ドイツ最後の王家 | ドイツ,ピアノ日和

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メルヘンと芸術の国ドイツから発信中、ミュウのブログにようこそ!

4月の第二週末に、南ドイツの、
シュテュットガルト在住の知り合いを訪問して、
その時に、ホーヘンツォレンという古城城の見学
に連れて行っていただきました。
この訪問が面白かったので、少しブログで紹介してみます。


ホーヘンツォレン
というのは、
この地域の領主だった貴族の名前で、
ハプスブルグ家と並ぶドイツの重要な一族とされているそうです。
遡ると、1061年から続いている家系らしく・。

シュバーベン地方という南ドイツの一部を納めていた領主です。

この家系がドイツ北部に枝分かれし、
ドイツ北部、プロイセン王国の王となり、後に
ドイツ国家を作り上げる王族となったそうです。

特に、フリードリヒ2世(1712-1786)
は、大王という称号を与えられるほど、
軍事能力、芸術的才能、などにたけた多才な王だったらしく、
ベルリンを拠点に、当時のプロイセンを統一していたそうです。

フリードリヒがフルートを吹いている絵画が中央のしおり。
バッハと彼が演奏している様子をジャケットにしたCDが左、
右は、ホーヘンツォルレン城。丘の上にたたずむ古城がなんとも綺麗でした。

音楽と共に


この他にも、実際、大王が吹いていたフルート、フルート
当時使われた豪華絢爛な王冠 クラウン。や、

実際王妃が着ていた
ドレスなどの展示があって、

これは本当にすごいっ!!!!!!!ショック!

フリードリヒ大王は小さい頃から芸術を心から愛していたそうで、
彼の宮殿には当時一級の音楽家達が集い、その中で有名なのが、
バッハの息子と、バッハだったそうです。

バッハを呼び寄せたフリードリヒ大王がモティーフを与えて、
バッハが即興的に作曲したのが、「音楽の捧げ物」だということです。

おみやげショップにフリードリヒ大王が作曲した
フルートコンチェルトの演奏のCDがあって、
主人と二人で、買って聞いてみました。

これを、国を統一し、その後、王家の基盤となる政治体制を築いた大王が、
作曲して、しかも、当時バッハと一緒に演奏していたのかと思うと、
本当に、とんでもない才能の持ち主の王様と、驚きます。

そういえば、ドイツの元首相で、ヘルムートシュミットという方が、
最近自身のピアノ演奏録音をドイツグラモフォンから出していて、
エッシェンバッハやオピッツなどと、バッハ演奏で、
見事な共演をなさっているそうです。

私は店頭で広告だけ見て、CDを買いませんでしたが、上手らしいです・・。
ドイツの政治家って一体どうなってるんでしょうね・。ガーン
日本では想像もつきません。

芸術がドイツという国の土台の一部として貢献している一例でしょうか・。
彼も、音楽をこよなく愛する政治家の一人だそうです。


話は戻って、フリードリヒ大王はベルリンに住んでいたのですが、
第二次世界大戦で全て彼の住んでいた宮殿なども焼き払われてしまい、
(ポツダムの宮殿を除いて)現存する、
この王家の資料や博物館は、
唯一、このホーヘンツォレン城に展示されているのだそうです。

最後のドイツの王族の、唯一残っている資料館ということで、
小さいけれど、とても見所がありました。


ドイツ王家の祖先が、バッハをこよなく愛していて、
宮殿で一緒に演奏していたということも、
強大な軍事国プロイセンのイメージとは程遠く、驚きました。

あの有名なフルートを吹く男性の絵が、
プロイセン大王ということも知らなかったし、
彼が実は南ドイツから枝分かれした
領主と貴族の子孫ということも知りませんでした。

彼の父のフリードリヒ1世は、芸術を馬鹿のするもの、
と毛嫌いしていたそうです。それでも音楽に没頭する息子を懲らしめるために、
みせしめとして、彼の家臣を彼の目の前で殺したらしいです。
ぞっとする話です。でも、ドイツでは、
そうやって芸術を愛する人達の死に物狂いの熱意と情熱があって、
現在に受け継がれているのでしょうか、ドイツの芸術の、底深い歴史を感じました・。


しかし、フリードリヒは、実はホモセクシュアルだったという話も・・。ガーン
いかにも、ドイツならありがちだけれど、どこまで本当なんだろう?
それなら、父がフリードリヒをそこまで折檻したり、
彼の召使を殺しちゃったりっていう話も納得できるかもですが・。

ヨーロッパって、なぜか、歴史に名を残すような大王ほど、

実は美男子で、

政治にも芸術にも才長けて、

その能力と美貌、魅力で
男性兵士を圧倒的に惹きつけて従わせる

能力を兼ね備えていたのかもしれません。

現地で撮った撮影など、また時間があれば、載せてみます。