《神のご意志の霊性・日々の黙想》

 

 

(6月1日)

 

 

(ルカによる福音書 9:23-24)

 

そしてイエスは皆に言われた。

『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負ってわたしに従いなさい。

自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者はそれを救うからです。』

 

__________

 

 

(ルイサの言葉)

「私たちが神の意志に従って行動するたびに、人間の意志は殉教を経験します。

それは血の殉教ではなく、決して死ぬことのない意志の殉教なのです。

 

__________

 

 

(「天国の書」 第17巻 1925年1月4日)

 

魂の崇高な殉教。

 

「よく聞きなさい、娘よ。

わたしの意志に従って生きることは、殉教よりも功徳があります。

殉教は肉体を滅ぼしますが、わたしの意志に従って生きることは、まるで神の手が人の意志を滅ぼし、神聖な殉教の尊厳を与えるかのようです。

そして、魂がわたしの意志に従って生きることを決めるたびに、わたしの意志は人間の意志を殺すための打撃を準備し、魂の崇高な殉教を形作ります。

実際、人間の意志と神のご意志は結びつくものではなく、一方が他方にその地位を譲らなければならず、人間の意志は神のご意志の力の下で消滅することに甘んじなければならなりません。

ですから、あなたがわたしの意志に従って生きようと決意するたびに、あなたは自らの意志の殉教を受け入れる覚悟をするのです。

では、わたしの意志に自らを融合させるとはどういうことか、よく考えてみてください。

それは、わたしの至高の意志のために絶えず殉教者となることなのです。」

 

_____________

 

 

(今日の祈り)

 

「聖なる御母よ、あなたの素晴らしい教えに心から感謝いたします。

あなたの教えは私に大きな力を与え、神のみ心に従って生きたいという切なる願いを絶えず抱かせてくれます。

しかし、この恵みを得るために、どうかイエスと共に私の魂に降りてきてください。聖エリザベトを訪れた時のこと、そして彼女のために行われた奇跡を、私にも再び起こしてください。

ああ、そうです、御母よ、イエスを私にお連れください。

私を聖化してください。

イエスと共に、私は神の最も聖なるみ心を行なうことができるでしょう。

聖母よ、我が魂を訪れ、神の御意志にふさわしい住まいをそこに備えてください。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ルイサと神のご意志を生きる意味②》

 

 

(「天国の書」より抜粋)

 

 

第16巻(1924年2月20日)

 

 「ああ! あなたはわたしの意志に従って生きることが、どういうことかを知りません。 

それは創造の目的の純粋な喜び、わたしが人間(アダム)を創造した理由の無垢な楽しみを、わたしのもとに取り戻すことです。

それは創造の夜明けの頃に裏切り者である人間の意志がわたしに与えたすべての苦しみを、わたしから取り除くことです。

それは人間の意志と神の意志との絶え間ない交換を意味しています。

魂は自身の人間の意志を恐れ、わたしの意志に従って生き、わたしの意志は魂を喜び、愛、そして無限の善で満たし続けるのです。

ああ! この魂にわたしが望むものを何でも与えることができるのは、なんと幸せなことでしょう。

なぜなら、わたしの神の意志には、すべてを受け入れる能力があるからです。

だから、わたし(イエス)と彼女の間にはもはや分裂もなく、行動、思考、愛において安定した一致があります。

なぜなら、わたしの神の意志がすべてを補うからであり、わたしたちは完全な調和と善の交わりの中に留まるのです。

人間(アダム)を創造した目的は、彼(アダム)をわたしたちの子として生きさせ、わたしたちのすべての財産を彼と共有することであり、彼(アダム)が完全に幸福になり、わたしたち(三位一体の神)が彼の幸福を喜ぶことだったのです。

 

 さて、わたしの神聖なる意志に従って生きるとは、まさにこういうことです。

 創造の目的、喜び、祝祭を私たち(三位一体の神)に取り戻すことです。

なのにあなたは、わたしがそれを教会の中に隠し、表に出さないようにすべきだったと言うのですか?

わたしは天と地をひっくり返し、抗しがたい力で人々の心を圧倒し、創造の成就となるものを知らしめました。

わたしが、わたしのすべての業に封印を施し、すべての業が完成するようにする、このわたしの神聖な意志に従って生きることをどれほど大切に思っているか、あなたは分かりますか?

あなたには、これは何でもないことのように思えるかもしれませんし、わたしの教会にも似たようなことを思うかもしれません。

いいえ、違います。

わたしにとっては、それとは逆に、それはわたしのすべての業であり、あなた(ルイサとあなたにつながる魂)はそれをそのように理解し、もっとわたしがあなたに望む使命を果たすことに、注意深く取り組まなければなりません」

 

 

 

 

 

 

※この記事は、「わたしのご意志の太陽」という神のご意志の霊性に関する外国のサイトの中にある「ルイサと神のご意志を生きる意味」という記事を私の個人的な信心のためにパソコン翻訳+リメイクしたものです。

「天国の書」の中にある「神のご意志」について書かれた部分からの抜粋集です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性・日々の黙想》

 

 

(5月31日)

 

 

エペソ人への手紙 1:10

「それは、時が満ちる時に、天にあるものも地にあるものも、すべてをキリストにおいて一つに集めるためです。」

 

_______________

 

 

(ルイサの言葉)

「私たちが神の聖なるみ心に従って行動するたびに、私たちは天のすべてに会いに行き、天のすべてが私たちに会いに来てくださるのです。」

 

_____________

 

 

(「天国の書」 第17巻 1925年1月4日)


人生で最も重要な行為。
神の意志に身を委ねる魂を天国全体が迎えに行く様子。

 

一日を終えて、私はこう考えていました。

「他にやるべきことは何だろう?」

すると私の心の奥底に、こう言われる声が聞こえました。

 

「あなたは最も重要なことをしなければなりません。

それは、神のご意志に自らを融合させるという、あなたの最後の行為です。」

 

そこで、いつものように、私は自分の貧弱な存在のすべてを、至高のご意志に融合させ始めました。

そうしているうちに、天が開いて、私は天国のすべての人々に会いに行くことになり、天国のすべてが私の方へ向かってくるように感じました。

そして、愛するイエスは私にこう言われました。

 

「娘よ、わたしの意志に身を委ねることは、あなたの人生において最も厳粛で、最も偉大で、最も重要な行為です。

わたしの意志に身を委ねるということは、永遠の領域に入り、それを抱きしめ、それに口づけ、永遠の意志が内包する恵みを受け取ることなのです。」

 

さらに、魂が至高の意志と融合するにつれ、あらゆる存在が魂を迎えにやって来て、自らのすべてを魂に託します。

天使も、聖人も、神性そのものも、すべてが安全に守られる同じ意志に託すことを知って、すべてを託すのす。

さらに魂はこれらの恵みを受け取ることで、神の意志に則った行ないによって、それらを増幅させ、天国全体に2倍の栄光と誉れを返すのです。

 

ですから、あなたがわたしの意志に自らを融合させることによって、天と地が動き出し、全天で新たな祝宴が開かれるのです。

そして、わたしの意志に自らを融合させることは、誰一人として排除することなく、すべての人、一人ひとりに愛を与えることであり、被造物に愛においてわたしが凌駕されることのないように、わたしは被造物の中にすべての人々の善と、わたしの中に宿るあらゆる可能な善を宿らせます。

また、すべての善を宿らせるための空間が不足することはありません。

なぜなら、わたしの意志は広大であり、すべてを受け入れることができるからです。

 

もしあなたが自分の行ないと、私の意志に融合することで何が起こるかを知っていたら、あなたは絶えず融合したいという望みに燃え上がるでしょう。」

____________

 

 

(今日の祈り)

「愛の御母よ、至高の元后よ、ああ、私は愛する御母をどれほど必要としていることでしょう。

あなたがいなければ、私の中にはいのちが欠けているように感じます。

御母がいなければ、すべてが揺らぎます。

どうか私を見捨てないでください。

すべてが私にとって神のみ心となるまで、私を導き続けてください。

そうすれば、神は私の内にそのいのちと王国を形作ることができるでしょう。」(『神のご意志の王国の聖母マリア』31日目より抜粋)

 

 

 

 

 

 

※この記事はアメリカとフィリピンにある「神の意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから、私個人が読むために翻訳したものです。

記事は毎日出されていますが、この記事はちょうど1年前の同じ日付に出されたものです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ルイサと神のご意志を生きる意味①》

 

 

(「天国の書」より抜粋)

 

 

第12巻 (1918年4月8日)

 

神のご意志に従って生きるという点に戻りますが、それは神と一体となって生きるようなものだと教えられていました。

そして、いつも愛してくださるイエスが来られ、こう言われました。

 

  「娘よ(ルイサ)、わたしと一体となって生きることと、わたしの神の意志に従って生きることには大きな違いがあるのです 。」

 

そして、そう言いながらイエスは両腕を私の方に伸ばされ、こう言われました。

 

「ほんの一瞬でいいから、わたしの神の意志の中に入りなさい。

そうすれば、その大きな違いが分かるでしょう。」

 

 私はイエスの中に自分自身を見出しました。

私の小さな原子は永遠のご意志の中に泳いでいました。

そして、この永遠のご意志は過去、現在、未来のすべての行為を包含するひとつの行為であるため、永遠のご意志の中にいる私(ルイザ)は、被造物として可能な限り、すべての行為を含むそひとつの行為に参加しました。

私はまた、まだ存在していない行為、そして世紀の終わりまで、神が神となるまで存在しなければならない行為にも参加しました。

そしてこれらの行為に対しても、私は神を愛し、感謝し、祝福しました。

私から逃れられる行為はひとつもなく、私は今、御父と御子と聖霊の愛を受け取り、彼らの神聖なご意志が私の意志であったように、それを自分のものとし、それを彼らに私のものとして与えようと思いました。

彼らに彼ら自身の愛を私のものとして与えることができた私は、どれほど満足したことでしょう。

そして、彼らは私から彼ら自身の愛を私のものとして受け取ることで、どれほど完全な満足と溢れ出る喜びを見い出されたことでしょう。

しかし、誰がすべてを言い表せるでしょうか。

私には言葉が足りません。

 

 さて、祝福されたイエスは私にこう言われました。

 

 「あなたは(ルイサ)、わたしの神聖な意志の中で生きるとはどういうことか、見たことがありますか?  

それは消え去ること、永遠の領域に入ること、永遠なる御方の全知全能、すなわち創造されていない、精神に深く入り込み、被造物として可能な限り、あらゆること、そしてあらゆる神の行為に参加することです。

それは地上にいる間にもあらゆる神聖な性質を享受すること、神の方法で悪を憎むことです。

それは、この被造物を活気づける意志が神聖なものであるため、疲れを知らずにすべての人に身を委ねることです。

  それはまだ知られていない聖性であり、わたしの明らかにするものであり、他のすべての聖性の中で最後の装飾であり、最も美しく、最も輝かしいものとなり、他のすべての聖性の冠であり成就となるでしょう。」 

 

 「さて、わたしと一体となって生きるということは、消滅することではありません

ふたつの存在は共に存在することができ、消滅しない者は永遠の領域に入り、すべての神聖な行為に参加することはできません。 

 よく考えるなら、その大きな違いが分かるでしょう。」

 

 

 

 

 

 

※この記事は、「わたしのご意志の太陽」という外国のサイトの中にある「ルイサと神のご意志を生きる意味」という記事を私の個人的な信心のためにパソコン翻訳+リメイクしたものです。「天国の書」の中にある「神のご意志」について書かれた部分からの抜粋集です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性・日々の黙想》

 

 

(5月30日)

 

 

(マルコによる福音書 12:30)

「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」

 

___________

 

 

(ルイサの言葉)

「神のみ心においてのみ、私たちはこう言うことができます。

「私はイエスを愛しました。イエスが望むことはすべて行ないました。私はすべてを行ない、すべてをイエスに捧げました。

イエスご自身さえも。」

 

_____________

 

 

「天国の書」 第32巻 1933年4月9日

 

「さて、創造と贖いにおいて、わたしたちの愛に対する反対はなく、わたしたちの業を完成させるためにわたしたちが自らを尽くすことを妨げるものもありませんでした。

なぜなら、わたしたちは誰からも独立して行動していたからであり、わたしたちが望むように自らを尽くすことを妨げるような人間の意志は存在しなかったからです。

 

わたしたちは被造物と共に成し遂げようとする聖なる計画のそれぞれに対して、被造物からのあらゆる反対に耐えています。

そして、もし人間の意志がわたしたちの意志と結びついておらず、わたしたちが望むように扱い、わたしたちが定めた形を与え、わたしたちの計画を成就させ、そしてわたしたちの成就した行為を形成することによって、自らを尽くすような形で自らをわたしたちの手に委ねていないならば、被造物はわたしたちをどれほどの制約に陥れることでしょう

 

ああ! わたしたちは、わたしたちが望むものを与えることも、愛のかけらや火花だけを与えることすらできません。

なぜなら人間の意志は常にわたしたちを拒絶し、わたしたちに反対しているからです。

 

それゆえ、(神の)意志のある者を見いだした時、わたしたちは惜しみなく与えます。

わたしたちは母親が子どもに接するように、彼女の上に自らを置き、彼女を美しく優雅に育て、彼を彼女の栄光、子ども自身の名誉、そして全世界の幸福とするほどに惜しみなく与えるのです。

 

同様に、わたしたちは彼女を一瞬たりとも見捨てず、常に何かを与え続けます。

それは彼女を忙しくさせるためだけではなく、彼女が他のことに気を取られる暇を与えないためでもあります。

そうすることで、わたしたちは「すべてはわたしたちのものです。わたしたちはこの被造物に対して全力を尽くすことができます」と言えるようになるのです。

 

そして、わたしたちの愛は要求が厳しいので、当然のことながら、彼女が自分のすべての行ないに、できる限りのすべて、つまり愛と人生のすべてを捧げることを求めています。

そうすることで初めて、こう言えるようになるのです。

「あなたが私のためにご自身を尽くしてくださったので、あなたが私に与えてくださった恵みを、私は受け留め切ることができませんれません。

ですから私もまた、あなたのために自分自身を尽くします」

 

こうして彼女はわたしたちの業を模範とし、わたしたちの神聖なる行為を模倣し続けるのです。
ここに神の意志の熱情、あなたの内側と外側で絶えずあなたを照らす光があります。なぜなら、それはすべてを自分のものにしたいと願い、あなたが生きていると感じるあなたの意志にはいのちがないことを望んでいるからです。

そうすれば、わたしの意志がその中にいのちを形作り、神聖なる行為を成就し、与えたいと願ったすべてを与えたと誇ることができるからです。

「わたしはこの被造物の中で自分自身を尽くし、彼女はわたしのために自分自身を尽くした。」と

 

神と被造物の双方が尽くし切ること以上に喜ばしい幸福も、それ以上の幸運もありません。

しかし、このすべての善を生み出すのは誰なのでしょうか?

それはわたしたちの意志が働き、成就された結果なのです。」

 

_____________

 

 

(今日の祈り)

 

「御母よ、私を助けてください。

私の弱さを強め、私の恐怖を追い払ってください。

そうすれば、私はあなたの腕の中に身を委ね、神のご意志に完全に従って生きることを確信できるでしょう。」(「神のご意志の王国の聖母マリア」30日目より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

※この記事はアメリカとフィリピンにある「神の意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから、私個人が読むために翻訳したものです。

記事は毎日出されていますが、この記事はちょうど1年前の同じ日付に出されたものです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性(終)》

 

 

【天国の書】

 

 

イエスは小さい弟子であり、神のご意志の娘であるルイサ・ピッカレータを通して、神の意志に従って生きるという賜物を私たちにお与えになることで、聖三位一体の人類への永遠の愛を示されました。

イエスはルイサに、これまで誰にも書かれることのなかったイエスの存在の一面、すなわち神のご意志に従って生きるということに焦点を当てるようにと告げられました。

それは神が最初に意図して人間の魂に植え付けられたように、神の神聖なるいのちと神聖なる愛に与ることのできる、本来の聖なる状態に戻る唯一の道だからです。

 

 

 

・イエスはルイサに神のご意志について語られます

 

38年かけて書かれた36巻の書物の中で、イエスがルイサに与えられた個人的な啓示には、イエスの聖なる内面と、イエスご自身が地上で生きられたように「神のみ心に従って生きる」とはどういうことか、つまり父なる神のみ心を行なうことだけだということが示されています。  

イエスはルイサ・ピッカレータに、日常生活の中で「天にあるように」地上でも神のみ心を行なう方法を雄弁に語られました。

イエスはルイサに、人間が本来の聖なる状態に戻るには、神のみ心に従って生きることによって、神と完全に一体となる必要があると説明されます。

ルイサは、鮮​​やかなイメージ、たとえ話、好例、そして考察を用いて、イエスが愛情を込めて教えられた「神み心に従って生きる」ことのすべてを、1万ページにわたって記録しています。

そしてイエスご自身が、これから印刷されるこの私的な啓示の集体成を何と呼ぶべきかをルイーザに告げられました。

 

 

(イエスからルイサへ)

「…あなたがわたしの遺言について出版する本のタイトルはこれです。」

 

「被造物の中に存在するわたしの神の意志の王国。天国の書。

被造物が神によって創造された秩序、場所、目的へと召されたもの」

 

「 見なさい、わたしはその称号がわたしの意志の偉大な働きにふさわしいものであることを望んでいます。

わたしは被造物が、神によって割り当てられた自分の居場所がわたしの意志の中にあることを理解することを望んでいます。

そして被造物がそこに入るまでは、居場所も秩序も目的もなく、創造物の中で何の権利もない侵入者となり、それゆえ平和も相続もなくさまようことになるでしょう。」(『天国の書』第20巻/1926年8月27日)
 

 

 

・ルイサの手記は聴罪司祭たちによって読まれました

 

ルイサには数々の奇跡的な出来事があり、彼女が日記に書いたイエスとの会話は、彼女のような教育程度の低い人物の口から出たとは思えないほど雄弁だったため、教会は早い段階から彼女の活動に関心を寄せました。

ルイサが日記に記したように、彼女には多くの聴罪司祭が付き添い、彼女が妄想にとらわれたり、悪魔に惑わされたりしないよう指導しました。

彼女は34歳の時、つまり1899年2月28日から1938年12月28日まで続くイエスとの対話を書き始めました。

  聖アンニバレ・マリア・ディ・フランシアは、1927年6月1日に亡くなるまで17年間、彼女の聴罪司祭を務めました。

 ルイサの著作を熱心に支持した聖アンニバレは、1926年8月6日に最初の18巻について出版許可証(ニヒル・オブスタット)を与えました。

さらに1926年10月には、トラーニのレオ大司教が最初の18巻に出版許可証(インプリマチュア)を与え、出版を認可しました。

1995年11月13日、当時教理省長官であったラッツィンガー枢機卿は、ルイサの列聖手続きを支援するため、日記の34冊の手書きノートの複製を私的研究用に公開することを承認しました。

2015年、ルイーザ・ピッカレッタ生誕150周年を記念して、バチカン出版局(Libreria Editrice Vaticana)は、彼女の生涯と、「神のご意志を行なう」ことから「地上で天国のように神の意志に従って生きる」ことへの画期的な啓示を記録した伝記「わたしのご意志の太陽」を刊行し、彼女の生涯とメッセージをより明確に理解することに貢献することを願いました。

 

 

 

・私的啓示の役割

 

カトリック教会のカテキズムは、私的啓示の価値を次のように認めています。

 

 

「したがってキリスト教は新しい決定的な契約であるため、決して消え去ることはなく、主イエス・キリストの栄光ある顕現の前には、新たな公の啓示は期待できません。」(カトリック教会のカテキズム66)

「しかし、啓示がすでに完成しているとしても、完全に明らかにされたわけではなく、キリスト教の信仰が何世紀にもわたって徐々にその完全な意味を理解する必要があるのです。」(カトリック教会のカテキズム28)

 「時代を通して、いわゆる「私的」啓示があり、その中には教会の権威によって認められたものもあります。

しかし、それらは信仰箇条に属するものではありません。

それらの役割は、キリストの決定的な啓示を改善したり完成させたりすることではなく、歴史のある特定の時代において、それをより完全に生きることを助けることにあります。

教会の教導権に導かれ、信徒は感覚的に、これらの啓示の中に、キリストまたは聖人たちが教会に真に呼びかけているものを識別し、受け入れる方法を知っています」(カトリック教会のカテキズム67)

 

 

 

 

 

※この記事はアメリカとフィリピンにある「神のご意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから私個人の信心のために翻訳・ブログアップしたものです

 

 

 

 

 

 

聖アンニバレ・マリア・ディ・フランシア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性・日々の黙想》

 

 

(5月29日)

 

 

(コリント人への手紙第二 3:18)

「しかし私たちは皆、覆いのない顔で鏡のように主の栄光を映し出しながら、主の御霊によって、栄光から栄光へと、同じ姿に変えられていくのです。」

 

___________

 

 

(ルイサの言葉)

「私たちが神のみ心を行なうことを願うとき、聖なる三位一体は私たちに愛を与え、美で私たちを覆い、善を与えてくださり、私たちが神の秩序を感じることができるようにしてくださるのです。」

 

_____________

 

 

(「天国の書」第16巻 1924年5月13日 )

 

どういうわけか、イエスは私をさらに強く抱きしめ、果てしない光の真ん中へと私を高く引き上げてくださいました。

私は自分が消滅していくのを感じましたが、その消滅は神聖ないのちによって覆い隠され、そのいのちは美しさ、神聖さ、光、善、平和、愛など、さまざまな色合いを解き放ちました。

その結果、私の無はそれらの神聖な色合いによって変容し、もはや私自身が認識できないほどになり、私をこれほどまでに美しく飾ってくださったお方を魅了するほどになったのです。

そして、愛するイエスは再び語り始められました。

 

「娘よ、神の位格の第一の行為は、わたしたちの意志の完全な一致です。

わたしたちの意志は非常に統一されているため、一方の意志と他方の意志を区別することができないほどです。

そのため、わたしたちの位格はそれぞれ異なっていても(わたしたちは三位一体であはありますが)、わたしたちの意志はひとつであり、このひとつの意志は神の位格の間で完全な崇拝の絶え間ない行為を生み出します。

一方が他方を崇拝するのです。

この意志の一致は、聖性、光、善、美、力、愛の平等を生み出し、私たちの中に真の秩序と平和の支配を確立し、私たちに計り知れない喜びと幸福、そして無限の至福を与えるのです。

 

そして人間の意志と神の意志との調和は、創造主と被造物との間の最初のつながりであり、そこから神の徳が水路のように被造物の中に流れ込み、被造物の中に創造主への真の崇拝と完全な愛を生み出します。

さらに、そのおなじつながりの経路から上昇するにつれて、彼女は神聖な性質の様々な色合いを受け取ります。

そうして、魂がこの永遠の意志へと潜り込むために上昇していくたびに、彼女はより多くの種類の神聖な美しさによって飾られ、獲得していくのです。

だからこそ、わたしの意志を実行する魂は、わたしの楽しみであり、わたしの満足なのだと言えるのです。

そして、わたし自身を楽しませるために、わたしは意志の筆を手に持ち、彼女がわたしの意志に深く入り込むにつれて、わたしは彼女に手を加え、わたしの美しさ、わたしの愛、わたしの神聖さ、そしてわたしのあらゆる資質の新たな一面を、わたしの筆の一筆で彼女に刻み込むことで、わたし自身を楽しませるのです。

ですから、わたしにとって、彼女の中にいることと天にいることは同じです。

わたしは神への同じ崇敬、わたしの意志、わたしの愛を見出すのです。

そして、被造物に常に何かを与えることができるので、わたしは今、熟練した画家として、彼女の中に私の姿を描きます。

今、教師として、彼女に最も崇高な教えを与えます。

今、情熱的な恋人として、愛を与え、また愛を求めます。

要するに、わたしは彼女と共に楽しむために、あらゆる技を駆使し、実践するのです。

そして、わたしの愛が被造物によって傷つけられ、わたしを死に追いやろうとする者や、わたしを天の穹窿へと追いやろうとする者から逃れる場所、避難する場所が見つからないとき、わたしは自分の意志を内に宿す魂に避難します。

そしてそこで、わたしを守る力、わたしを愛する愛、わつぃに安らぎを与える平和を見出します。

私は望むすべてを見出すのです。

それゆえ、わたしの意志は天と地、そしてあらゆる善を結びつけ、それらを一つにします。

そして、この意志からのみ、想像できる限りのあらゆる可能な善が生まれます。

それゆえ、わたしの意志を行なう魂はわたしにとって全てであり、わたしはその魂にとって全てであると言えるのです。」

 

_____________

 

 

(今日の祈り)

「いとも聖なる御母よ、あなたの美しい教えに私は心を奪われます。

ああ、私の魂に神のご意志が働き続けることを、どれほど切望し、願っていることでしょう。

私もまた、イエスと、そして母なるあなたと、決して離れることのない存在になりたいのです。

しかしそのためには、私の意志をあなたの母なる心の中に閉じ込めておくという約束を、あなたが引き受けてくださらなければなりません。

たとえそれが私にとって大きな犠牲を伴うとしても、決してそれを私に与えないでおられてはなりません。

そうして初めて、私は確信を持つことができるのです。

そうでなければ、それは常に言葉だけで、決して実行に移すことはできないでしょう。

ですから、あなたの子どもはあなたに身を委ね、あなたからすべてを望むのです。」

(「神のご意志の王国の聖母マリア」29日目より抜粋)

 

 

 

 

 

 

※この記事はアメリカとフィリピンにある「神の意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから、私個人が読むために翻訳したものです。

記事は毎日出されていますが、この記事はちょうど1年前の同じ日付に出されたものです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性⑨》

 

 

【ルイサの生涯】

 

 

主イエスは、神のみ心に従って生きるという賜物を私たちと分かち合われるために、ルイサ・ピッカレータを選ばれました。

イエスによって啓示されたこの「聖なるものの中の聖性」の先駆者として、ルイサの人性は完全に神のみ心に根差していました。

20世紀のこの「神のみ心の小さな娘」は、彼女の人性を特徴づける様々な疫病や2つの戦争の最中に、この深遠な霊性を世に伝えることになるのです。

 

・ルイサの家庭生活
 
ルイサ・ピッカレータは1865年4月23日、イタリアの小さな町コラートで生まれ、5人の姉妹と共にキリスト教的価値観に満ちた家庭で育ちました。
両親は敬虔なカトリック信者で、子どもたちに決して意地悪なことを言わず、常に善良で謙虚であるように教えました。
父親は小作農の農民であり、頻繁に不作があったにもかかわらず、ルイサは両親が農場労働者たちに対して常に正直で寛大であるのを見ていました。
ルイザは貧しい環境で育ち、十分な教育を受けることができませんでしたが、どんな状況にあっても慈愛に満ちた家庭生活を送っていました
 
 
 
・幼少期から青年期へールイサはイエスと出会います
 

幼いころ、ルイサは悪魔に連れ去られそうになる悪夢に常に悩まされていました。

ロザリオの祈りを覚えると、それは彼女を守るための武器となりました。

9歳で初めてご聖体拝領をした時、その直後に主のみ声を聞いたことで、ご聖体への情熱が芽生えました。

11 歳でマリアの娘会に入会すると、悪魔への恐怖を克服し、天の御母、イエス、そして守護天使が自分を守ってくれていると告げる内なる声を聞いて、力と勇気を得ました。

成長したルイサが、なぜ夢の中で悪魔が自分を襲おうとしたのかとイエスに尋ねると、イエスは、悪魔が彼女を不純な考えに屈服させることができないのは、イエスご自身が彼女の魂を守っているからだと説明されました。

また、ルイサがなぜ自分が極度の恥ずかしがり屋で、人前でこんなに恥ずかしい思いをするのかとイエスに尋ねると、主は、それは彼女をあらゆるものから引き離し、彼女の内に神のみ心の王国を形作るためだと答えられました。

 

ルイサとイエスとの内なる対話は、 12歳以降ますます深まり、止まることなく続いていきました。

これが彼女の人格形成期、すなわちイエスの「完全なみ姿」となるための心の浄化の時期の始まりとなります。

イエスは彼女に謙遜について教えられました。

神なしには何も成し遂げられないこと、そして神の愛によってこそすべてが可能になることを悟ることです。

したがって、正しい行ないをするということは、すべてのことをイエスの愛の中で、イエスと共に、イエスの愛のために行なうことを意味するのです。

ルイサはあらゆること、特に自分の意志における自己抑制の精神を学びました。

それは、イエスのご意志と自分の意志がひとつになるためでした。

 

イエスはまた、ルイサに、真にご自分の生涯を模倣するには、人類の救いのために自分が受けた受難にあずからなければならないと告げられます。

ルイサが13歳の時、自宅のバルコニーから見た幻の中にイエスが現われます。

イエスは十字架を背負い、群衆に殴打され、血まみれの顔で彼女を見上げ、「魂よ、わたしを助けてください!」と腕を上げておっしゃられました。

ルイサは心を痛め、罪深いのは自分なのだから、代わりに自分が苦しませてほしいと懇願します。

この幻は、人類の罪を償うために、犠牲の魂としてイエスと共に苦しみたいという、生涯にわたる彼女の願いを燃え上がらせます。

 
 
・ルイサのこれまでとは違う人生
 

17歳の時、ルイサはイエス・キリストの受難の際の肉体的苦痛の様々な示現を見始めます。

敵に囲まれ、殴打され、平手打ちされ、頭に茨を突き刺され、骨を折られるイエスの姿が現れました。

聖母マリアは涙ながらにイエスを腕に抱き、イエスが犠牲の魂としてルイサを選んだのだから、共に苦しむことで息子に安息を与えてほしいとルイサに願われます。

ルイサは恐怖に震えますが、 イエスと聖母マリアに身を捧げ、求められることは何でも受け入れました。

ルイサはこの出会いが、司祭の祝福によってのみ解放されるという謎めいた苦しみを生涯にわたって背負うことになるとは、まだ気づいていませんでした。

ルイサがイエスの苦しみにあずかることに同意するたびに、彼女は意識を失い、体が動かなくなって硬直し、まるで死んでいるかのように見えました。

そのような時、イエスはルイサの魂をご自身のもとに召され、天国、罪深い人間性、地獄を彼女に示し、神のみ心に従って生きることによる救いを教えられました。

ひどく心配した家族は医者を呼びましたが、誰も彼女を診断することも治すこともできませんでした。

司祭が彼女の体に十字を切ることによってのみ、ルイサは完全に意識を取り戻すことができました。

この正常な状態への回復は、数日間、あらゆる種類の食べ物に対する強い嫌悪感を伴いました。

家族に無理やり何かを食べさせられても、数分後にはそれを丸ごと、新鮮で香りの良い状態で吐き出しました。

これが最終的にルイサが聖体拝領のみを「日々の糧」として生き、ほぼ20年間それを糧として生き延びるという神秘的な現象へとつながっていきました。

 

 

 

・ルイサとイエスの神秘的婚姻

 

22歳になったルイーザは、あらゆることにおいてイエスとひとつになりたいという深い愛と願いから、イエスが父なる神に身を捧げられたすべての被造物への愛へと自然と至りました。

イエスの死の苦しみを分かち合うことは、イエスの苦しみの目的、すなわち全人類の救いを分かち合うことをも意味します。

 ルイサは、神の正義と邪悪な人類の間に立ち、彼らが受けるべき罰を身代わりとなって引き受けることで、イエスに命を捧げました。

人類の罪を償うためにイエスが求められた犠牲、すなわち、残りの人生を寝たきりで過ごし、ベッドを十字架として生きるという犠牲を彼女は受け入れます。

この苦しみは、彼女をキリストとの神秘的な一致へと導く浄化であり、そこでイエスは彼女の魂が神性によって変容され、神性が持つ真の徳を授かるよう、ご自身のご意志に完全に従うことを求められました。

イエスは彼女が決してご意志から離れず、ご意志に従って、そしてイエスへの愛のためにすべてを行なうことを望まれました。

そしてこれこそがイエスの糧であり、満足でした。

3度にわたる神秘的な結婚を通して交わったこの愛の交流によって、ルイサはキリストの「もう一人の人間性」となり、イエスはルイーザを変容し、彼女は「キリストに十字架につけられた」ままとなります。

そしてルイサはイエスが彼女を「神のご意志の最初の使徒であり、その先触れ」と呼ぶのを聞いたのでした。

 

 

 

・神のご意志の小さな秘書・ルイサ

 

ルイサは60年間寝たきりの状態が続きましたが、その間、床ずれができたり病気になったりすることは一度もありませんでした。

これは イエスが彼女に啓示された「神のみ心に従って生きなさい」という呼びかけに対する、彼女の愛に満ちた応えでした。

ルイサはイエスが彼女に示しされた、神のみ心の真理を伝えるという使命を受け入れ、その間ずっと健康を保ち続けました。

 

34歳になった時、ルイサはイエスが神のみ心に従って生きることについて彼女に啓示されたすべてのことを、従順によって書き始めました。

なぜならイエスがそれをすべての人に知らせたいと願われたからです。

1899年2月28日から1938年12月28日まで、彼女はベッドに座りながら、イエスとの対話を記録しました。

その対話の中で、ルイサはイエスが彼女に啓示された、最も聖なる人間性の深い神秘に触れることを許されたのです。

 

ルイサの人生には数々の奇跡的な出来事があり、日記に記録されたイエスの個人的な啓示は、彼女のように教育水準の低い人物から発せられるにはあまりにも雄弁であったため、教会は彼女を導き、彼女が妄想にとらわれていないか、あるいは悪魔が彼女に語りかけているのではないかと疑われる多くの司祭(告解司祭)を派遣しました。

大司教区の司教によって派遣されたこれらの司祭たちは、彼女がイエスとの日々の対話を書き留める際には、傍に付き添いました。

小学校1年生しか修了していないにも関わらず、ルイサは1万ページに及ぶ日記に、イエスが愛情を込めて教えた「神のご意志に従って生きる」ことすべてを、鮮やかなイメージ、たとえ話、例、そして考察を用いて記録しました。

これらの記録は「天国の書」と呼ばれる36巻にまとめられています。

 
 
 
・ルイサの「奇跡的な死」と列福・列聖調査
 

ルイサ・ピッカレータは1947年3月4日に82歳近くで亡くなりました。

彼女は敬虔な生活を送っていたことから、コラートでは「聖女」として知られ、愛されていました

彼女の死は、記録に残る限り他に類を見ない、まさに「奇跡的な死」でした。

長年寝たきりだった彼女は、直立した姿勢から体をまっすぐに伸ばすことができず、枕の支えがなくても、宙に浮いたままでした。

医師たちは集まって彼女の死を宣告したが、ルイサには死後硬直の兆候が全く見られませんでした。

頭も腕も手も指もあらゆる方向に自由に動き、部屋で4日間横たわっていたにもかかわらず、死臭は全くしませんでした。

 近隣の町々から大勢の人々が彼女を見ようと集まり、公衆の崇敬のために彼女の姿が晒されると、主はこの魂が単なる被造物ではなく、聖なる犠牲者であることを示されました。

 

ルイサは生涯を通して、すべての人を神へと導き、彼らの心の中で神の国が勝利することを切に願っていました。

多くの人々が、助言や励ましを求めて彼女を訪ね、神のみ心について説く彼女の説得力のあるたとえ話に平安を見出したことを覚えています。

彼女の聖性の声が広まるにつれ、生前に起こった肉体の癒し、回心、霊的な癒しの数々の話が明らかになり、死後には彼女の執り成しによって得られた様々な恵みについても語られるようになりました。

教会はルイーザの生涯に関心を示し始め、1948年11月27日、トラーニ大司教レジナルド・ジュゼッペ・マリア・アッダジは、ルイサ・ピッカレータに「神のしもべ」の称号を与えることを許可しました。   

1994年2月25日、トラーニ大司教カルメロ・カッサティは、バチカン列聖省から、ルイサ・ピッカレッタの生涯、徳、聖性の名声に関する教区調査を通じて列福調査を開始する許可を得ました。

2007年3月、ルイサの列福・列聖調査がバチカンで正式に開始されました。

そして2015年、ルイーザ生誕150周年を記念して、バチカン出版局はルイサの伝記『わたしのご意志の太陽』を出版しました。

 
 
 
 
 
「ご聖体拝領が彼女にとって唯一の糧であり、ベッドが彼女の十字架であり、『フィアット(神のみ心のままに)』が彼女のモットーでした。」( トラーニ=バルレッタ=ビスチェリエ大司教区の総代理、セルジオ・ペレグリーニ神父による、神のはしためルイサ・ピッカレータについてのコメント。)
 
 
 
 
 
 
※この記事はアメリカとフィリピンにある「神のご意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから私個人の信心のために翻訳・ブログアップしたものです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性・日々の黙想》

 

 

(5月28日)

 

 

(ペテロの手紙第一 1:6-7)

 

「あなたがたは、こうしたすべてのことにおいて大いに喜んでいます。

今はしばらくの間、様々な試練の中で苦しみを味わわなければならないかもしれませんが、それは火で精錬されても朽ちる金よりもはるかに価値のある、あなたがたの信仰の真実さが証明され、イエス・キリストが現れる時に、賛美と栄光と誉れとなるためです。」

 

 

____________

 

 

(ルイサの言葉)

「祈りましょう、地上における神のご意志の勝利を得るために、ささやかな努力を捧げましょう。

 

____________

 

 

(「天国の書」 第3巻 1899年11月1日)

 

教会の浄化。
その支えは、犠牲となった魂たちです。

 

いつものようにぼんやりしていると、自分が教会の中にいて、そこでは司祭が神聖な犠牲を捧げていて、激しく泣きながらこう言っていました。

「私の教会の柱は、もう寄りかかる場所がない!」

彼がこう言ったとき、私は柱を見ました。

その頂は天に届き、その柱の底には司祭、司教、枢機卿、その他あらゆる高位の人々がいて、その柱を支えていました。

しかし驚いたことに、私が周りを見回してみると、これらの人々の中には、非常に衰弱している人、半分腐りかけている人、病弱な人、泥まみれの人がいました。

そのため、柱を支えられるだけの体力のある人はごくわずかでした。

こうして、この哀れな柱は揺れ続け、じっとしていることができず、底の方から幾度となく揺れ動いていました。

この柱の頂上には御父がおられ、金の鎖を身にまとい、全身から光線を放ちながら、柱を支え、下に住む人々を鎖で繋ぎ、照らすためにできる限りのことをされていました。

もっとも、下に住んでいる人々の中には、腐って泥に覆われている方がまだましだと考えて、逃げ出す者もいましたが。それでも御父は全世界を縛り付け、照らすためにできる限りのことをされていました。

私がこれらのことを見ていると、ごミサを執り行っていた司祭(司祭だったのか主イエスだったのかは定かではありません。でも私には主だったように思えましたが、確信は持てません)が私を近くに呼び寄せ、こう言われました。

 

「娘よ、わたしの教会がどれほど悲痛な状態にあるかを見なさい。

教会を支えるはずだった者たちが身を引いて、自分たちの行ないで教会を打ち倒し、叩き、ついには教会を貶めるところまで来ているのです。

唯一の解決策は、わたしが大量の血を流させて浴槽を作り、その腐った泥を洗い流し、彼らの深い傷を癒すことです。

そうすれば、彼らはその血によって癒され、強化され、美しくなり、彼女を安定させ、堅固に保つことができる道具となるでしょう。」

 

そして彼はこう付け加えられました。

 

「わたしがあなたを呼び出したのは、こう伝えるためです。

『あなた方は犠牲者となり、この矯正不可能な時代に、この柱を支える支柱のような存在になりたいですか?』」

 

最初は力が足りないのではないかと恐れて震えが走りましたが、すぐに身を捧げ、フィアットと唱えました。

その瞬間、私は多くの聖人、天使、浄化の魂に囲まれていることに気づき、彼らは鞭やその他の道具で私を苦しめました。

最初はある種の恐怖を感じましたが、苦しめば苦しむほど、もっと苦しみたいと思い、最も甘い蜜のように苦しみを楽しみました。

さらに、「これらの苦痛が私のいのちを焼き尽くし、最高の唯一の善へと最後の飛翔で翼を広げる手段となるかもしれない」という考えが私の心に浮かびました。

しかし最も悲しいことに、激しい苦痛を味わった後、これらの苦痛が私のいのちを焼き尽くすことはないのだと分かりました。

ああ神よ、何という苦痛でしょう!

この脆い肉体が、私を永遠の善と一体化させることを妨げているのです!

その後、私は柱の下で人々が血まみれの虐殺に遭うのを目撃しました。

なんと恐ろしい惨劇でしょう!

犠牲者になることを拒んだ者はごくわずかで、彼らはあろうことか教皇さまを殺害しようと企てたのです。

しかしその時、私には、流された血と血まみれの苦しみに喘ぐ犠牲者たちは、残された者たちを強くし、柱がこれ以上揺れないように支え続けるための手段だったように思えました。

ああ、なんという幸福な日々でしょう!

この後には、勝利と平和の日々が訪れ、地上の様相は一新され、柱は本来の威厳と輝きを取り戻すでしょう。

ああ、幸福な日々よ!

遠くからあなた方を歓迎します。

それは私の教会に大きな栄光をもたらし、その頭である神に大きな誉れをもたらす日々なのです!

 

_____________

 

 

(今日の祈り)

「聖なる御母よ、あなたが私を助け、あなたのマントの下に私を守り、私の天上の番人として行動してくださるなら、私は自分のすべての苦しみを神のご意志に変えることができると確信しています。

そして、至高の御旨の果てしない道を、一歩ずつあなたについていきましょう。

なぜなら、あなたの母としての魅力的な愛とあなたの力が私の意志を征服し、あなたがそれをあなたの力で守り、神の意志と交換してくれることを知っているからです。」

(『神のご意志の王国の聖母マリア』28日目より抜粋)

 

 

 

 

 

 

※この記事はアメリカとフィリピンにある「神の意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから、私個人が読むために翻訳したものです。

記事は毎日出されていますが、この記事はちょうど1年前の同じ日付に出されたものです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《神のご意志の霊性⑧》

 

 

【聖母マリアと神のご意志】

 

 

聖なる教会が聖母マリアを崇敬するあらゆる崇高な特権は、他ならぬ聖母を支配された神のご意志の働きによるものです

神が私たちの御母を通してどのように働きかけられ、神のご意志が被造物の中で支配するという神のご計画において聖母がどれほど重要な存在であるかを見ていきましょう。

 

 

 

・神のご計画におけるマリアの役割ー新しいイヴ

 

アダムとイブが本来の聖性と正義の状態から堕落したとき、彼らは神のご意志の王国を失いました。

しかしイエスは将来、人の中に神のご意志を回復する救い主が現れるという約束を告げられました。

最初のイブは蛇の言葉に耳を傾け、不従順になりました。

新しいイブは神のご意志に完全に従順でした。

彼女は、創世記3章15節に記されているように、神が種、すなわち受肉されたみ言葉を産み出す女性であり、その御子と共にサタンの頭を打ち砕かれるのです。

イエスは天国の書の中で、将来の救世主の約束がなされた際に「女」として聖母マリアが果たした役割の重要性を明らかにされています。

彼は欺瞞に満ちた蛇にこう言われました。

 

 

イエスからルイサへ)

「『お前は女を利用して、わたしの神聖なる意志から男を奪い取りました。

ですからわたしは、わたしの命令の力をその力に宿す別の女を通して、お前の傲慢さを打ち砕き、その清らかな足で、お前の頭を粉砕するでしょう。』」(「天国の書」第29巻 /1931年5月19日)

 

 

聖母マリアは、選ばれた者の中の選ばれた者であり、「女の中で祝福された方」です。

私たちはアヴェ・マリアの祈りの中で、聖母マリアは神のご意志の王国を再建し、人類にイエスを伝えるために召されたお方だと唱えます。

 

 

 

・無原罪の御宿り

 

原罪という壁があまりにも高く、人間と神との間に隔たりを生み出していたため、原罪を負わずに宿られた処女が必要とされました。

聖三位一体は、ナザレのマリアを、ご自身の母となるべき処女として選ばれたのです。

 

聖母マリアは決して人間の意志にいのちを吹き込むことはありませんでした。

 

聖母マリアが原罪なく生まれたという事実は重要ですが、聖母マリアは『神の意志の王国における聖母マリア』の中で、ご自身の生涯がいかに神のご意志の王国の中で形作られていたかを私たちに示してくださっています。

この書の中で、聖母は神がご自身を通して至高のご意志を授けるために取られた手順を私たちに示してくださっているのです。

初日、彼女はご自身の受胎についてこう語っておられます。

 

 

(聖母マリア)

「…あなたは、私が人間の意志を知っていたのは、それを創造主への敬意を表すために捧げるためだけであったということを知っておかなければなりません。

私の人生はすべて神の意志によるものでした。

受胎の最初の瞬間から、私は神の光の中に形作られ、温められ、置かれました。

その光は私の人間の種をその力で浄化し、原罪のない状態で受胎しました。

ですから、もし私の受胎が汚れなく、神の家族の栄誉を形成するほど輝かしいものであったとしたら、それは全能の神の御意志が私の種に注ぎ込まれ、私が純粋で聖なる存在として受胎したからに他なりません…」(『神の意志の王国における聖母マリア 第1日目』より抜粋)

 

 

彼女はあらゆる悪から完全に解放され、生涯を通じて神のご意志に従って生きたため、聖三位一体に対して絶大な力を持っていました。

そして、聖三位一体は彼女の中に神のご意志を見出されたため、彼女が神のご意志に従って生きる模範となることを願った子どもたちへの母性愛に抗うことができませんでした。

 

 

 

・マリアの使命

 

 

人類の運命を安全に守る使命ー神の母性

 

聖母マリアは神のご意志を宿しておられたので、その愛は聖三位一体を結びつけ、聖母は子供たちのために祈る彼女の祈りに抗うことができませんでした。

イエスはこう付け加えられました。

 

 

(イエスからルイサへ)

「…聖母マリアの無原罪の懐胎は、アダムによって断ち切られた創造主と被造物とのつながりを再び築いた、最初で唯一の被造物でした。

聖母は、神と人間を結びつけるという神聖な使命を受け入れました…」(『天国の書』第30巻/1931年12月8日)

 

 

神と私たちすべてに対するこの母性をもって、マリアは神のご意志の王国の子どもたちを地上で育て、人類家族の運命を安全な場所に導くという崇高な使命を受けられました。

彼女は、自分の子どもたちが天国にいるだけでは満足せず、祝福された者たちがすでに天国でそうしているように、彼らにも神のご意志の王国で地上に生きてほしいと願っておられるのです。

 

 

神と人類の間の平和の仲介者

 

『神のご意志の王国における聖母マリア』によって、堕落した人類の状態を思い出された聖母が悲しみ、永遠のみ言葉が降臨してその状態から救い出してくださるように祈られたことが分かります。

聖三位一体は、幼子であった聖母マリアに深くみ心を動かされ、聖母マリアを、聖三位一体と人類との間の平和の仲介者とされました。

聖母マリアに宿る神のご意志の力によって、聖三位一体は「衰退し、危険にさらされた哀れな人類に平和の口づけを与える」ことを強いられたのです。(『神の王国における聖母マリア ・第九日』)

 

 

 

・神のご意志の御母にして元后

 

 

「したがって、彼女が持つ数多くの称号の中で、彼女に与えられる最も美しい称号は、「神の意志の母にして女王」です」(「天国の書」 1923年11月16日、24日)

 

 

聖母マリアは、無原罪の御宿りによって生まれ、永遠の昔から神の聖母として選ばれた、私たちの天上の母であり、神のご意志の元后です。

アダムの堕落によって人間が神のご意志を失って以来、神のご意志の物語を理解していたのは、この天上の存在でした。

マリアは神のご意志の悲しみを理解し、人間が神のご意志から自らの意志を断ち切ることによって神のご意志を束縛し、神が人間にその恵みと創造の目的を伝えることを妨げてしまったことを理解していました。

天の御母は、この最大の悲しみと、神のご意志から背く人間の大きな悪を理解しておられました。

マリアはすべての被造物を守るために、常に自らの命を捧げられました。

彼女は聖三位一体にこう告げられました

 

 

(聖母マリア)

「至高の陛下、私はあなたの腕の中にいます。

どうが、あなたの望むままに私を扱ってください。

私はいのちさえも捧げます。

もし私が被造物の数だけいのちを持っていたなら、それらを被造物とあなたの御手に委ね、すべての被造物を安全にあなたの父なる御腕の中へ導き入れるでしょう。」(『神の意志の王国における聖母マリア』より抜粋)

 

 

マリアは自分が神のみ言葉の御母となることを知らなかったにもかかわらず、心の中に「二重の母性」を感じていました。

すなわち、神に対する母性と、被造物に対する母性である。

彼女は自分がすべてのものの母であると感じていました。

 

 

(イエスからルイサへ)

「…では、この最もいつくしみ深い御母が、どのような食物によってその子らを養っているか、わかるでしょうか。

御母は、自らの生涯、想像を絶するような苦痛、そして息子のいのちさえも犠牲にして、わたしの意志というこの豊かな食物を自らの内に蓄え、やさしく愛情深い母として、すべての子らを養う準備を常に整えてきました。

御母はこれ以上子どもたちらを愛することはできませんでした。

この食物を与えることによって、御母の愛は究極の域に達したのです。

ですから母が持つ多くの称号の中でも、最も美しい称号は『神のご意志の母にして元后』なのです。」(「天国の書」第16巻 / 1923年11月24日)

 

 

 

・なぜマリアはご意志の御母なのか?

 

イエスは天の元后がなぜご自身の真の母であるかを説明されています。

それはマリアが神のご意志のいのちを宿しておられたからです。

神のご意志だけが、マリアに神聖な豊穣の種を与え、イエスを彼女の胎内に宿らせ、彼女の息子とすることができたのです。

イエスは、神のご意志がなければマリアはイエスの母にはなれなかったと語られます。

創造主を被造物の中に宿らせることができるのは、神のご意志だけなのです。

実際イエスは、もしご自身のご意志が処女の胎内に宿っていることを感じていなかったなら、処女の胎内に降りることはなかっただろうと述べられています。

天の至高の元后は、神のご意志を宿すことによって、天の故郷と何ら変わらない形で、イエスのために胎内に天国を用意されたのです。

 

 

(イエスからルイサへ)

「…神聖なる母性という使命のために、彼女は非常に多くの恩寵に満たされており、天上のものも地上のものも含め、他のすべての被造物が持つものすべてのものを合わせても、決して彼女に匹敵することはできないでしょう…。」(「天国の書」第17巻/1925年5月1日)

 

 

 

・なぜマリアは元后なのでしょうか?

 

マリアの元后としての地位は、まずイエスとの母子関係に基づいています。

古代ヘブライにおける「王母」という概念は、メシア的王であるイエス・キリストの母としてのマリアに当てはままります。

カトリック教会は聖母マリアを多くの称号で崇敬しており、その中でも最も重要な称号の一つが「元后」です。

リアの元后としての地位は聖書と伝統の両方に根ざしており、8月22日に祝わわれます。

詩篇45篇には次のように記されています。

 

 

「…あなたの右には、オフィルの黄金の王妃が立っている。」(詩篇45:9)

 

 

この詩篇は王の花嫁について語っていますが、教父たちとその後の伝承は、この詩篇の中に、王であるキリストとの関係におけるマリアの元后としての地位の予型を見出したのです。

 

 

 

・受胎告知

 

教会は、天使ガブリエルの受胎告知の際に聖母マリアが発した「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)という言葉の美しさを称えます。

これは聖母マリアの「フィアット・ミヒ」であり、イエスは聖母の「フィアット・ミヒ」が神の「フィアット」と出会った時に、どれほどの力が働いたかを私たちに語っておられます。

イエスは私たちにこう言われました。

 

 

(イエスからルイサへ)

「…ああ!わたしの意志における彼女のご意志の力よ――神のご意志が御母のご意志と出会った瞬間、ふたつはひとつになりました。

わたしの意志は御母を育て、聖化し、覆い尽くし、人間の介入なしに、御母は神の子であるわたしを身ごもりました。

御母がわたしを身ごもることができたのは、わたしの意志においてのみでした。

わたしの意志は、母に広大さ、無限性、豊穣さを神聖な方法で伝え、だからこそ、広大で永遠で無限なる方が御母の中に身ごもることができたのです。

母が『フィアット・ミヒ(わたしに身を委ねる)』と言われた瞬間、御母はわたしを所有しただけでなく、すべての被造物、すべての創造物を共に覆い尽くしました。  

御母は被造物すべてのいのちを自らの内に感じ、その瞬間から、すべてのものの母であり元后として行動し始められました。

御母のこの『はい』には、どれほどの予兆が含まれていたことでしょう――もしわたしがそれらをすべて語ろうとしたら、あなたは決して聞き終えることはないでしょう。」(「天国の書」第12巻 /1921年1月10日)

 

 

聖母マリアの「はい」という返事は、神の御母となるよう召されたことに対する、信頼に満ちた従順の応答でした。

それが一体何を意味するのかわからなかったものの、神のご意志に完全に身を委ねて生きてきたマリアは、神の愛を信じて「はい」と答えられました。

こうして、彼女が愛を込めて産んだ息子、私たちの主イエス・キリストにおいて、人間性と神性がひとつになったのです。

マリアの「み心のままに」という応答は、全人類の救いと、神の御独り子である御子における神のご意志の王国の地上での統治をもたらしました。

信仰による彼女の従順は、エデンの園におけるイヴの不従順を償い、全人類が神のご意志におけるいのちを失ったことを覆い隠しました。

こうして、マリアは新たなイヴとなり、完全な愛をもって神のご意志に完全に服従し、神のご意志の元后となられたのです。

 

 

 

・被昇天

 

イエスはまた、教会が8月15日に祝う被昇天祭の真の名称が「神のご意志の祭日」であるべきだと述べてられいます。

常に神のご意志を完全に実行し、その生涯がまさに神のご意志そのものであったことによって、天の元后は天を開いたのです。

イエスが天を開き、天の元后が天に昇られた時にはすでに多くの聖人が天の祖国を所有していたにもかかわらず、イエスは、すべてのことにおいて至高の意志を成就した御母であり女王こそが、その主要な原因であったと述べておられます。

イエスは聖母被昇天の祭日に、天の元后についてこう語られました。

 

 

(イエスからルイサへ)

「…それゆえ私たちは、至高の意志をこれほどまでに尊び、至聖なる意志の真の奇跡を宿した彼女が、至高の意志のための最初の宴を催すのを待っていたのです。

ああ! 至高の意志の永遠の太陽に囲まれたこの崇高な元后が天上の宮廷の真ん中、至高の意志の永遠の太陽に照らされながら天国に入るのを見て、天国全体が永遠の意志をいかに崇め、祝福し、称賛したことでしょう!

…そして彼らは驚嘆して彼女を見、こう言いました。 

 『昇ってください、もっと高く昇ってください。

至高のみ旨をこれほどまでに尊び、私たちを通して天上の祖国にいるのは、まさにこの方こそが最高の玉座に座り、私たちの元后となるべきなのです。』

そして、わたしの御母が受けた最大の栄誉は、神のご意志が栄光を受けるのを見ることだったのです。」(「天国の書」第18巻 / 1925年8月15日 )

 

 

 

・マリアの使命

 

母なる元后のの使命は、神のご意志が地上の被造物たちの間に君臨するまで終わることはありません。

 

「最後には、私の汚れなきみ心が勝利するでしょう!」

 

ファティマで、聖母マリアは私たちに「最後には、私の汚れなきみ心が勝利するでしょう!」と告げられました。

そして、この言葉によって聖三位一体に懇願しておられます。

 

 

(聖母マリア)

「愛すべき陛下よ、ご覧ください

彼らは皆私の子どもたちです。

私の勝利と栄光は私の子供たちのものです。

これらは私が征服し、彼らに与えるためのものです。

母が勝利し栄光を収めるなら、その子どもたちもまた勝利し栄光を収めるのです。」(『天国の書』第34巻/1936年12月20日)

 

 

マリアはご自分の子どもたちが自分に似て、母の遺産を受け継ぐことを望んでおられます。

子どもたちの中に宿る神のご意志こそ、聖母マリアの汚れなきみ心の勝利なのです!

したがって偉大なる元后は注意深く見守り、あらゆる心を尽くして愛して、神のご意志に従って生きようと願う者をどんな形であれ助けようとされているのです。

ですから、どんな困難に直面しても、私たちの母なる存在が私たちの周りに居られ、私たちを支え、力づけ、私たちの意志を母なるみ手に委ね、至高のご意志のいのちを受け取らせてくださるということを知ってください。

私たちがなすべきことは、ただ求めることだけなのです!

 

 

 

 

 

《汚れなき元后への祈り》

 

「愛するイエスよ

あなたに抱きしめられながら、

私の愛と感謝、そして被造物としてなすべきすべてのことを

あなたに示したいと思います

なぜならあなたは私たちの汚れなき元后、

最も美しく、最も聖なる、恵みの兆しなる御母を創造し、

あらゆる賜物で彼女を豊かにし、私たちの御母としてくださったからです

そして私は過去、現在、未来の被造物の名においてこれを行ないます。

私は被造物のあらゆる行為、言葉、思考、鼓動、歩みを捉え、

そのひとつひとつを通してあなたを愛し、

感謝し、祝福し、礼拝することを、

私の天国の御母と、

あなたの御母のためにあなたがなさったすべてのことについて

あなたに伝えたいのです・・・」

(「天国の書」第12巻/ 1920年12月18日)

 

 

 

 

 

※この記事はアメリカとフィリピンにある「神のご意志の小さな子どもたち」という信徒グループのホームページから私個人の信心のために翻訳・ブログアップしたものです