心の世界とは面白い物で、ミラールームの様な物。
誰かを見ている時も、相手に投影された自分を見ている。
「自分ならこうする。自分ならこう考える、だから相手もこう考えている」と言う見方をする。
自分の中に知られたく無い秘密がある時、現実では自分以外の人は誰も知らない。
しかし、相手に投影された自分を見てしまう為に、過敏に反応してしまう。
日本語は主語と述語が明確で無い言葉。
例えば「アレ」とか「あそこ」等は日常会話で多用されるが、それは話し相手との共通認識の「アレ」であり「あそこ」だ。
共通認識の無い人に「アレ」と言っても、何の事か分からないし、裏返して言えば、人の数だけ「アレ」に相当する物がある。
例えば、何の共通認識も無い人に、「私は貴方のアレを知っている」と言えば、10人いたら10人が自分の心の中の「アレ」を探す。
そして、自分の中に秘密を持っていれば、その秘密が真っ先に頭に浮かぶ。
逆に秘密を持っていなければ、何も思い浮かばない。
全ては、他人に投影された自分を見ているだけで、それが被害妄想の原点でもある。
また、「絶対に知られたくない秘密」を持つと言う事は、等身大の自分を認められない事の裏返しの心理でしかなく、等身大では無い自分を作ろうとするからストレスが溜まる。
自らカミングアウトしてしまえば、常に等身大の自分でいられるから楽になり余計なストレスが溜まり難くなる。
等身大の自分に不満が有れば、足りない物を身に付ければ良いのだが、それを阻む物がプライド。
結局、プライドを捨て、自らカミングアウトしてい、一からやり直す覚悟がなければ、再発を繰り返して人生の大半を無駄に過ごしてしまう羽目になる。
普段からプライドを捨てて秘密を持たないようにする事だ。