答えはいつも身近な所にある物だ。
ただ、それに気付ける人は少ない。
そして、答えの多くは自分の中にある。
それに気付けないだけだ。
例えば、前回にも触れた「愛着」「や「信頼」の関係。
そうした事は、文献やTV番組での紹介だけで知った訳ではない。
私の場合、自分の家族関係と飼っていた動物達、そして格闘技からかなり昔に気付いていた。
文献などは、それをより具体化したイメージにしたに過ぎない。
今では見かける事がほとんどないが、昔は野良犬が結構いた。
そうした犬の事で、私が子供の頃に思った疑問がある。
自分の家の飼い犬は、背後から抱き上げたりナデナデしても、なすがままにしているのに、野良犬は背後を取らせる事はしない。
そして、背後を許す犬は人馴れしている犬、背後を許さない犬は人に慣れていない犬と、幼い頃は頃は区別していた。
しかし、それでは理屈に合わない場合もある。
飼い犬でも、背後を許さない犬もいる。
飼い主には背後を許しても、他人には背後を許さない犬。
その違いは何だろうと考えると、飼い主との絆しかない。
それは、飼い主を信頼し、飼い主でない私は信頼されていないと言う事に気が付いた。
小学生時代の話である。
犬好きだった私は、何処の犬とも仲良くなりたかった。
なので、学校帰りに出会う犬全てに興味を持ち、慣れさせようとしていた。
当時は、飼い犬と言っても繋がれた犬ばかりではなく、放し飼いの犬や野良犬も多くいた。
その野良犬も、逃げ出した犬、捨てられた犬、飼われた事の無い犬がいた。
そうした犬と接する事で、色々な事を知り、犬をなつかせる方法が身に付いた。
例えば、家族以外になつかない犬であれば、そこの家の人と仲良く笑って話をしている姿を見せてから、匂いを覚えさせる為に、犬の鼻の前に手を差し出す。
犬が威嚇しても、怖がらずに差し出した手をそのままに、犬が匂いを嗅ぐまで手を出し続ける。
犬が手の匂いを嗅ぎ、手を舐め始めたらゆっくり頭を撫でる。
犬が、頭を撫でさせたら、頭から体へと撫でる所を移して行く。
これで大概の犬は懐く。
顔を舐めようとした時、嫌がらずに舐めさせ、舐めている時にも頭を撫でる。
こうして接すると、ほとんどの犬と仲良くなれる。
しかし、差し出した手を噛まれた事も何度もある。
しかしめげなかった。
数回噛まれて、噛まれたのは自分の手の出し方が悪かった事に気が付いた。
手を開いて差し出したら、噛みやすいよな~、肉みたいだし。
手を握って差し出せば、拳は簡単には口の中に入らない。
それ以後、犬に噛まれた事はない。
さて、こうして犬の懐かせ方として書くと、犬の懐かせ方としか読めない人が多い。
この話と、愛着やた親子関係やらが同じと気付く人は少ない。
まあ、私の似たような物だった。
これがもっと大切な意味を含んでいる事を知るのは、高校に入って柔道を習いだしてからの事。
柔道に限らず、格闘技や兵法等で「背後の憂い」という言葉が良く使われる。
その背後の憂いとは何ぞやを理解すると、背後を許す犬と背後を許さない犬に通じる事に気が付いた。
そして、犬も人間も変わらない事にも気が付く。
しかし、この時点ではまだ「信頼」の意味を理解しただけで、信頼と愛着の関係までは気付いていない。
まあ、当時は父親と喧嘩が絶えなかったし、親に対する信頼も薄くあまり父親が好きではなかった。
そして、大学2年の時に父親との喧嘩の末に家を出る。
親からの援助のない一人生活。
そこで初めて親に守られて生きてきた事に気付く。
そんな一人暮らしをしている最中、父からパスポートを取れと言われた。
理由を聞くと、父の企画した旅行が人数不足で中止になるかもしれないので、人数が集まらなければ頭数を増やす為にお前が行けと言う事だった。
とりあえず、パスポートを取った。
しかし、定員に達して私が参加する事は出来なかった。
その時、期待させてしまったと、父親が初めて子供に謝った。
父は、私にヨーロッパを見せたいと画策していたらしい。
私の知らない所で、勝手に家を出て好き勝手やってる私の事を思っていてくれていた事を知ると、胸が一杯になった。
旅行なんかどうでもよく、その親の気持ちが嬉しかった。
すると、父親に対する信頼が湧き、同時に愛着も生まれた。
そこで、信頼と愛着が同じである事に気付く。
愛着が信頼の元であるという文献を読んだのは、自分に子供が出来てからの事。
以前野良猫を懐かせた話を書いたが、それもこの応用である。
飼い主のいない猫には、同じ猫との関係を見せてから接する。
犬でも猫でも人間でも同じである。
持論を展開するなら、ビッグバン空始まった宇宙、その宇宙で作られた物質で構成された体を持ち、生命誕生から人間へと進化して来た法則やら習性は、人の中に内包されている。
それに気付けば答えは必ずある。
ただ、気付くには気付かせるだけの経験がいる。
自分で気付いた事は応用が利き、教えられた事は類似経験がない限り応用する事が難しい。
また、偏った経験しかなければ間違った答えを出してしまう。
そして、気付く為には疑問を持ち続ける事だ。
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