バイトに行くと色々な人間関係や人生を比較観察出来て実に面白い。


まず、デキル人と出来ない人の違いは、「相手に理解させる」力だろう。

デキル人は、「自分が知っていても相手は知らないかも知れない」を前提に話し、デキナイ人は自分が分かっている事は相手も分かっている」を前提に話す。


バイト先でこんな事があった。

監督の指示 「このケーブルを側溝の上に移動して下さい」


ケーブルを側溝の上に移動させると。


「違う!側溝の向こう側に移動させなければ、また移動しなくちゃいけないでしょ、そんな事分からんのか!」


それを聞いていた同期の所長 「そんな言い方じゃ伝わらん!」

「何故その作業をするのかを伝えてもいないのに、分かる訳がないだろう」


お~!スルドイ!


だから、若くして所長になれたのか。



所長は、時間があるとその監督をマンツーマンで指導していた。



そこの現場はJV。


建築会社が2社で一つの物件を共同で作っている。


その監督に付いて、もう一社の監督が愚痴をこぼす。


工期が少なく、間に合わせようとしているのは分かる。

しかし、この作業をこの日までに終わらせたいと言う気持ちが先走り、出来ない日程を組めば現場は混乱して、出来る物も出来なくなるのが分からないんだよな。


まあ、柔道で言えば「相手を崩さずに投げようとしている」と言った所か。




私は動物と接する時、相手の動物の気持ちを理解しようとする。

相手の気持ちを理解しようとする時、自分の感情や自分からの視点は一度捨て去り、相手の視点から見た自分をイメージして、そこから生まれる感情から考える。


例えば猫。

人が猫を「可愛いから撫でたい」と思った時、体をかがめて上から手を猫の頭に持って行く。

そこには「可愛い」と思う心、「撫でたい」と言う衝動から来る行動があり、優しい感情がある。


しかし猫の視点から自分を見ると、自分の数倍もある人間が、自分に向かって顔を近づけ、上から手を頭に近付けて来る。

頭の上から手がくれば、見えないので怖いだろう。


私が猫なら、「襲われるかもしれない」と不安や恐怖を感じるだろう。


そう考えると、どうしたら猫に恐怖感を与えずに撫でられるかを考える。

手は見える所から差し出せば、見えない恐怖は無いだろう。


手を早く動かせば攻撃に見えるかもしれないので、ゆっくりと動かした方が恐怖心は薄れるだろう。

猫の近くまで行っていきなりかがむより、かがんでから近付いた方がもっと安心できるだろう。


そんな事を考えながら猫と接する。


そうした動物との接し方が、対人関係でも練習になるのではないだろうか?


その為には、同じ高さになれば?とか、