今日は美容室へ行きました。

お店の方とお話ししている中で、

私の左膝が炎症を起こし痛いことを話しました。

何気なく話したのだけれど、

お店の方は、ご自分のお子さんが部活動などのスポーツ中の捻挫などで、

時々通っておられる、鍼灸整骨院を紹介してくださいました。

それで、その場でその整骨院にお電話してくださって、

そこは、私の自宅からも近くて感謝で、

来週、予約をしていただきました。

 

左膝の痛みは二カ月前からで、

整形外科を受診したのですが、

思い当たることがあり、

あることで長距離を長い時間歩いたことが原因でした。

普段、運動不足なのに、急に長距離を何時間も歩いた結果、

膝に炎症が起こっているとの診断でした。

レントゲンも撮ってもらって、膝の軟骨などのすり減りなどは無く、

ただの炎症なので、痛み止めのお薬が処方されただけで、

でも、その後も二カ月間、痛みは続いていましたが、

整形外科では、処置のしようがないということでした。

 

今回紹介してくださった、鍼灸整骨院は、

腕が良いとの良い評判のところで、

私は自分でここを探したのではなく、

痛くてでも治療のしようがないことに、途方に暮れているような中でしたが、

でも、今回のことで、神さまが私の膝を心配してくださっているのだと感じました。

それで、美容室の方を通して、

神さまが、鍼灸整骨院を与えてくださったのだと思っています。

 

この膝の痛みのことは、前に数回祈っただけでしたが、

この小さなお祈りも、神さまは覚えていてくださって、

最善のことを導いてくださるお方なんだと改めて思いました。

神さまは癒し主。

そして、小さなお祈りもお忘れにならず、お応えくださるお方。

神さまはいつもお優しいお方です。

そして、いつも神さまは私のすべてを知っておられ、

一番よいように導いて与えてくださるお方です。

感謝します。

 

 

 

主よ あなたは私を探り 知っておられます。

あなたは 私の座るのも立つのも知っておられ

遠くから私の思いを読み取られます。

あなたは私が歩くのも伏すのも見守り

私の道のすべてを知り抜いておられます。

ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ

あなたはそのすべてを知っておられます。

 詩篇139:1~4

(新改訳聖書2017)

 

 

 

今日、夫婦で礼拝をお捧げできました。感謝です。

 

昨年、天に召された副牧師のU先生の過去のメッセージを、

録音したものを聴きました。

懐かしいU先生のメッセージ。

過去に聴いているはずなのに、新しく聴くように感じました。

 

「なぜ神は土から人を造ったか?」というメッセージでした。

 

心に留まったのは、

土は人に慕わしいこと、

また、土は癒すものでもある。

ただの土、ちりではなく、深い大切なものであることを知りました。

 

また、土で作られた目的は、

謙遜にされるためということも心に残りました。

 

土のちりから作られた被造物である私たち。

どこまでも罪人であるし、

神さまのことばと救いが必要な弱い存在。

 

深い神様の思いがあって、土のちりから造られたことを、知りました。

 

主の救いとみことばを求めて生きていけますように。

 

 

礼拝で語られた、みことば。

 

神である主は、その大地のちりで人を形造り、

その鼻にいのちの息を吹き込まれた。

それで人は生きるものとなった。

 創世記2:7

 

あなたは、顔に汗を流して糧を得、

ついにはその大地に帰る。

あなたはそこから取られたのだから。

あなたは土のちりだから、

土のちりに帰るのだ。」

 創世記3:19

(新改訳聖書2017)

教会の中でやSNSで出会えたクリスチャンの方々。

例えばその方がご病気だったり、何かお辛い状況をお聞きすることが、

時々あります。

そういう時に、すぐにお慰めしたい励ましたいと、

思って言葉を発してしまうのは、時によくないこともあると思った。

お相手の方にとっては、励ましにはならず、

かえって、お辛いお気持ちになられることもあるのだと、

ちょっと思う出来事がありました。

 

何か励ましや慰めのお声がけがしたいときは、

ちょっと一呼吸おいて、まず心の中でお祈りする。

相手の方にとって、その言葉は本当に、

励ましとなるの?と少し考える。

また、何についてもやっぱり愛が大切だなと感じました。

イエスさまの愛でお声がけができたらと思うのですが、

私は時々感情が先になってしまったり、失敗してしまいます。

 

黙って一歩引いて、ただお祈りするだけがいいこともある。

言葉は今はただお辛いだけかもしれない。

 

私の感情でぱっと話してしまわぬように、

まず心の中でお祈りするようにと、気を付けたいと、

最近、改めて思ったことでした。

 

 

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。

愛は結びの帯として完全です。

 コロサイ3:14

 

ことばであれ行いであれ、何かをするときには、

主イエスによって父なる神に感謝し、

すべてを主イエスの名において行いなさい。

 コロサイ3:17

(新改訳聖書2017)

 

 

使っている聖書アプリ(YouVersion)の、

読書プランを少し前から、親友のSちゃんと始めました。

ディボーションする箇所が、複数の箇所で結構長いので、

ちょっと進めるのが大変だけれど、

ひとりでやる時よりも、とても励まされます。

あ、でも、普段は私もひとりでディボーションしています。

ひとりでのときも、分かち合いできる友がいるときも、両方とも特別な恵みと祝福だと思います。

感謝です。

 

今回の読書プランは53日と長いプランなのですが、

毎日しっかりやることも難しいので、

できる日に、できる分をと二人で歩幅を合わせつつ、

ゆっくりめに進めています。

 

読書プランの祝福を祈りつつ、

神さまとSちゃんとの分かち合い、

ディボーションを楽しんで取り組んでいます。

 

 

あなたのみことばは、私の足のともしび

私の道の光です。

 詩篇119:105

(新改訳聖書2017)

今日は、教会で個人の学び会を持っていただきました。

今週の礼拝のメッセージからの、分かち合いをしたり、

教会であるご奉仕をしてみたいと思っていたのですが、

まず、いきなりそのご奉仕をするのではなく、

プロジェクターの操作をするご奉仕からしてみてはどうでしょうか、

ということをお話しくださいました。

 

それで、その前からずっと考えていることなのですが、

私はやはり人前に立つご奉仕は向いていないと思えて

プロジェクターのご奉仕で十分ではないかと思えます。

もう少し祈って考えてみたいと思います。

 

個人の学びの中では、神さまの愛を、

教会の牧師先生や教会の人たちと混ざって考えていないでしょうか、

という問いかけと、気付きがが与えられました。

 

牧師先生も教会も、欠けのある人間であり、

神さまは、全き愛の神さま。

混ぜてはいけない。

神さまの全き愛だけを、求めて体験していきたいです。

 

 

 

礼拝からのみことば。

 

わたしは神であって、人ではなく、

 ホセア書11:9から