数日前にクローズアップ現代「増殖する監視カメラ」と言う番組を見た。
監視カメラとは面白い物で、安心と不安が同居している物。
マンションでも、入居の理由が監視カメラ が付いているから安心、退去の理由が見張られているようで・・・
まあこれも人間らしい反応で、人間社会と言う物を映し出している。
昭和30年代、向こう三軒両隣の時代は、ご近所さんの目が治安を守っていた。
当時はプライバシーなど希薄な時代、家庭内では子供部屋など無く、すべてがオープン。
裏口から隣のおばさんが「醤油貸して」と勝手に入ってくるのが当たり前、それを「お互い様だから」と享受していた時代だった。
それが日本が豊かになり、子供部屋が有るのが当たり前、子供の頃からプライバシーの守られた環境で育ち、隣家との交流も減り、ご近所さんの目も薄れてしまった。
その結果、空き巣被害の多発などの犯罪が増加。
「物厚ければ情薄し」
防犯とは、結局人間関係の「情」なんだよな。
ご近所さんの「目」の役割をカメラに持たせても、カメラには「情」が無い。
カメラなど付けなくても、声かけするだけで空き巣被害などの犯罪は激減する。
しかし、番組でも取り上げていた、猫をゴミ箱に捨てたオバサン。
ネットに晒され、職も失い鬱を発症したとか。
しかし、猫を捨てる数日前に父親が危篤となり、精神が不安定な状態だったとか。
その時点から鬱に片足突っ込んでんじゃん、
そのストレスから猫をゴミ箱に捨てたんじゃないのか?
つまり、ネットに晒されたりした事はダメ押しであって、鬱の原因は父親の危篤だろう。
そして、ネットに映像を見た人には、その人に情は沸かない。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都