《神のご意志の 広大な海の中で さらに深く①》
Drop Book Series(一滴の雫の本・シリーズ)Ⅱ
この本は、『神のご意志という広大な海の一滴(A Drop in the Immense Sea of the Divine Will)』の続編です。
その目的は、ルイサ・ピッカレータを「神のご意志」のより深い領域へと導くために、イエスが彼女に与えられた数々の助言や教えに光を当てることにあります。
ルイサの著作は膨大であり、「神のご意志」に関する貴重な情報の宝庫であると同時に、時には圧倒されるほどの量でもあります。
この本では、その中からいくつかの箇所を抜き出し、イエスがルイサに――ひいては私たちに――与えてくださった尊い「光」を抽出しています。
ここで取り上げる「光」は、「神のご意志」に関する真理という広大な海の中のほんの一滴にすぎませんが、それらはなにものにも代えがたい尊い一滴なのです。
『Drop』の続編となる本作の新たな特徴として、「エンジェル・ライト(Angel lights)」が挙げられます。
これらは、ルイサの著作から引用された一節です。
実際にその一節を読んでいただければお分かりになるように、『Drop』の本文は、それぞれの箇所に含まれる真理のほんの一部に触れているに過ぎません。
その一節一つひとつをテーマに、一冊の本が書けるほどの深みがあるのです。
『Drop』シリーズの第1作と同様、この本に記された内容は著者らの解釈に基づくものであり、著作権で保護された神学的論文ではありません。
本書は「神のご意志」に照らして読み、他の方に渡すために自由にコピーを作成してください。
追加の部数は、販売元から購入することができます
§ § §
多くの人々は、なぜ自分がこの地上に存在するのかについて、何ら考えることなく、日々の生活を送っています
もし神のご意志のうちに生きるなら、あなたは明確な目的意識を持つようになるでしょう。
神は地上に神の国を回復するというご自身の計画に、あなたをあずからせてくださっているのです。
神のご意志に全面的に身を捧げるようになれば、日々のあらゆる瞬間が、神のご計画の成就のために用いられるようになります。
しかし、そのように全面的に身を捧げる境地に達するには、あなた自身による多くの犠牲と懸命な努力が必要となります。
神は私たちが皆、神のご意志に全面的に生きることを望んでおられます。
ですから、唯一の問い掛けは「あなたが何を望むのか?」ということです。
神のご意志に生きるというこの賜物を深く理解すればするほど、その問いに答えることは容易になります。
神が私たちに与えることのできる賜物の中で、これに勝るものはありません。
神はご自身の神性を私たちにわかち与え、ご自身そのものを与えてくださっているのです。
では、「神のご意志)」について、何を知っておく必要があるのでしょうか?
実のところ、神のご意志について知り得るすべてのこと知ることは、私たちには決してできません。
神は無限のお方ですから、私たちは永遠にわたって、そのことについて学び続けていくことになるのです。
それでは、どこからはじめればよいのでしょうか?
ルイサ・ピッカレータは、「神のご意志の賜物」について全36巻に及ぶ著作を残しました。
彼女の著作のどの部分であれ、読めば読むほど、またくり返し読み返すほどに、神のご意志についてより深く知ることができるでしょう。
しかしルイサ自身は、神のご意志に関する自らの著作を、海から上がってきた人の体から滴り落ちるほんのわずかな水滴にすぎないと表現していました。
彼女はそれらの水滴を、神のご意志に関する限りなく広大な真理の海になぞらえたのです。
「神のご意志」において成長していくためには、この「賜物」について学び続けることが必要です。
しかし同時になにが起ころうとも、自分の「行ない」や「巡回」を絶えず実践していくことも不可欠です。
「行ない」や「巡回」こそが「神のご意志」に生きる者の務めだからです。
こうした務めを行わなければ、「神のご意志」に生きることはできません。
さもなければ、せいぜい「神のご意志」という大海に、つま先だけを浸している程度にとどまってしまうでしょう。
もしあなたがその務めに忠実であるなら、神は約束されたことを実行してくださいます。
つまり、あなたを「神のご意志」のより深いところへと導きながら、あなたを清めてくださるのです
ですから、「神のご意志のうちでの行い」と「巡回(ラウンド)」を続けてください。
たとえ迫害を受けていても、ただその行ないと巡回を続けてください。
ひどい病気のときも、ただその行ないと巡回を続けてください。
家族に問題があるときも、ただその行ないと巡回を続けてください。
疑念に苛まれるときも、ただその行ないと巡回を続けてください。
世界がひっくり返るような事態に直面しても、ただその行ないと巡回を続けてください……。
何が起ころうとも、ただその行いと巡回を続けてください。
そして、実際にさまざまなことが起こるでしょう!
神が約束された「浄化」――あなたの中から「世」と「悪魔」と「肉」を取り除くための浄化――は、時に痛みを伴うものです。
しかし神に信頼し、ただひたすら、その行ないと巡回を続けてください!!!
「行ない」と「巡回(ラウンド)」のちがいはなんでしょうか?
ラウンドは、あなたの「行ない」の一部を成すものです。
具体的には、「神のご意志への祈り(Invocation to the Divine Will)」において、自分の祈りの中にイエスを招き入れ、イエスに祈っていただく部分を指します。
これらの祈りは特別なものです。
なぜなら、それはもはやイエスご自身の祈りであり、かつて二千年前に地上でイエスが捧げられた祈りの続きとなっているからです。
あなたがたが行なう行ないは、イエスが地上で生きておられた間に行われた行ないの続きです。
「神のご意志」という賜物の本質は、あらゆる瞬間にあなた自身の人間的な意志を神のご意志と一致させることにあります。
そうすることで、あなたはイエスがこの地上で再び生き、御父の栄光のために、人々の魂における贖いと聖化のみ業を継続されることを可能にするのです。
信じがたいことでしょうか?
私たちがどこから来たのか、そして神が私たちをどこへ連れ戻そうとしておられるのか――つまり、私たちが本来創造された秩序、場所、そして目的へと――その点に目を向ければ、決してそんなことはありません。
堕落前の「アダムとエバ」は、神が人類を創造された際の秩序、居場所、そして目的にかなったあり方をしていました。
この秩序・居場所・目的を理解しはじめることは、あなたがその賜物において成長する助けとなります。
なぜなら、最終的にどこへ向かうのかという見通しがあれば、神が今あなたの中でどのような働きをしておられるのかを、より容易に捉えることができるからです。
この秩序、位置づけ、そして目的を完全に理解するには、ある程度時間がかかるかもしれません。
なぜなら、現代の一般的な人々は、こうした理解とは程遠いところにいるからです。多くの人は神を、私たちが日々の営みを続ける様子を遠くから眺めている存在だと考えています。
彼らにとって神とは、時折天使や恵みを遣わしたり、あるいは祈りに応えてくれたりするような存在にすぎません。
それは世界が自分たちを中心に回っている物の見方です。
しかし実際には、すべてのものは神を中心に、神を軸として成り立っているのです。
神はただ単に私たちを見下ろしておられるのではありません。
神は実際に私たちの内におられ、同時に私たちは神の内にいるのです!
アダムとエバが罪を犯す前、神は彼らが行なうことを共に楽しんでおられました。
彼らが散歩をするとき、神は彼らの内でその散歩を楽しんでおられました。
彼らが動物と遊んだり、川に飛び込んだり、花を摘んだりするとき、神は彼らと共にそれを行なっておられたのです。
神は、アダムとエバがなにかをするのを、ただ傍観していることだけを望んではおられませんでした。
神は彼らとあらゆることを共に行ないたいと望んでおられたのです。
これが可能であったのは、アダムとエバが「神のご意志」という賜物と共に生きていたからです。
「神のご意志」とは神の本質であり、彼らはあらゆる行ないにおいて神のご意志を用いていました。
彼らが初めて自分自身の「人間の意志」を用いたとき、彼らはその賜物を失い、神はもはや彼らの内で楽園の喜びを味わうことはできなくなってしまいました。
それどころか、神は彼らの魂という園の中で、苦悶を味わうことになったのです。
神は6千年もの間、私たちの魂の中でこの苦しみを味わってこられました。
しかし今、神が「神のご意志のうちに生きる」という賜物を私たちに再び与えてくださったことで、その賜物を喜んで受け入れ、その中で成長しようとする魂の中に、神は再び楽園を見出されることが可能になったのです。
天国の聖人たちは皆、「神のご意志」のうちに生きています。
神は彼らひとりひとりの中に、それぞれ異なる楽園を見出し、それを楽しんでおられます。
神は聖フランシスコや聖パウロにあっては馬に乗り、アブラハムやパードレ・ピオにあっては散歩をし、聖アグネスやエディット・シュタインにあっては歌い、ヨハネ・パウロ2世やシスター・ファウスティナにあってはピエロギを味わい、アインシュタインやエリヤにあっては星の爆発を見つめ、聖母マリアやマザー・テレサにあってはチョコレートを味わう……といった具合です。
しかし神とのこうした一致は、それだけにとどまりません。
聖フランシスコや聖パウロ、アブラハム、そして他のすべての聖人たちは、ある神秘的な方法で、神のうちにあってさまざまな働きを担っています。
例えば太陽を輝かせたり、惑星をその軌道に留めたりすることなどです。
彼らは神の神性にあずかっているのです。
そして神のうちにあることによって彼らは互いの内なる営みをもわかち合い、楽しんでいます――これこそが「聖徒の交わり」なのです。
これこそが、神が私たちを創造された秩序であり、場所であり、目的です。
私たちは神の喜びのために創造されたのであり、やがてその喜びをわかち合うことになります。
私たちは、御父と御子の間に生じる愛のあふれから生まれた神の愛の一部であり、その愛から聖霊が発出しているのです。
私たちは比喩としてではなく、文字通りキリストの体です。
これは単に教会が用いる表現にとどまるものではなく、私たちは神の人間性そのものなのです。
神は今、地上において私たちとのこのような一致を望んでおられます。
それゆえに神は、ルイサ・ピッカレータに「神のご意志」という賜物を託されたのです。
私たちがすべきことは、その賜物を受け入れ、それについて学び、そして自らの「行ない」や「巡回(ラウンド)」を続けていくことだけです。
本当に単純なことです。
そうすれば神は少しずつ、あなたを本来の秩序、あるべき場所、そして創造された目的へと立ち返らせるためのみ業を行なってくださるでしょう。
しかもそれは天国に行ってからではなく、この地上で行われるのです。
「神のご意志」に生きる魂としての務めを果たすと決意し、神がルイサに約束されたことを、あなたの魂の中で実現していただくようにしましょう。
