「ありがとう」と「ごめんなさい」はコミュニケーションの基本。

「ありがとう」と「ごめんなさい」を言葉と態度で表す事を心がける。


自称集団ストーカー被害者は、この当たり前の事が出来ていない。

出来ていないだけでなく、仇で返す人が多い。

その反面、そうした事を潜在意識の感情面では自覚している。


その感情と、意識のギャップが被害妄想に発展する。

自称集団ストーカー被害者の被害妄想は、感情と意識のギャップから来る「自責の念」がほとんどだ。


例えば「あの時の事を根に持って」等と口にする。

その言葉を裏返せば「相手に根に持たれる事」をした自覚があると言う事だ。

自分が本当に悪くないと思っていれば「恨まれる心当たりが無い」になるだろう。



感謝の意や、謝罪の意は、人間関係を円滑にする。

しかし、最大の効能は「自己満足」にある。


相手から受けた物に対し、返す物が少なければ、心に負い目を負う。

ましてや何も返さなければ、心の負い目が相手から受ける報復妄想に変る事がしばしばある。


例えば、友人からお金を借りて返せないでいると、その友人が尋ねてくると、借金の取立てが真っ先に頭に浮かんだりする。

返さずに逃げれば、追跡妄想に捕われたりする。


逆に、最初に素直に謝り、その友人にお金を返せない事情を話し、お金以外の事で恩返しをしていれば、そうした妄想は起こらない。


お歳暮やお中元は、日頃お世話になっている人に、そうした感謝の気持ちを込めて送る。

気持ちを形にして送る事で、自分の心の精算もしているのだ。

予算が無いからと何も送らなければ、送らなかった事に負い目を感じてしまう。


感情的な負い目の蓄積は妄想につながる。

困っている時に助けてもらったのなら、その場での感謝の言葉と、日を改めて自分の心が満足出来る程度の贈り物をする事を心がければ、感情的な負い目は無くなり心のバランスが保たれる。


感謝の言葉や贈り物等のお返しは、自分の心に対する対価でもある。

そして、それが人間関係を円滑にもする。




タダはお得感があるが、意識の及ばぬ深層心理の部分に少なからず負い目をもたらす。

これは、ほとんどの人が自覚する事が無いだろう。


自称被害者の主張する被害を色々と調べてみると、こんな物がある。

「プレゼントの応募だけして何も買わなかったから」とか「粗品だけ貰って何も買わなかったから」逆恨みされて。

こうした思いは、意識とは別の深層心理の部分で「得た物に対する対価」を支払っていない負い目から来る物と考えられる。


人間は「与えられたら与え返す 」と言う社会性で進化してきた動物で、与えられるだけは、社会性に反すると感じる動物でもある。(リンク先の独裁者ゲーム参照)


意識や理屈の世界で「得した」「損した」ばかりに目が行っていれば、人間本来の社会性を見失う。

人間本来の社会性を取り戻せば、コミュニケーションも上手く行く。


その為には、自分の心と同等の対価を相手に支払う事を心がける事だ。

相手に支払う対価は、自分の心に支払う対価でもある。


その対価とは、お金とは限らない。

支援や応援であったり、言葉であったり、自己満足できる程度の物で良い。

恩を受けた人に返せないのなら、困っている人に返せばよい。




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