東村山事件 って、特集まで組まれていたのか・・・知らなんだ。
ある程度の概要までは調べても、遠く離れた所の事件だし、事実関係を調べる事など出来ないので然程興味は無かった。
恐らくこれからも興味は持たないだろう。
私としては、この動画 で朝木明代市議の娘の言葉で概ね察しが付く。
但しそれが正解かどうかは分からない。
単に一つの可能性程度に留まる。
そのポイントは、「創価学会の脱退者の相談を受けていた」と言う所に尽きる。
創価学会に限らず、そうした相談を受けてきた人が陥る危険を山ほど見てきたし、当事者も山ほど見てきた。
もし、朝木市議が私が見て来た人と同じタイプの人であれば、朝木市議は心を病んでいたのかもしれない。
まあそれはあくまでも想像の世界。
さて、同じタイプの人とはどんなタイプなのか?
それは、正義感が強く、相談者の話を鵜呑みに信じてしまう人。
このタイプの人が、創価の脱退者の相談を受ける事は非常に危険な事なのだ。
例えば「集団ストーカーの根拠としてUPされているyoutube映像の検証 その5 行動編 」で使用した映像を、言葉だけで書けば、「幅寄せを仕掛けて来るBMW]とか「遠方で待ち伏せされる」とか「私の行動に合わせて」と言った言い回しになり、それを相談者は「被害」として声高に叫ぶ。
こうした動画を見れば、それが「日常」のありふれた風景であることが分かるが、そうした検証が無ければ「そんな酷い事を」と同情し、正義感から「許せない」「助けてあげたい」と言う感情やら、社会責任等を感じてしまう。
それが、自分が頼りにされているとなれば尚更である。
もうこの時点で、視線が被害者と同じ視線になり、主観的視点に固定されてしまう。
そうなると、相談者から「こういう事を仕掛けてくる」と聞かされた事が自分にも降りかかってくる。
それは、ガスライティング被害者が、アンカリングという言葉にアンカリングされているのと同じである。
つまり、日常ありふれた事が「被害」とアンカリングされれば、この人の様に日常の全てが「アンカリング」と言う被害で埋め尽くされてしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=3CiCZLag6hc
実際こうした人は多い。
相談者から相談を受けていると「相手はそれ位の事は出来る」と、アンカリングされてしまい被害妄想に陥ってしまう。
例えば、相手はトラックの運転手だから車に詳しい=車にGPSを仕掛ける位の事は出来るだろう。
相手は電気屋だから電気に詳しい=ハイテク機器を作れるだろう。
相談者から聞かされた「相手の技術力や組織力」がアンカリングされてしまうのだ。
しかし、トラックの運転手が車の修理が出来る訳ではないし、町の電気屋が回路設計まで出来る訳でもない。
そこにあるのは、知らない世界の想像だけで、現実とは程遠い物である。
そして、やがて「相談者を助けている」と言う現実から、「相手に不利益を与えている」と言う自責の念が生まれ、被害妄想に陥ってしまう。
そうした相談者が実際に何らかの被害を受けているかと言えば、大半が「集団ストーカーの根拠としてUPされているyoutube映像の検証 その5 行動編 」の様に、単なる日常を被害と思い込んでいるに過ぎない。
早い話、本当に被害があるのなら警察に行ったり弁護士に法的相談をしに行く。
しかし、警察や弁護士に相手をされないから、助けてくれそうな人に相談する。
そこに事件性が見当たらないから相手にされない。
それを、警察の隠蔽と受け取るか、そのまま事件性が無いと受け取るかは、主観の違いになる。
大切な事は、自分の目で見て自分で調べて、それを相談者の話に惑わされずに客観的に自分で判断する事だ。
実際、私の所に来る相談や調査の大半が「集団ストーカーの根拠としてUPされているyoutube映像の検証」の類でしかない。
そうした人の大半が、パーソナル障害や鬱病が疑われる人達である。
そして、その7割が創価信者や脱退者が占める。
脱退者は集団ストーカーやガスライティングと言う言葉を使うが、創価信者はそうした言葉はほとんど使わずに被害を訴えるが、内容に変わりは無い。
youtube動画やブログなどで「創価」がやっていると書いてある物は多いが、その根拠が示されている物は皆無に近い。
と言うより、自分の気に入らない物を「創価」とする傾向が強い。
例えば、自分の側で咳をした人がいると、それはガスライティングで犯人は創価。
しかし、その人が創価信者である検証をした物は無い。
実際、宗教嫌いな私も創価扱いされている 。
書かれている当事者としては、この人の妄想を確信できるが、第三者にはこの人の発言を100%妄想と確信することは出来ずに、少なからず疑いを持つだろう。
こうした書き込みが、無数に増えれば私が創価であると思い込む人も出てくるだろう。
それが、今の集団ストーカー=創価の構造になっている。
創価の脱退者の相談を受けている人も、こうした先入観を持っている場合が多く、検証もせずに「創価なら」と鵜呑みにしてしまう人が多いのだ。
先入観を持って「相談者」の相談を受けると言う事は、パーソナル障害や鬱病の人の影響をまともに受ける事になり、自分もそうした病気を発祥してしまう危険性があるのだ。
つまり、相談者にアンカリングされてしまうと、自分も緊張状態が続く事になる。
それは、鬱病などの精神疾患の要因であり、自分も精神疾患を発症してしまう確立が飛躍的に増大してしまう事になる。
そうした人の周りには、同類の人が集まりだす。
集団ストーカーやらガスライティングのブログやHPにはそうした人が集まり、集団妄想を膨らませる所にもそうした傾向は見て取れる。
朝木市議にも同じような傾向が見える。
また鬱病になりやすい性格と言う物がある。
真面目で仕事熱心
几帳面で完璧主義者で責任感が強い
頑固で融通が利かない
何もかも自分で背負い込み、人に任せられない
他人が自分をどう見ているかが気になる
朝木市議にこうした性格が有ったのかは分からない。
しかし、最初に提示した動画で「日本音響研究所」の解析で「極限の興奮状態である」と言う分析結果が出ている。
それを、どう読み取るかは意見の分かれる所だろうが、扁桃体の興奮が収まらず長期間続くと鬱病に陥る。
それは、鬱病のサインとも読み取れるのだ。
その鬱病患者の一つの行動として、衝動的な自殺 がある。
家族と笑って話していた人が、自室に戻って突然自殺してしまうなど、家族には理解、納得できない自殺をしてしまうのも一つの特徴である。
自殺に納得できない家族は「加害説」を唱え始める。
加害説を唱え始めれば、自称被害者のお仲間入りとなり、「負の連鎖」が始まってしまう。
これは、「いじめによる自殺」でも同様の傾向がある。
自殺者の多くが鬱病を抱えていると言われている。
つまり、自殺した時点で鬱病の可能性が有るのだが、そうした家族からは鬱病の「う」の字も出てこない。
もし、自殺した人が鬱病を発症していたとすれば「見過ごされてきた」と言う事だ。
逆に言えば、家族や周囲の人が鬱病のサインを見過ごさなければ、自殺は食い止められたのかもしれない。
見過ごされていた心の病・・・
変な言い方になるが、私がどれだけの人を病院送りにして来た事か・・・
見過ごしてきた家族は口を揃えてこう言う「うちの子に限って」
「母は社交的でPTAや町内会の仕事もちゃんとこなし」・・・それが原因とも知らずに、活動的だったことをアピールする。
余談だが、心の病を克服した人や、心の病の要因を抱える人が就きたがる仕事が、福祉や介護の世界でもある。
※15/14加筆
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都