親子の間で1日1時間は「目を見て会話をする」
人間関係の基本は親子関係で学ぶ。
家庭環境によっては不要な人や、不可能な人もいる。
ここでは、親子関係が上手く行っていない人を対称にしている。
基本は、親の気持ちを知り、自分の気持ちを伝える事。
当たり前の事なのだが、これが出来ていない親子が多い。
親に対する不平不満があれば、喧嘩をしてでも親にぶつける事だ。
それが激しければ、親も本音が出て来る。
自分の親を理解出来ない人が、他人を理解する事に無理がある。
とにかく「本音」で話す事だ。
最初から「あの人には無理」と決め付けていれば前には進めない。
まあ今まで見て来た親子関係で一番多かったケースは、「自分が傷付く事を恐れている」人が多く、「自分が傷付かない様に、自分で壁を作っている」パターンだ。
これは「JG式脳トレ(経験知と経験則)」 の四季の経験知で夏の経験知しか持っていない例えと同じなのだ。
こうした問題が起こる以前に、四季に類似する経験知を積んでいれば、その経験則から恐れは半減するのだが、必要な経験知を積んでいなければ恐れを抱いてしまう。
裏を返して言えば、親子関係の修復を図る前に必要な経験知を積ませれば、恐れを半減させる事で完全な拒絶から部分的拒絶に変り、糸口が見えて来る。
そして、通常は親子の信頼関係の経験知を基に他人との信頼関係を構築して行く。
親子関係の改善は、他人との信頼関係を築く基礎を固める意味がある。
基礎が弱いとどうなるか?
一見社交的に見えても、心の底で他人を信じられず、孤独感を感じていたり、異常な馴れ馴れしさを持っていたりするなど、他人との距離感が掴めなかったりする。
そうした人が、親子間の関係が修復されると、劇的に他人との距離感が普通に変るから不思議だ。
親子関係が上手く行っていない人が関係を修復する為の取っ掛かりは手紙を書く事だろう。
直接言い難い事でも手紙なら書ける。
手紙に口に出せない本心を書けば親に伝わる。
そして、書く事で自分の心が整理されて行く。
親に自分を理解してもらうには、自分を知って貰わなければ理解されない。
親に自分を知って貰うには、本音をぶつけるしかない。
本音をぶつければ、一時的に険悪な状況になるかもしれないが、親も子供を理解して接し易くなる。
そして、この親子の激突と関係修復の繰り返しが、人間関係の経験知として一番必要な事だ。
四季で言えば冬と春。
ちなみに、ここでは四季を使って説明しているが、これを仏教的に言い換えれば、壊劫、空劫、成劫、住劫になり、これを繰返すとされている。
身近な親子関係の中で、関係が悪化しても関係を修復出来る経験知が、他人とのコミュニケーションの基礎になる。
親子関係で、お互いに腫れ物に触るような経験知しか持っていなければ、他人との人間関係も上辺だけの物となり、どれだけ沢山の友人がいても心は満たされない。