社会性の根幹は「協力と分け合い」である。

その「協力と分け合い」は「信頼」から成りち、「信頼」は親子の「愛着」を他人に応用した物である。

「凡人教育のススメ1~3」までは、その信頼を得る道程について書いて来た。
しかし「信頼」だけでは「協力と分け合い」を習得するまでは至らない。

「協力と分け合い」を習得するには「共同作業の楽しさ」を感じる必要がある。

これからは「共同作業」への道程について書こう。

共同作業への第一歩は何処にあるのだろうか?

それは生まれたての赤ちゃんと母親のアイコンタクトから始まる。
言葉も喋れない赤ちゃんでも「目で会話」をすると赤ちゃんは楽しそうに笑う。

赤ちゃんと視線を合わせ、色々な表情をすると赤ちゃんは喜ぶ。
生まれて最初のコミュニケーションだ。
この経験がコミュニケーションの喜びの基礎となる。

母親と視線を合わせる事は、赤ちゃんにとっては母親とのコミュニケーションであり、母親が自分から視線をそらす事は関係の途絶を意味する。



最初は母親が視線を外して横を見る行動を取ると、関係の途絶を意味していた物が、やがて母親の視線を追うようになる。

そして母親の視線の先にある物を、母親と共に見られるようになる。
つまり母親の視線を理解し、それが共感性の芽生えとなり、コミュニケーションの喜びと結びと付き共感に喜びを感じる。

その「視線の理解」を応用して「指差しの理解」となり「三項関係」へと発展して行き、それらには共感の喜びが結びついて行く。

こうした基礎的な概念、感覚、喜びと言った物を身に付けて次なるステップへ進む。

それが過程における「お手伝い」である。

お手伝いは、最初の共同作業である。
お手伝いに至るステップが順調に推移していれば、子供にとって「お手伝い」に喜びを感じ、それは共同作業の喜びを知ると言う事である。


共同作業の喜びを感じるまでのステップに問題があったり、お手伝いをさせずに育てた場合、共同作業の喜びを知らぬまま育つ事になる。

それは共同作業の喜びを知る者と知らぬ者、両者の間に共感は生まれないと言う事でもある。



お手伝いは社会の初歩的な模擬練習も兼ねている。
人間は全く経験のない事には不安や恐怖を感じ、「やりたくない衝動」に駆られる。

家庭でのお手伝いと言う模擬練習を経ていれば、不安の度合いは低くなり実践での経験を積み易くなる。

その経験の蓄積が「自信」となる。