から守られるだろう……。
『魂を、魂を!』と叫ぶ被造物の鼓動を、わたしの鼓動の中で聞くことは、なんと甘美なことでしょう。
わたしはまるで鎖につながれたかのように感じ、征服されて、降参してしまうのです。」
1915年8月14日
イエスの生涯と受難のすべては常にイエスを支え、魂に救いをもたらす働きをしています。
しかしそれらを用い、捧げる人々が必要なのです。
いつもの状態のまま過ごしていると、イエスがおいでになりました。
イエスはひどく疲れ果てておられ、ご自身の聖なる人性の至る所から流れる御血を拭い、御傷に口づけするようにと、私を招かれました。
そこで、私がイエスの御体のあらゆる部分を巡りながら、様々な崇敬と償いの祈りを捧げ終えると、愛するイエスは安らぎをおぼえられ、私に寄りかかりながらこう言われました。
「娘よ、わたしの受難、御傷、御血、そしてわたしが行ない、耐え忍んだことのすべて――それらすべては、あたかも今この瞬間にわたしが働き、苦しんでいるかのように、魂の間で絶えず働いているのです。
それらはわたしが寄りかかるための支えとなり、また魂が罪に陥らず、救われるために寄りかかるための支えともなるのです。
今、この懲罰の時代にあって、わたしはまるで空中に浮かび、足もとに何もない状態で、絶え間なく打撃を受けている者のようです。
天からはわたしの正義がわたしを打ち、地からは被造物がその罪をもってわたしを打つのです。
魂がわたしのそばに留まり、御傷に接吻し、償いを捧げ、わたしの御血を捧げること――一言で言えば、わたしの生涯と受難の間にわたしが行なったことをすべてくり返すこと――が増えれば増えるほど、わたしが寄りかかって倒れないための支えが築かれます。
そして、魂が罪に陥らずに救われるための支えとなるその輪も、より大きなものとなるのです。
娘よ、わたしのそばに留まり、何度も何度もわたしの御傷を巡ることを厭わないようにしさい。
あなたがわたしのそばに留まれるよう、わたし自身が思いや情愛、言葉を与えましょう。
わたしに忠実でありなさい。
時は迫っています。
正義はその怒りを現わそうとしており、被造物はそれを煽っています。
支えをさらに増やす必要があるのです。
ですから、この務めを怠らないようにしなさい。」
1915年8月24日
「神のご意志」の創造の力は、ひとつの行為をすべての者のために増幅させ、神に似たものをもたらします。
いつもの状態の中にいたとき、愛すべきイエスが来られるとすぐに私はイエスに口づけをし、こう申し上げました。
「私のイエスよ、もし可能なら、私はすべての被造物を代表してあなたに口づけを捧げたいのです。
そうして、彼ら全員をあなたのもとへ連れて行くことで、あなたの愛を満たしたいのです。」
するとイエスは言われました。
「娘よ、もしあなたがすべての者の口づけをわたしに捧げたいと望むなら、わたしの意志の中でわたしに口づけしなさい。
なぜなら、創造の力を宿すわたしの意志には、ひとつの行為を、あなたが望むだけの数多くの行為へと増幅させる力があるからです。
そうすれば、あたかもすべての者がわたしに口づけしたかのような喜びをわたしに与えることになり、また、あたかもあなたが皆に口づけさせたかのような功徳を得ることになるでしょう。
一方で、すべての被造物は、それぞれの心の備えに応じてその恵みの効果を受けるのです。
わたしの意志におけるひとつの行為には、想像しうるあらゆる善が含まれています。その姿は、太陽の光の中に見出すことができます。
光はひとつですが、その光は被造物のあらゆるまなざしの中で自らを増幅させます。光は常にひとつ、単一の行為のままですが、被造物のすべてのまばざしが、おなじようにその光を享受するわけではありません。
視力の弱い者は、光で目がくらまないようにと、目の前に手をかざす必要があります。
また、盲目の者はその光を全く享受できません。
しかし、それは光の欠陥によるものではなく、むしろ被造物の視力の欠陥によるものです。
ですから、娘よ、もしあなたがすべての者のためにわたしを愛したいと望むなら、わたしの意志の中でそうすることで、あなたの愛はわたしの意志の中を流れていくでしょう。
そして、わたしの意志は天と地を満たしているのですから、わたしは天において、わたしの周囲で、わたしの内で、そして地上で、あなたの『愛しています』という言葉がくり返されるのを聞くことになります。
それはあらゆる地点から、わたしの意志が可能とする数だけの行為として増幅していくのです。
こうして、それはすべての者の愛による満足をわたしに与えることができます。なぜなら、被造物は限られた有限な存在であるのに対し、わたしの意志は広大で無限なものだからです。
人間を創造する際にわたしが発した、『わたしたちはわたしたちの似姿として人を造ろう』という言葉は、どのように説明できるでしょうか?
これほど無力な被造物が、どうしてわたしに似て、わたしの似姿となることができるのでしょうか。
それはただ、わたしの「意志」においてのみ可能なことです。
なぜなら、被造物はわたしの意志を自らのものとすることで、神的なあり方で行動するようになり、そうした神的な行ないをくり返すことによってわたしに似ていき、わたしの完全な似姿となるからです。
それは、師の振る舞いをくり返し行うことで、その師に似ていく子どものようなものです。
ですから、被造物をわたしに似たものとする唯一のものは、わたしの意志なのです。それゆえにわたしは、被造物がわたしの意志を自らのものとし、自らが創造された目的を全うすることを、何よりも強く望んでいるのです。」
1915年8月27日
「神のご意志」に自分を融合させることは、イエスのあらゆる特質で自らを満たすことです。
私は、祝福されたイエスの至聖なるご意志に自分を融合させていました。
その最中、私はイエスの内にいる自分に気づきました。
イエスは私にこう言われました。
「わたしの娘よ、魂がわたしの意志に自らを融合させるとき、それは、それぞれ異なる液体で満たされたふたつの容器の中身を互いに注ぎ合うようなことが起こるのです。
つまり、それぞれの容器が、もう一方の容器に入っていたもので満たされるということです。
それとおなじように、被造物はわたしで満たされ、わたしもまた彼女で満たされることになります。
わたしの意志には聖性、美、力、愛などが含まれていますから、魂はわたしで満たされることによって――すなわち、わたしの意志に自らを融合させ、身を委ねることによって――被造物に許される限りの最も完全な形で、わたしの聖性、愛、美などで満たされるのです。
そしてわたしもまた、彼女で満たされるのを感じるでしょう。
彼女の内にわたしの聖性、美、愛などを見出し、それらをあたかも彼女自身のものとして眺めるのです。
わたしはそれを大いに喜び、彼女を愛するようになります。
そして、わたし自身の内にある親密な場所に彼女を大切に留め置き、絶えずわたしの神聖なる特質をもって彼女を豊かにし、美しく飾るのです。
それはわたしがますます喜び、彼女に魅了されるためなのです。」
1915年9月20日
新たな懲罰。
あらゆる行ないは、神のご意志と人の意志の間にある「フィアット(「然り、そう成りますように」の同意)」によって結び合わされなければならなりません。
いつもの状態にあった私のところに、愛すべきイエスが現われられました。
その御手には懲罰が握られており、それをもって被造物たちに触れ、打ち据えられておられました。
懲罰はさらに広がっていくかのようでした。
多くの事柄の中でも、聖なる教会に対して陰謀が企てられており、ローマの名が取り沙汰されている様子でした。
祝福されたイエスは苦悩しておられ、黒い外套に覆われておられるように見えました。
イエスは私にこう言われました。
「娘よ、懲罰は人々を立ち直らせるものですが、あまりに多くの懲罰が下るため、あらゆる人々が悲しみと喪に服すことになるでしょう。
そして、被造物はわたしの体の一部なのですから、彼らのゆえに、わたしは黒い外套に覆われているのです。」
私はすっかり動揺し、どうかお心を静めてくださるように懇願しました。
するとイエスは、私を安心させるためにこう言われました。
「娘よ、『フィアット』こそが、あなたのすべての行ないを結び合わせる甘美な絆でなければなりません。
わたしの意志とあなたの意志が、その結び目となるのです。
知っておきなさい。
わたしの意志と結び合って成されるあらゆる思考、言葉、行ないは、わたしと被造物との間に開かれた数多くの交わりの通路のようになるでしょう。
もしあなたのすべての行ないがわたしの意志と結び合わされているなら、あなたと私との間の神的な交わりの通路は、ひとつとして閉ざされることはないでしょう。」




