とあるイジメで自殺した中1女子の裁判で、いじめは認められないとする判決が下ったニュースが、先週流れていた。
私はマスコミの報道内容や、遺族の言い分に影響されず、自分なりの視点で判断したいと常々思っている。
このニュースは、引っかかる所が多い。
まず、大津の自殺問題が騒がれている最中の判決だった事で、マスコミの煽ろうとする姿勢が見え隠れする。
そして私が気になったのは自殺した少女の遺書である。
封筒には「お母さんへ」と書かれており、出だしも「お母さんへ」から始まっている。
内容に関しても、父親に対するメッセージが見当たらない。
父親宛の遺書があるのかは分からないが、少なくともこの遺書には父親に対するメッセージが無い。
そして「死んだのは、学校の美術部の皆でも、学校の先生でもありません、クラスに(の一部)に勉強にテストのせいかも」と書かれていた。
「クラスに勉強に」の間に「の一部」と追加して書かれてあった。
恐らくそれは、クラスの中の一部の人と言う事を強調したかったのだと思う。
もし、この一文を添えなければ、仲の良かった友達まで自殺の原因と思われてしまうのを避けたかったのではないだろうか?
それは仲の良かった友達に対する思いやりだったり、その仲の良かった友達に対して「あなた達は気にしないで」と言う気遣いのような気がする。
それは、イジメる生徒はいたけれど、この少女が必ずしもクラスの中で孤立していなかったと言う事ではないのだろうか?
そうした問題よりも、「勉強にテスト」の方がウエートが重かったのではないのだろうか?
遺書には「ハリーポッター」た「ごくせん」の続きを買って置いてくださいとか、いっしょに入れてくださいとか書いてあった。
この遺書には、恨みつらみは書かれておらず、死ぬと言うのにハリーポッターやごくせんの続きの話や、「8万円の遺産がゆうちょにいれてある」と書かれてあり、それに続くように「今まで友達でいてくれたお礼・・・」と書かれていた。
親の言い分を無視してこの遺書だけを見ると、イジメを苦にして自殺したとは思えない。
ここからは私の勝手な想像だが、この少女は成績優秀だったと言う。
その成績を維持するのに疲れたのではないだろうか?
いや、親の期待に応えようとする事に疲れたのではないだろうか?
学校が嫌なら不登校になれば良い。
不登校になるにも不登校できる環境が必要になる。
この少女には不登校出来る環境が無かったのではないだろうか?
子供は親の期待に応えようとする。
親が良い成績を期待すれば、子供はそれに応えようとする。
しかし良い成績を維持する事は、子供にとっては多大なストレスとなる。
遺書にわざわざ「ハリーポッター」や「ごくせん」の事が書かれていたのは、「勉強ばかりでなく好きな事もさせて」と言う、少女から親に向けてのメッセージに私は思える。
こうした「子供がイジメで自殺」したニュースを聞くといつも思う事がある。
学校などと言う物には「不登校」と言う逃げ場がある。
しかし、不登校が出来る環境が家庭に無ければ、子供に逃げ場は無くなる。
不登校は不登校で問題ではあるが、死んでしまってはやり直す事も出来ない。
人間とはおかしな物で、予め逃げ場が有れば、逃げようとせずに立ち向かえる。
逃げ場が無ければ窮鼠となり逃げ場を探す。
「背水の陣」と言う物がある。
退路を断って兵士に死に物狂いで戦わせる戦法だ。
自殺する子供は、背水の陣で学校へ行っているのかもしれない。
高層ビル火災で行き場をなくして窓から飛び降りる人には、窓から下の景色が近くに見えていると言う。
イジメによる自殺は、それと同じ様な気がする。