A型袋小路 -3ページ目

A型袋小路

…俺の言いたい事を言うのに誰の同意やら支持が必要なんだ?…と言うスタンスのブログ。

流行りにゃ興味ないね。
年は食ったが、俺はパンクロッカーだからさ。



俺の住まいの近郊には、往古武士の都であった鎌倉が在る。

まぁ、今や武家の世でもなく、かつての文学者も去り、上郎下郎の別なく住まう普通の観光都市である。
ちょっと鎌倉をかじった者なら、各種老舗飲食店や菓子舗、刀剣で有名な事はご存知であろう。が、俺にはちょっと別の感慨があるのだ。



鎌倉…。紀元前後のある時期、南関東の沿岸地域に大挙して上陸して来た集団があった。百済人である。今で言うなら難民とでも言うべきか。当時の朝鮮半島のドタバタで故国を逃げ出さざるを得なかった一団なのだ。彼らは当時の「倭国」の垂涎の的であった大陸の先進文化・技術を持っていた。先に奈良朝廷にて移住を許された首長「弓月の君」の命により関東に下向、各地を開拓して定住したのであった。ちなみに彼らが「秦(ハタ)」を名乗るのは、先に述べた弓月の君が「我らは亡き秦王家の末裔である」と当時の帝の前で大風呂敷を広げたからである。…まぁ、情勢から鑑みて彼らは必死だったのに違いない。
で、当時この地域には先住の縄文人…北方系の狩猟民もおったのだし先着の新羅系、もちろん大和・出雲他の混成官人組織もあったであろう。とにもかくにも、当時の関東は未開の原野だったのだから提携して切り開いて行く他ない。とりあえず百済人は要害に優れた鎌倉の地に拠点の一つを置いたであろう事は想像に難くない。



…「鎌倉」と言う地名の由来は諸説あるのだが、縄文人の言語に通ずると言われるアイヌ語で解釈すると「カマクラン」と言う言葉に行き当たる。「山を越え(て行く土地)」と言う意味だそうだ。
なるほど鎌倉は三方を山が囲み南方だけ相模湾に口を開いた地形である。俺は詳しくないのだが鎌倉の地形は、狭いながら風水の考え方に適うらしい。

斯くして後世、征夷大将軍源頼朝は鎌倉に本拠地を置き幕府を開いて武家の世を創業した。

その後も戦乱は続き鎌倉は寂れ、また半農半漁の田園に戻った。幕府は京の室町、江戸に移り、三百年の太平の後半に大山・江ノ島参りの遊山の中継地に、さらに明治以降は居留外国人の遠乗りコースを経て別荘地に、鎌倉文士の住む文化都市へと変化して行った。寺社も往古よりの歴史的な古刹を売りに観光名所となり、今の観光都市鎌倉が在ると言うわけである。

今のところよく調べてみぬのだが、他にもアイヌ語に由来する地名や言葉が、日本には数々残っておるらしい。今後調べてみたいと思うが、何とも床しく遥けき歴史の風情ではないか。

ちなみに、一番上に貼った写真の奥の頂の丸い山を、地元では「高麗山(こまやま)」と呼ぶ。ここは鎌倉のある東相模から馬入川(相模川の河口)を挟んだ西相模、大磯の地である。高麗山の麓には古くから高麗神社と言う社があって、この山一帯が神域なのだ。
また高麗山のある大磯町を隔てる花水川を挟んで東の平塚市側の田園一帯を、往古は「唐土ヶ原(もろこしがはら)」と呼んだ。かつて移住して来た百済人一行はこの花水川沿いに北上し、最奥の秦野盆地に本拠地を置いたと言われる。この秦野も、東部のみ相模平野に開口した三方を山が囲んだ要害の地である。盆地は丹沢山系の伏流水に富み、水が良い。川は扇状地を形成し地は肥え、田畑の実りが豊かである。しかも東部には善波峠から派生した丘陵が東南に延びており、侵入者に対し高所を占める砦に打って付けの要害を与えている。
また盆地の中ほどには彼らの残したと思われる円墳の古墳群、西部の堀山と言う場所には丘陵から麓にかけて長大な堀が掘られ、かつての防御線としていたと思われる。
そして丹沢山塊の最高峰、秦野盆地から見て北西にある蛭ヶ岳の東麓の沢は「ユーシン沢」と呼ばれている。ユーシン…おそらく熊津であろう。かつて百済が平壌を落とされ南方の山中に遷都した都の名前なのである。一朝事あらばこの山中に逃げ延びる算段だったのではないか。

斯くして亡命百済人は先住民族や先着の海の民、海神族などとも提携し、徐々に後の坂東武者の原型となったに違いない。
何しろ彼らは三々五々、いくつものグループでやって来たらしい。ちゃっかり便乗して朝鮮半島南部の伽耶人だって混じっていたかも知れぬ。何故なら我ら日本人の顔つきは、どうやら古代の百済人や新羅、高句麗の人々よりは、南方の伽耶(加羅)人に近いらしい。まぁ、俺などはどっちみち北方縄文系で母親は出雲族のツングース系だ。俺は生まれた時に蒙古斑が無かったのだ。俺は倭人ではないので先に述べた範疇には入らぬ。
…そんな事はどうでもよろしいが、武編無類なる坂東武者の直情頑固と見栄っ張りは、ある意味朝鮮半島南西岸の人間に似ていなくもない。もっとも、元々「日本人」などと言う人種区分は存在しない。そもそも我ら日本人は東アジアの雑種なのだ。先も申したように、基本ベースは中国・朝鮮である。ただし「日本民族」と言うのはある。我らの言語はウラル・アルタイル語族に一応は分類されるが、文法はほぼ朝鮮語と同じ、それに古代の中国や朝鮮、アイヌ、南島諸言語の語彙を取り込んでいると言われておる。世界で唯一無二のややこしい言語なのである。

…まぁ、ことさら日本人である事に気負いも誇りも感じてはおらぬ。たまたまこの島に生まれて勝手に日本人として暮らしておるだけさ。だが、俺はこの日本の天地は好きだ。なので方々ほっつき歩いていろいろ見物して聞いた事は忘れぬ。ただ昔のようにやたらと写真を撮ってはド叱られるもの歳が赦さぬから、まぁ控えてはおるのだ。

あれこれ述べてとっ散らかってしまったが…明日も良い日和であれば、また図書館でご老人の昔話でも拝聴したい気分である。