心の傷は脳の傷


幼年期に虐待を受ければ、行なわれた虐待に符合する脳の部分の体積が少ない。

ならば増やしてやれば良い。


脳もトレーニングすれば復活する物だ。

例えばスポーツ。


私は中学から高校一年までテニスをやっていた。

大学の頃は、遊びでテニスをやっても出来ていたが、今ではラケットにボールを当てる事すら困難だ。

ボールを打つタイミング等の感覚を脳が忘れている。

得意だったサーブ。

その時のフォームを思い出し、同じフォームで打とうとすると、何度やってもボールがかすりもしない。

自分の中では同じ事をやっているつもりなのに出来くなっている。


逆に新たに始めた事は、最初は出来なくても練習を続ければ出来る様になる。


それは、脳の神経ネットワークも、使わなければ衰退し、使えば発達すると言う証明でもある。



虐待を受けた人の一番のリハビリは、前回の親子関係の修復に尽きる。

虐待を受けた時の正直な思いと、虐待を行なった時の正直な気持ちをぶつけ合う事だ。

意外かも知れないが、親に本音をぶつける時、一番大切な事は、親を気遣ってはいけない。

本音をぶつけて親を傷付け、親を傷つけた後に反省する、反省して謝る、親はそれを許す、それを繰返す事が、気兼ねの要らない親子関係を構築する為に必要な経験知である。

理屈で理解している気遣いと、経験測から来る気遣いは根本的に違う。


虐待を受けた子供は、親を恐れるあまり、怒られないように従順な態度を取っている場合が多い。

そして見捨てられまいと、親の望む子供を演じたりする。

経験知が無いと言う事は、それに関係する神経が発達していないと言う事でもある。

親の顔色を伺い、親の望む子供を演じるのは、気遣いではなく「脅え」。


それが、交友関係にも現われる。

例えば、メールの返信。

「すぐに返信しないと」・・・それは気遣いではなく「脅え」

理屈の理解は、気遣いと、脅えの違いが分からない。



自分が親になった時、初めて親の気持ちを理解するが、その時点では分かった気になっているだけ。

そして、しばしばそこから新たな虐待が始まる。

自分の子供には、自分と同じ思いをさせまいと、精一杯の事を子供にしようとする。

自分の親に気兼ねが要らないように、自分の子供に気兼ねや気負いは要らない。

精一杯の事をしようとする気負いが、思うようにならない子供に苛立ちを覚え、気が付けば自分も親と同じ事をしている事に気が付く。



親に協力を得られない場合が結構厄介だ。

親が存命の場合「あの時はこうして欲しかった」「あの時は寂しかった」「どうしてあんな事をしたのか」そんな事を、返信を期待せずに親に送りつける事から始める。

それだけでも一定の効果はある。

まず、自分の気持ちを整理する事が出来る事、今まで溜め込んでいた物を掃き出す事が出来る事、殴り書きした文を出した後に後悔出来る事、後悔したのなら謝罪の手紙も出せる事など、親だから送れる手紙の効果はある。


一番の効果は、本音を書いた手紙を出す「勇気」

こうした親子関係の人は、手紙を書いても出せない人が多い。

手紙を出せない人は、なかなか前には進めない。

これが自称被害者を象徴している 」と同じ状況に陥ってしまう。


勇気を出して手紙を出せば、期待していなかった返事が来る事もある。

と言うか、結構来る。


もう一つの方法は、親戚から攻める方法がある。

叔父や伯母、祖母や祖父から自分や親の子供の頃の話を聞く。

すると、自分の知らなかった親の気持ちや状況を結構知る事が出来る。


どうしても直球勝負が出来なければ、こうした変化球で様子を見ながらと言う方法もある。



後は、テーマを決めてアルバイトなどをしながら必要な経験知を積んで行く。




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