こんにちは、ちょっと曇り空の神戸西地方です。
きのうは、一期一会だからこそ、チャンと向き合い、その場を誠心誠意で立とうということを書きました。
さて今日は、
自分が自由でいるためには、自分の気持ちや考えを正直に認めることが必要なんだと思います。
でも、それは簡単にはできません。
プライドが邪魔をする、今の立場が邪魔をする、何何だからというレッテルを自分に貼っている、そういうことで自分の気持ちを押さえるのです。
ぼくもそうだけど多くの人は、そんな状態にいるのだと思います。
ぼくは、自分の気持ちは認識しているつもりです。
でもそれは、こうあってほしいという欲求が前面にあります。
希望や目的、欲求や欲望のための気持ちです。
つまり、未来にビジョンがあってそれに向かっての希望をかなえたい、という自分の気持ちを認識しているだけなのです。
けれど、それが真の自分の気持ちかというと、正直わからんのです。
なので、未来への希望が自分が自由でいられるということに繋がるのか、それは疑問になってしまうのです。
欲望に固執しているなら、自由じゃないです。
目的に執着しているなら、自由じゃないです。
未来にいいことしか期待していないから、それにこだわって自由じゃないです。
自分の気持ち、それは自由を奪う気持ちのことの方が多いのかもしれません。
未来はどうなっているのか?
白紙なのか、決まっているのか。
決まっていても、変えられるのか。
どれが本当か、ぼくにはまだわかりません。
仕事がうまくいった、うまくいくことが目的ならば、それはそのひとにとっての自由だったのか。
白紙の未来なら、うまくいくという結果は、本人の努力によるものが多いです。
でも、本人だけでなく、周りの環境も同じように目的に後押ししてくれなければ、たぶん達成できないでしょう。
また未来が決まっているなら、努力してもしなくても、それは一緒です。
目的のためにだけ生きれば、そこには自由がなさそうです。
だからと言って、運命で全てが決まっているから何もしなくてもいいわけではないです。
それこそ自由がないですから。
自由でいるって、ほんとうに難しいことです。
だったら、縛られてる方が楽なのです。
そして多くの人が、縛られている楽な方を選択をしていると思うのです。
今日はココまで。
(ちょっとややこしい文章でした。)
きょうのPS
なんでこんなこと書いたのか?
楽なのは、決め打ちしてしまえばいい。
こうするって決めた方が、ことが楽なのです。
悩むってことは、決められないから悩むんであって、決めちゃえば悩む必要なんてない。
でも、なぜ神様(表現はむずかしいが、コノ世界を生み出した根源という意味での)は、人間に悩みを与えたのだろうかって、思うのです。
たぶん、悩むことが、実は自由の素なんじゃないかって、ふと考えたからです。
なんてことを、おいおい書いていこうと思います。
全然わからん領域ですけど。
ではでは。